哀しみのオレンジ
EPISODE8 宣戦布告…
「ママ…どこに行っちゃうんですか…?」
「ごめんね幸人…絶対迎えに行くから…」
「行かないでください…ママ!」
母親はあのとき施設の職員を信じて息子を預け、どこかへと行ってしまった。だが母はまだ驚くことに20歳を迎えていない。つまり3歳の時点で19歳。
「幸人君…今日から君も仲間だから仲良くしてね?」
何週間、何ヶ月、何年経っても母は帰ってこない…施設に長居していれば彼の正体に気付く者も出る。
「ねぇ幸人君…お父さんが人殺しって本当?」
「マジ…?コイツの父ちゃん人殺しなの?」
「う〜わヤバッ…近くにいたら殺されない?」
「悪者はやっつけるんだよな?じゃあやっちゃおうぜ!」
彼は幼少期から拳を受け続け、さらに施設の職員、学校の先生まで暴力に加担していた…少年野球チームに入ってもそれは続いた。
「おい抑えてろ!俺のドロップキックいくぞぉ!」
「やめてください…やめてください…!」
「こっちはいつでもいいぞぉー!」
「おりゃぁー!」
ドゴン…!
「はッ…!?」
ポリポリ…
「夢か…」
「おはよう」
「おはようございます…」
「また、魘されてたの…?」
「はぁ〜…」
彼は大きくため息を吐いてベットから下りた。知沙は先に起きて朝食作り。メニューは卵焼きときんぴらごぼう。味噌汁の具は大根とワカメ。
「いただきます…」
自分のために料理を作ってきた彼にとって彼女に手料理を振る舞ってもらうのは家族の団欒そのもの。実は彼女とは同棲して5日で毎日愛を深め合っている。知沙と結婚したい…そう彼は本気で想っている。
「どうしたの?今日はすっごい私のこと見るじゃん?」
「僕と…結婚とかって…考えてますか?」
初めて彼が見せる超照れた口調。朝っぱらから頬を真っ赤にしてだ。
「幸人君となら再婚したいけど、もう子供は生みたくないわ…」
40歳を越えても出産する例は多いが彼女はもう生みたくもないだろう。実の息子を殺して結婚したい男が息子代わり。
「僕はずっと知沙さんの傍にいたいんです」
「私も同じ気持ちよ…けど少し時間…」
プルプルプル!
「ちょっとごめんね…」
ピッ
「真美ちゃん?」
「大変なんです!」
「何があったの…!?」
「今はうまく説明できないんですが…とにかく来てほしいんです!」
「わかったわ!」
「それと!」
「何…?」
「幸人も連れてきてだそうです…」
プツッ…
電話から聞こえる真美の声と知沙の緊迫した表情を見てタダ事じゃないことを察する。
「着替えて…あなたを連れてこいって行ってた…」
「わかりました」
どうやら彼女が所属する組織から呼び出しが入ったようだ。流石に快楽拷問はもうごめんだ…すると彼の携帯にも
プルプル!
「はい?」
「水瀬さん妻が…妻が急にいなくなったんです!」
「何ですって!?」
話を聞くと妻の携帯や財布は家に置いたままで、買い出しに利用するマイバッグも家にあって出掛けてる様子もなかったという。
「お子さんは!?」
「学校と保育園に確認したら子供たちは無事みたいです!」
「そうですか…僕から坂本さんを手配させます!何かあったらいつでも電話掛けてください!」
プツッ…!
ほぼ同時に緊急電話が。これはまさかという悪い予感しか感じられない。
「とにかく急ぎましょッ!」
「はい!」
ほぼ同時間。明美のアジトに真美と佳奈美という女性、もう一人麻里という女性がいた。アジトにいる理由は次に粛清する人間の調査と幸人知沙カップルの話で持ち切りだ。ここのところは最近幸人にターゲットが先に殺されているのも問題だが…すると
「明美さん!外に不審な段ボール箱が!」
突然外に出ていたメンバーの一人がドアの前にポツンと段ボールが置かれているのを発見した。それにけっこうデカい。爆弾だったら厄介だが確かめないわけにはいかない。それに
「ちょっと重いです…」
「どいて…」
明美は一人で段ボールを持ち上げた。重さは40kg以上か?一体何が?
「開けて…」
真美は恐る恐る段ボールのガムテープを剥がして箱を開いた。
「キャア…!?」
真美は中身を見て恐怖のあまり腰を抜かす。震え方が尋常じゃない。だが明美は
「死体よ…」
何と中に入っていたのはバラバラに切り刻まれた女性の遺体。完全に血抜きされて一つ一つが綺麗に切断されている。全うに生きる肉屋ではこんなことはできない。明らかにプロの仕業だ。それに肝心の身元は
「川崎さん…!?」
「真美…まさか!?」
「川崎さんの…奥さんです…」
!?一体どういうことだ!?何と段ボール箱に入っていたバラバラ死体は川崎弘達の妻、川崎優子だった!誰がこんなことを!?
