焦がれ、凍てつく蜜月〜拗らせ御曹司と冷遇された社長令嬢の政略結婚〜
第一章:幼馴染と、氷の視線
片桐奈緒は、自分の人生が二つの時間に分かれていることを知っている。
一つは、西園寺陸と無邪気に笑い合えた、中学二年生までの明るい日々。もう一つは、彼から向けられる視線が、まるで冬の湖の氷のように冷たくなってからの、灰色の日々だ。
西園寺陸。財界の頂点に君臨する西園寺グループの御曹司。そして、奈緒の初恋の相手。
廊下の角を曲がった瞬間、視界の先、生徒たちの注目の的になっているその人が立っていた。陸はいつだって完璧だった。美術品のような端正な顔立ち、研ぎ澄まされた頭脳、誰もが羨むカリスマ性。彼が纏う空気は、この学園の頂点を示していた。
しかし、奈緒の目に映るのは、その完璧さではなく、彼女に向けられる時の感情のない冷たさだった。
「陸、これ」
優しく声をかけたのは、陸の隣に寄り添う美咲だった。長い黒髪と、透き通るような肌。彼女もまた、家柄、容姿ともに完璧な「選ばれた」人間だ。美咲は慣れた仕草で陸のネクタイの歪みを直し、陸は一瞬だけ口元を緩めた。その一瞬の微笑みが、奈緒の胸を抉る。
(私には、もうずっと、あんな顔、してくれない)
中学の卒業式。陸は奈緒の目をまっすぐ見て、言った。「もう、お前とは話すことはない」。理由を問う間もなく、彼は背を向けた。以来、陸の態度は一貫して冷たかった。まるで、奈緒の存在が邪魔だと言っているようだった。
奈緒は、長い廊下の端からその光景を見ていた。陸と美咲の二人の世界には、誰も立ち入る隙はない。奈緒が彼に話しかけようものなら、陸は氷のような視線を向け、美咲は微笑みながら壁を作る。
「嫌われている」。奈緒はその残酷な事実に、とうに慣れていた。
「……行かなくちゃ」
小さく呟き、奈緒は踵を返した。陸と美咲に気づかれないよう、音を立てずに。
彼女の背後で、陸の低く澄んだ声が美咲に何か話しかけるのが聞こえた。その声は、かつて奈緒を呼んだ時のように優しい響きを持っていた。
奈緒の心の中で、幼い頃の陸の笑顔と、今の冷たい視線が重なり、鋭い痛みを走らせる。
(どうして、あんなに冷たくなったの、陸。私、何かした?)
答えは、いつまでも見つからない。ただ確かなのは、陸にとって自分は過去の遺物であり、今の彼は美咲という相応しい相手を得て、輝かしい未来を歩んでいるということだ。
奈緒は、陸への募る想いを、深呼吸と共に胸の奥深くに押し込めた。これでいい。嫌われているなら、せめて彼らの邪魔をしないように。それが、初恋を終わらせる、最後の礼儀だと思っていた。
そして、この諦めが、数日後に待ち受ける**「政略結婚」**の通告によって、残酷にも裏切られることになるのを、奈緒はまだ知らない。
一つは、西園寺陸と無邪気に笑い合えた、中学二年生までの明るい日々。もう一つは、彼から向けられる視線が、まるで冬の湖の氷のように冷たくなってからの、灰色の日々だ。
西園寺陸。財界の頂点に君臨する西園寺グループの御曹司。そして、奈緒の初恋の相手。
廊下の角を曲がった瞬間、視界の先、生徒たちの注目の的になっているその人が立っていた。陸はいつだって完璧だった。美術品のような端正な顔立ち、研ぎ澄まされた頭脳、誰もが羨むカリスマ性。彼が纏う空気は、この学園の頂点を示していた。
しかし、奈緒の目に映るのは、その完璧さではなく、彼女に向けられる時の感情のない冷たさだった。
「陸、これ」
優しく声をかけたのは、陸の隣に寄り添う美咲だった。長い黒髪と、透き通るような肌。彼女もまた、家柄、容姿ともに完璧な「選ばれた」人間だ。美咲は慣れた仕草で陸のネクタイの歪みを直し、陸は一瞬だけ口元を緩めた。その一瞬の微笑みが、奈緒の胸を抉る。
(私には、もうずっと、あんな顔、してくれない)
中学の卒業式。陸は奈緒の目をまっすぐ見て、言った。「もう、お前とは話すことはない」。理由を問う間もなく、彼は背を向けた。以来、陸の態度は一貫して冷たかった。まるで、奈緒の存在が邪魔だと言っているようだった。
奈緒は、長い廊下の端からその光景を見ていた。陸と美咲の二人の世界には、誰も立ち入る隙はない。奈緒が彼に話しかけようものなら、陸は氷のような視線を向け、美咲は微笑みながら壁を作る。
「嫌われている」。奈緒はその残酷な事実に、とうに慣れていた。
「……行かなくちゃ」
小さく呟き、奈緒は踵を返した。陸と美咲に気づかれないよう、音を立てずに。
彼女の背後で、陸の低く澄んだ声が美咲に何か話しかけるのが聞こえた。その声は、かつて奈緒を呼んだ時のように優しい響きを持っていた。
奈緒の心の中で、幼い頃の陸の笑顔と、今の冷たい視線が重なり、鋭い痛みを走らせる。
(どうして、あんなに冷たくなったの、陸。私、何かした?)
答えは、いつまでも見つからない。ただ確かなのは、陸にとって自分は過去の遺物であり、今の彼は美咲という相応しい相手を得て、輝かしい未来を歩んでいるということだ。
奈緒は、陸への募る想いを、深呼吸と共に胸の奥深くに押し込めた。これでいい。嫌われているなら、せめて彼らの邪魔をしないように。それが、初恋を終わらせる、最後の礼儀だと思っていた。
そして、この諦めが、数日後に待ち受ける**「政略結婚」**の通告によって、残酷にも裏切られることになるのを、奈緒はまだ知らない。
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