「早く知沙に電話して!」
「はい…!」
「あと幸人君を連れてくるようにも言って!」
「えっ!?」
「早くしなさい!」
「はいぃー!」
数十分後。
「真美ちゃん!」
「知沙さん!あぁ…」
「……」
幸人と真美は顔を合わせた瞬間お互いしゅんとした雰囲気に。そりゃ快楽拷問をした側とされた側が再会すれば当たり前のことだが、今はそんなことを気にする余裕はない。
「あのときは悪かったわよ…」
「何のことです?」
「ほら…この前のあの…セックスよ…」
「気にしてないです…」
そう言うと彼の口角が少し上がった。
「(いや嬉しいのかよ…)」
「もう忘れなさい…?」
「はい…それより真美さん!僕を呼び出すなんてどういう風の吹き回しですか?」
「それは…」
彼女は呼び出した理由を話していいのか悩んでいると
ビューン!
ガシッ!
突然100kmほどの速度でオレンジが投げられた!彼は皮を剥いて一口かじると
「苦くて酸っぱい…」
収穫する時期を間違えているのか味は酷く苦かった。すると
「苦いってことはあなたも哀しい男なのね…」
突然どこかから声が。明らかに知沙や真美の声ではない別人の声。
「やっぱりあなただったんですね?奥野明美さん…」
水瀬幸人と奥野明美、この2人の再会は20年ぶりだ。つまり彼が8歳のときに行方不明になり、彼女の息子の奥野健吾は虐められていた彼にとって唯一の親友だった。やはり彼女の顔を見ると真っ先に出てしまう言葉が
「あなたが母さんを利用したんですか?健吾君はどうして死んだんですか…?」
「ちょっと幸人君…」
知沙は止めようとするがまるで聞いていない。
「もし教えたくないなら…」
ブン!
彼は凄まじいパンチを連撃するが彼女は完璧にガード。やはり先日戦った仮面の女性は彼女だったのか。さらに
「…!?」
何と彼の腕を軽く捻って急接近させ頭突き!一切予備動作が見えない頭突きにいくら彼でも脳震盪を起こす。
「グゥ…!?」
「やめなさい…今のあなたじゃ私にすら勝てないわ!それに哀しいままじゃ、オレンジも苦いままよ…」
だが彼は怯まず反撃するが
「無駄よ…」
ガシッ!
「ヌゥ…!」
「このままやるんだったら、この首折るわよ…?」
「2人共!今はこんなことしてる場合じゃないわ!」
「知沙さん…」
「確かにそうね…悪いけどネタバラシは後日よ」
「はぐらかすんじゃねぇぞ!」
「えっ…?」
いつもの丁寧口調からいきなり罵声に変わって真美は驚く。それにあんな強い彼がこうも簡単に捻じ伏せられる状況に
「幸人君!いい加減にしなさい!」
知沙が強めに言うと彼は
「すいません…つい…」
流石母親代わりだ。知沙の言うことは絶対に聞くようだ。
「それでどうしたの?」
「あぁ…実は今日うちに段ボールが置かれてたんですけど、それが…」
真美は問題の段ボール箱の中身を2人に見せる。
「身元は川崎優子さん34歳。真美の勤め先の上司、川崎弘達の奥さんよ…」
衝撃の事実に彼の全身から汗が吹き出る。
「まさか…」
今日弘達から電話が来たばかりだ。自宅に携帯など貴重品がそのままだったということは、自宅から拉致されて殺害されたのだろうか?
「クソッ!僕が守れないばかりに…!」
「落ち着きなさい…どちらにしろあなた一人じゃ無理な話よ?」
「川崎さんを警戒させたのは僕です!言った僕に責任があるんです!」
「落ち着いて!幸人君…とにかく今はこれからのことが大事よ!」
普段冷静すぎる彼がいきなり取り乱している。これは相当悔やんで自分を責めている。
「まさか珠水鳳凰が…?」
「おそらくそうよ…それにこの前うちの一人が海辺に浮かんでた…」
「南さんですよね?それも珠水鳳凰が?」
「間違いない。それに政財界が牛耳っているなら国を敵だと疑った方がいい…」
敵は一体何人いる?明美が言う南という女性は確かに殺人犯であるが、川崎優子は何の罪もない善良な女性。しかも血抜きを完璧にして遺体をバラバラに…
「これは明らかに私たちに対しての挑発…とことん女性たちを殺して宣戦布告している…」
「それが、僕を呼び出した理由ですか?」
「他に何がある?今回は私たちだけじゃ手に負えないわ…」
「わかりました…知沙さんの傍にいれるなら、力を貸します」
「知沙…良いパートナー持ったね?」
明美が計画していたのは快楽沼に落として服従させるつもりでいたが、珠水鳳凰が宣戦布告をしたのなら協力してもらうのみ。彼が知沙に惚れていなかったらそのまま快楽沼に落ちていただろう。むしろ知沙に対しては彼と繋いでくれたことに感謝している。
「誓いのキス代わりとして、絆の証明キスでもしたら?」
「えっ?」
「いいじゃないですかぁ?知沙さんと幸人のキス見てみたい!」
「恥ずかしいです…」
「いいじゃん?ほらっ?」
彼女は唇を出して目を閉じた。これはもう完全に受ける姿勢。
「やっぱ知沙さんは最高ですね…」
チュッ…
その日の夜。新宿区葉琉州町にある人気No.1のキャバクラ店、LOUNGE MINTでは大盛り上がりで次々に高額シャンパンが開けられていた。
「ボトル入りましたぁー!」
「ありがとうございます!さゆきさんの素敵なお客様からアルマンドいただきました!ありがとうございます!」
ポンッ!シュー!
「ありがとうございます!」
パチパチパチパチ!
さゆきさん?そのキャストはメイクで若くしているが年齢は50歳手前くらい。だが大人の色気全開でワインレッドのミニドレスで少しお腹を出したセクシーな女性。
「いつもありがとね?」
「なぁに?たった30万ぽっちだ…」
高額ボトルを開けたお客さんは上客のようだ。着こなしているスーツも超ハイブランド。だが雰囲気がどこか胡散臭い。
「ところでな…邪魔な奴はこっちで排除した」
「そう…」
お触りNGなお店なのに隠れて胸を掴む。
「心配するな?私が愛するのは君だけ…間違っても殺しはしない」
明らかに接待が普通じゃない。完全に彼女を下僕にしている男は東京や愛知県などに高級ブランド店や高級ホテルを展開する超上場企業(株)SHプロダクトの代表取締役社長兼会長、大城四紋(47)。政治家としても活動しているいわば政財界の人間だ。
「ただ私の機嫌損なったらどうするかわからないけどな?」
「従います…」
高額ボトルを開けられたのに酷く怯えている。しばらくして大城という客はチェックして帰ったが、シャンパンを飲んで酔いが回ったのと疲れもあって早上がりした。彼女は基本的に黒服と会話することをしない。
「はぁ〜…いつまで続くんだろう?」
店にとって大城は上客。切ろうにも切れない存在だ。それにCEOで政治家の男を敵に回したくない。さゆきという源氏名を使ってLOUNGE MINTで働いているキャストの名前は水瀬千草(44)。息子の名前と自分の名前を合わせて源氏名に使うとは…歩いて帰っていると
コツコツ…
「明美?」
「相変わらず頑張ってるようね?」
「何の用?」
2人は元々ママ友同士。明美の方が6歳年上だがよく気が合う2人だった。
「その源氏名使って何年よ?」
「何使おうと勝手でしょ?」
「もうすぐ会えるかもしれないのに?」
「…!別に会いたくないわ…」
「嘘よ…千草はいつまで自分に嘘を吐き続けるの?」
何故千草は息子に会いたがらない?明美はどうして自分に嘘を吐き続けるのかと問い掛けているが、それほど自信がないのだろうか?
「私は明美みたいに強くないし、それにあの子を守るためなら政治家の靴舐めるくらいしないと無理なの…」
「そう言って千草はいつまで逃げるのよ?少しは向き合ったらどうなの?」
「明美に何がわかるのよ!?他人だからそう簡単に言えるのよ!」
やはり我が子に会いたくて堪らないだろう。だが今更どの面下げて会ったらいい?3歳の息子を施設に押し付け、まだ19歳という若さで育てる自信もなかった。いくら反社の人間でも私は車で轢き殺した殺人犯。
「あの子が今何やってるか知らないの?」
「いや…」
恥ずかしながら息子の職業を知らない…元気に生きていれば取り敢えず安心だが…
「元公安…今は葉琉州の刑事」
「警察?」
「けどそれは表の顔よ。正体は私たちと同じ闇の執行人だわ…」
「幸人が…?」
「今日まで会わせないつもりだったけど、やっぱり親なら会いに行くべきだよ?」
しばらく沈黙を置いて
「考えとくわ」
幸人…本当に弱いママでごめん…でも折角会えて息子に守ってもらうなど情けないことはしたくない。でも生まれたときからママは愛してるよ…愛してるよ…幸人…
翌朝。
「行ってきます!」
「いってらっしゃい!」
妻がいなくなって2日。まだ警察から何の連絡もない不安を抱えながら娘2人を育てる。上の子は小学生だから一人で登校するが、下の子は保育園なので送り届ける。
「よし!仁香も早くしないと遅れちゃうぞ?」
「はーい!」
取り敢えず娘たちには「出張に行っている」と言って何とか誤魔化している。だが仕事には行かなければ…遠くから彼を数人の刑事が見張っている。
「こちら異常なし…」
「了解…」
坂本は幸人に全面協力して彼に護衛を付けている。彼にはまだ優子がどうなったか知らせていないが、いつ切り出そうかと悩み続ける。今日は護衛の一人に坂本がいるが、さらに
「それにしても、自宅から連れ去ったとしたらどの時間帯なんだろうな?」
「白昼堂々なら手慣れの仕業とは考えられます…」
「はぁ…でも折角会えたのに辛気臭い話しなきゃいけないなんてな…」
「まぁ、飲みに行くならなるべく少人数がいいです」
「じゃあ誘いに乗ってくれるってことでいいな?」
幸人という可愛い部下にまた会えて嬉しいが物騒な話が多い。しかし何だかんだ坂本は彼に気があるのか?と疑うかもしれないが心配ご無用。息子を病気で亡くしているが結婚生活はずっと続けている。
「でもいつ言えばいいんだ?バラバラに…ムッ!?」
「しっ…!」
突然坂本の口を塞ぐ。彼が感じたのは殺意…今日という日は自分も護衛に加わってよかったと身を持って感じる。彼は目を閉じて聴覚と嗅覚を研ぎ澄ませて気配の出どころを探る。そして一気に目を見開いて
「フゥゥ…!」
バーン!
「うわッ…!?」
遠くから何者かがライフルで狙撃していた。スコープを使っていればレンズが反射して狙撃ポイントは一目瞭然。狙撃している場所は少し離れたビルの5階。
「川崎さんをお願いします…!」
彼はビルの5階まで目掛けダッシュ!奴も気付かれたことに焦って逃げようとするが、証拠を残さないようライフルをケースにしまおうにもより焦れば行動一つ一つに遅れが出る。
「ちょっと来てもらいましょうか?」
「何…!?」
彼は颯爽と奴の首を絞め落とし、そのまま肩に抱えて
「水瀬君…!はぁ…はぁ…」
「また野暮用行ってきます」
「わかった…」
そのまま彼は坂本に目配せして「川崎さんに奥さんのこと教えてください」と伝えると、それに続いて頷きながら「わかった…」と答えた。
1時間後。彼は狙撃していた男の首にロープを絞めつけ、そのロープはフォークリフトに繋いでいる。
「おい!お前水瀬幸人だろ!?これを解け!」
「墓穴掘りましたね?川崎優子さんを殺したのはあんたですか?」
「さあな!」
「はぁ…」
すると彼はリフトレバーを上げてフォークリフトを上昇させると
ウィーン…!
ミキキキキ…
「ガハッ…!くる…」
このままなら窒息死だ。だが彼は一旦下げる。
「ゴホッ…!ゴホゴホッ…!何すん…だよ…」
「言わないならこのまま窒息死だぞ…?さぁ吐けぇ!」
ボキッ…!
「ウワァー…!?」
ボキッ…!
「イデェ…いてぇよ…」
彼は奴の両腕を片手で簡単にへし折る。果たして奴は吐くのだろうか?
ウィーン…!
「ガガガ…カァ……」
「さあ最後のチャンスです…お前は殺っていないのか?」
「はぁ…はぁ…川崎って女を殺したのは俺たち珠水鳳凰の一人だ!実行犯は知らない…だけど俺らは頼まれただけなんだ…!」
「頼まれた…?」
「水瀬…千草って女の人です…!」
その言葉を聞いた彼は絶句した。まさか敵から母の名前を聞いてしまうとは…
「あんたの母親だろ…!?MINTってキャバクラで働いてる!名前はあんたと同じだからすぐわかるはずだ…!これが知ってることの全部だ!だから助けてくれよ…!」
母がキャバクラ店のキャストとして働いているということか?もしそうなら客として潜入するしかない。母に接待されるのか。
ウィーン…!
「おい約束が違うじゃないか!?何で上げるんだよ…!?」
「僕は助けるとは言ってません…貴重な情報には感謝しますが、このまま死んでください…」
ミキキキキ…!
「カァ…!ヵヵ…!………」
奴は上昇するフォークリフトにロープで首を絞め上げられ、さらに両腕は折られていたため手でロープを掴んで抵抗することもできず、呆気なく逝った。
まだ夜の時間まで10時間以上ある。例のLOUNGE MINTが営業するまで珠水鳳凰の動向を少しでも探らなければ。これ以上犠牲は増やしたくない…罪のない人が殺されるなどあってはならない。一旦彼は明美たちと合流するためにその場を後にした。
「ごめんね幸人…絶対迎えに行くから…」
「行かないでください…ママ!」
母親はあのとき施設の職員を信じて息子を預け、どこかへと行ってしまった。だが母はまだ驚くことに20歳を迎えていない。つまり3歳の時点で19歳。
「幸人君…今日から君も仲間だから仲良くしてね?」
何週間、何ヶ月、何年経っても母は帰ってこない…施設に長居していれば彼の正体に気付く者も出る。
「ねぇ幸人君…お父さんが人殺しって本当?」
「マジ…?コイツの父ちゃん人殺しなの?」
「う〜わヤバッ…近くにいたら殺されない?」
「悪者はやっつけるんだよな?じゃあやっちゃおうぜ!」
彼は幼少期から拳を受け続け、さらに施設の職員、学校の先生まで暴力に加担していた…少年野球チームに入ってもそれは続いた。
「おい抑えてろ!俺のドロップキックいくぞぉ!」
「やめてください…やめてください…!」
「こっちはいつでもいいぞぉー!」
「おりゃぁー!」
ドゴン…!
「はッ…!?」
ポリポリ…
「夢か…」
「おはよう」
「おはようございます…」
「また、魘されてたの…?」
「はぁ〜…」
彼は大きくため息を吐いてベットから下りた。知沙は先に起きて朝食作り。メニューは卵焼きときんぴらごぼう。味噌汁の具は大根とワカメ。
「いただきます…」
自分のために料理を作ってきた彼にとって彼女に手料理を振る舞ってもらうのは家族の団欒そのもの。実は彼女とは同棲して5日で毎日愛を深め合っている。知沙と結婚したい…そう彼は本気で想っている。
「どうしたの?今日はすっごい私のこと見るじゃん?」
「僕と…結婚とかって…考えてますか?」
初めて彼が見せる超照れた口調。朝っぱらから頬を真っ赤にしてだ。
「幸人君となら再婚したいけど、もう子供は生みたくないわ…」
40歳を越えても出産する例は多いが彼女はもう生みたくもないだろう。実の息子を殺して結婚したい男が息子代わり。
「僕はずっと知沙さんの傍にいたいんです」
「私も同じ気持ちよ…けど少し時間…」
プルプルプル!
「ちょっとごめんね…」
ピッ
「真美ちゃん?」
「大変なんです!」
「何があったの…!?」
「今はうまく説明できないんですが…とにかく来てほしいんです!」
「わかったわ!」
「それと!」
「何…?」
「幸人も連れてきてだそうです…」
プツッ…
電話から聞こえる真美の声と知沙の緊迫した表情を見てタダ事じゃないことを察する。
「着替えて…あなたを連れてこいって行ってた…」
「わかりました」
どうやら彼女が所属する組織から呼び出しが入ったようだ。流石に快楽拷問はもうごめんだ…すると彼の携帯にも
プルプル!
「はい?」
「水瀬さん妻が…妻が急にいなくなったんです!」
「何ですって!?」
話を聞くと妻の携帯や財布は家に置いたままで、買い出しに利用するマイバッグも家にあって出掛けてる様子もなかったという。
「お子さんは!?」
「学校と保育園に確認したら子供たちは無事みたいです!」
「そうですか…僕から坂本さんを手配させます!何かあったらいつでも電話掛けてください!」
プツッ…!
ほぼ同時に緊急電話が。これはまさかという悪い予感しか感じられない。
「とにかく急ぎましょッ!」
「はい!」
ほぼ同時間。明美のアジトに真美と佳奈美という女性、もう一人麻里という女性がいた。アジトにいる理由は次に粛清する人間の調査と幸人知沙カップルの話で持ち切りだ。ここのところは最近幸人にターゲットが先に殺されているのも問題だが…すると
「明美さん!外に不審な段ボール箱が!」
突然外に出ていたメンバーの一人がドアの前にポツンと段ボールが置かれているのを発見した。それにけっこうデカい。爆弾だったら厄介だが確かめないわけにはいかない。それに
「ちょっと重いです…」
「どいて…」
明美は一人で段ボールを持ち上げた。重さは40kg以上か?一体何が?
「開けて…」
真美は恐る恐る段ボールのガムテープを剥がして箱を開いた。
「キャア…!?」
真美は中身を見て恐怖のあまり腰を抜かす。震え方が尋常じゃない。だが明美は
「死体よ…」
何と中に入っていたのはバラバラに切り刻まれた女性の遺体。完全に血抜きされて一つ一つが綺麗に切断されている。全うに生きる肉屋ではこんなことはできない。明らかにプロの仕業だ。それに肝心の身元は
「川崎さん…!?」
「真美…まさか!?」
「川崎さんの…奥さんです…」
!?一体どういうことだ!?何と段ボール箱に入っていたバラバラ死体は川崎弘達の妻、川崎優子だった!誰がこんなことを!?
「早く知沙に電話して!」
「はい…!」
「あと幸人君を連れてくるようにも言って!」
「えっ!?」
「早くしなさい!」
「はいぃー!」
数十分後。
「真美ちゃん!」
「知沙さん!あぁ…」
「……」
幸人と真美は顔を合わせた瞬間お互いしゅんとした雰囲気に。そりゃ快楽拷問をした側とされた側が再会すれば当たり前のことだが、今はそんなことを気にする余裕はない。
「あのときは悪かったわよ…」
「何のことです?」
「ほら…この前のあの…セックスよ…」
「気にしてないです…」
そう言うと彼の口角が少し上がった。
「(いや嬉しいのかよ…)」
「もう忘れなさい…?」
「はい…それより真美さん!僕を呼び出すなんてどういう風の吹き回しですか?」
「それは…」
彼女は呼び出した理由を話していいのか悩んでいると
ビューン!
ガシッ!
突然100kmほどの速度でオレンジが投げられた!彼は皮を剥いて一口かじると
「苦くて酸っぱい…」
収穫する時期を間違えているのか味は酷く苦かった。すると
「苦いってことはあなたも哀しい男なのね…」
突然どこかから声が。明らかに知沙や真美の声ではない別人の声。
「やっぱりあなただったんですね?奥野明美さん…」
水瀬幸人と奥野明美、この2人の再会は20年ぶりだ。つまり彼が8歳のときに行方不明になり、彼女の息子の奥野健吾は虐められていた彼にとって唯一の親友だった。やはり彼女の顔を見ると真っ先に出てしまう言葉が
「あなたが母さんを利用したんですか?健吾君はどうして死んだんですか…?」
「ちょっと幸人君…」
知沙は止めようとするがまるで聞いていない。
「もし教えたくないなら…」
ブン!
彼は凄まじいパンチを連撃するが彼女は完璧にガード。やはり先日戦った仮面の女性は彼女だったのか。さらに
「…!?」
何と彼の腕を軽く捻って急接近させ頭突き!一切予備動作が見えない頭突きにいくら彼でも脳震盪を起こす。
「グゥ…!?」
「やめなさい…今のあなたじゃ私にすら勝てないわ!それに哀しいままじゃ、オレンジも苦いままよ…」
だが彼は怯まず反撃するが
「無駄よ…」
ガシッ!
「ヌゥ…!」
「このままやるんだったら、この首折るわよ…?」
「2人共!今はこんなことしてる場合じゃないわ!」
「知沙さん…」
「確かにそうね…悪いけどネタバラシは後日よ」
「はぐらかすんじゃねぇぞ!」
「えっ…?」
いつもの丁寧口調からいきなり罵声に変わって真美は驚く。それにあんな強い彼がこうも簡単に捻じ伏せられる状況に
「幸人君!いい加減にしなさい!」
知沙が強めに言うと彼は
「すいません…つい…」
流石母親代わりだ。知沙の言うことは絶対に聞くようだ。
「それでどうしたの?」
「あぁ…実は今日うちに段ボールが置かれてたんですけど、それが…」
真美は問題の段ボール箱の中身を2人に見せる。
「身元は川崎優子さん34歳。真美の勤め先の上司、川崎弘達の奥さんよ…」
衝撃の事実に彼の全身から汗が吹き出る。
「まさか…」
今日弘達から電話が来たばかりだ。自宅に携帯など貴重品がそのままだったということは、自宅から拉致されて殺害されたのだろうか?
「クソッ!僕が守れないばかりに…!」
「落ち着きなさい…どちらにしろあなた一人じゃ無理な話よ?」
「川崎さんを警戒させたのは僕です!言った僕に責任があるんです!」
「落ち着いて!幸人君…とにかく今はこれからのことが大事よ!」
普段冷静すぎる彼がいきなり取り乱している。これは相当悔やんで自分を責めている。
「まさか珠水鳳凰が…?」
「おそらくそうよ…それにこの前うちの一人が海辺に浮かんでた…」
「南さんですよね?それも珠水鳳凰が?」
「間違いない。それに政財界が牛耳っているなら国を敵だと疑った方がいい…」
敵は一体何人いる?明美が言う南という女性は確かに殺人犯であるが、川崎優子は何の罪もない善良な女性。しかも血抜きを完璧にして遺体をバラバラに…
「これは明らかに私たちに対しての挑発…とことん女性たちを殺して宣戦布告している…」
「それが、僕を呼び出した理由ですか?」
「他に何がある?今回は私たちだけじゃ手に負えないわ…」
「わかりました…知沙さんの傍にいれるなら、力を貸します」
「知沙…良いパートナー持ったね?」
明美が計画していたのは快楽沼に落として服従させるつもりでいたが、珠水鳳凰が宣戦布告をしたのなら協力してもらうのみ。彼が知沙に惚れていなかったらそのまま快楽沼に落ちていただろう。むしろ知沙に対しては彼と繋いでくれたことに感謝している。
「誓いのキス代わりとして、絆の証明キスでもしたら?」
「えっ?」
「いいじゃないですかぁ?知沙さんと幸人のキス見てみたい!」
「恥ずかしいです…」
「いいじゃん?ほらっ?」
彼女は唇を出して目を閉じた。これはもう完全に受ける姿勢。
「やっぱ知沙さんは最高ですね…」
チュッ…
その日の夜。新宿区葉琉州町にある人気No.1のキャバクラ店、LOUNGE MINTでは大盛り上がりで次々に高額シャンパンが開けられていた。
「ボトル入りましたぁー!」
「ありがとうございます!さゆきさんの素敵なお客様からアルマンドいただきました!ありがとうございます!」
ポンッ!シュー!
「ありがとうございます!」
パチパチパチパチ!
さゆきさん?そのキャストはメイクで若くしているが年齢は50歳手前くらい。だが大人の色気全開でワインレッドのミニドレスで少しお腹を出したセクシーな女性。
「いつもありがとね?」
「なぁに?たった30万ぽっちだ…」
高額ボトルを開けたお客さんは上客のようだ。着こなしているスーツも超ハイブランド。だが雰囲気がどこか胡散臭い。
「ところでな…邪魔な奴はこっちで排除した」
「そう…」
お触りNGなお店なのに隠れて胸を掴む。
「心配するな?私が愛するのは君だけ…間違っても殺しはしない」
明らかに接待が普通じゃない。完全に彼女を下僕にしている男は東京や愛知県などに高級ブランド店や高級ホテルを展開する超上場企業(株)SHプロダクトの代表取締役社長兼会長、大城四紋(47)。政治家としても活動しているいわば政財界の人間だ。
「ただ私の機嫌損なったらどうするかわからないけどな?」
「従います…」
高額ボトルを開けられたのに酷く怯えている。しばらくして大城という客はチェックして帰ったが、シャンパンを飲んで酔いが回ったのと疲れもあって早上がりした。彼女は基本的に黒服と会話することをしない。
「はぁ〜…いつまで続くんだろう?」
店にとって大城は上客。切ろうにも切れない存在だ。それにCEOで政治家の男を敵に回したくない。さゆきという源氏名を使ってLOUNGE MINTで働いているキャストの名前は水瀬千草(44)。息子の名前と自分の名前を合わせて源氏名に使うとは…歩いて帰っていると
コツコツ…
「明美?」
「相変わらず頑張ってるようね?」
「何の用?」
2人は元々ママ友同士。明美の方が6歳年上だがよく気が合う2人だった。
「その源氏名使って何年よ?」
「何使おうと勝手でしょ?」
「もうすぐ会えるかもしれないのに?」
「…!別に会いたくないわ…」
「嘘よ…千草はいつまで自分に嘘を吐き続けるの?」
何故千草は息子に会いたがらない?明美はどうして自分に嘘を吐き続けるのかと問い掛けているが、それほど自信がないのだろうか?
「私は明美みたいに強くないし、それにあの子を守るためなら政治家の靴舐めるくらいしないと無理なの…」
「そう言って千草はいつまで逃げるのよ?少しは向き合ったらどうなの?」
「明美に何がわかるのよ!?他人だからそう簡単に言えるのよ!」
やはり我が子に会いたくて堪らないだろう。だが今更どの面下げて会ったらいい?3歳の息子を施設に押し付け、まだ19歳という若さで育てる自信もなかった。いくら反社の人間でも私は車で轢き殺した殺人犯。
「あの子が今何やってるか知らないの?」
「いや…」
恥ずかしながら息子の職業を知らない…元気に生きていれば取り敢えず安心だが…
「元公安…今は葉琉州の刑事」
「警察?」
「けどそれは表の顔よ。正体は私たちと同じ闇の執行人だわ…」
「幸人が…?」
「今日まで会わせないつもりだったけど、やっぱり親なら会いに行くべきだよ?」
しばらく沈黙を置いて
「考えとくわ」
幸人…本当に弱いママでごめん…でも折角会えて息子に守ってもらうなど情けないことはしたくない。でも生まれたときからママは愛してるよ…愛してるよ…幸人…
翌朝。
「行ってきます!」
「いってらっしゃい!」
妻がいなくなって2日。まだ警察から何の連絡もない不安を抱えながら娘2人を育てる。上の子は小学生だから一人で登校するが、下の子は保育園なので送り届ける。
「よし!仁香も早くしないと遅れちゃうぞ?」
「はーい!」
取り敢えず娘たちには「出張に行っている」と言って何とか誤魔化している。だが仕事には行かなければ…遠くから彼を数人の刑事が見張っている。
「こちら異常なし…」
「了解…」
坂本は幸人に全面協力して彼に護衛を付けている。彼にはまだ優子がどうなったか知らせていないが、いつ切り出そうかと悩み続ける。今日は護衛の一人に坂本がいるが、さらに
「それにしても、自宅から連れ去ったとしたらどの時間帯なんだろうな?」
「白昼堂々なら手慣れの仕業とは考えられます…」
「はぁ…でも折角会えたのに辛気臭い話しなきゃいけないなんてな…」
「まぁ、飲みに行くならなるべく少人数がいいです」
「じゃあ誘いに乗ってくれるってことでいいな?」
幸人という可愛い部下にまた会えて嬉しいが物騒な話が多い。しかし何だかんだ坂本は彼に気があるのか?と疑うかもしれないが心配ご無用。息子を病気で亡くしているが結婚生活はずっと続けている。
「でもいつ言えばいいんだ?バラバラに…ムッ!?」
「しっ…!」
突然坂本の口を塞ぐ。彼が感じたのは殺意…今日という日は自分も護衛に加わってよかったと身を持って感じる。彼は目を閉じて聴覚と嗅覚を研ぎ澄ませて気配の出どころを探る。そして一気に目を見開いて
「フゥゥ…!」
バーン!
「うわッ…!?」
遠くから何者かがライフルで狙撃していた。スコープを使っていればレンズが反射して狙撃ポイントは一目瞭然。狙撃している場所は少し離れたビルの5階。
「川崎さんをお願いします…!」
彼はビルの5階まで目掛けダッシュ!奴も気付かれたことに焦って逃げようとするが、証拠を残さないようライフルをケースにしまおうにもより焦れば行動一つ一つに遅れが出る。
「ちょっと来てもらいましょうか?」
「何…!?」
彼は颯爽と奴の首を絞め落とし、そのまま肩に抱えて
「水瀬君…!はぁ…はぁ…」
「また野暮用行ってきます」
「わかった…」
そのまま彼は坂本に目配せして「川崎さんに奥さんのこと教えてください」と伝えると、それに続いて頷きながら「わかった…」と答えた。
1時間後。彼は狙撃していた男の首にロープを絞めつけ、そのロープはフォークリフトに繋いでいる。
「おい!お前水瀬幸人だろ!?これを解け!」
「墓穴掘りましたね?川崎優子さんを殺したのはあんたですか?」
「さあな!」
「はぁ…」
すると彼はリフトレバーを上げてフォークリフトを上昇させると
ウィーン…!
ミキキキキ…
「ガハッ…!くる…」
このままなら窒息死だ。だが彼は一旦下げる。
「ゴホッ…!ゴホゴホッ…!何すん…だよ…」
「言わないならこのまま窒息死だぞ…?さぁ吐けぇ!」
ボキッ…!
「ウワァー…!?」
ボキッ…!
「イデェ…いてぇよ…」
彼は奴の両腕を片手で簡単にへし折る。果たして奴は吐くのだろうか?
ウィーン…!
「ガガガ…カァ……」
「さあ最後のチャンスです…お前は殺っていないのか?」
「はぁ…はぁ…川崎って女を殺したのは俺たち珠水鳳凰の一人だ!実行犯は知らない…だけど俺らは頼まれただけなんだ…!」
「頼まれた…?」
「水瀬…千草って女の人です…!」
その言葉を聞いた彼は絶句した。まさか敵から母の名前を聞いてしまうとは…
「あんたの母親だろ…!?MINTってキャバクラで働いてる!名前はあんたと同じだからすぐわかるはずだ…!これが知ってることの全部だ!だから助けてくれよ…!」
母がキャバクラ店のキャストとして働いているということか?もしそうなら客として潜入するしかない。母に接待されるのか。
ウィーン…!
「おい約束が違うじゃないか!?何で上げるんだよ…!?」
「僕は助けるとは言ってません…貴重な情報には感謝しますが、このまま死んでください…」
ミキキキキ…!
「カァ…!ヵヵ…!………」
奴は上昇するフォークリフトにロープで首を絞め上げられ、さらに両腕は折られていたため手でロープを掴んで抵抗することもできず、呆気なく逝った。
まだ夜の時間まで10時間以上ある。例のLOUNGE MINTが営業するまで珠水鳳凰の動向を少しでも探らなければ。これ以上犠牲は増やしたくない…罪のない人が殺されるなどあってはならない。一旦彼は明美たちと合流するためにその場を後にした。