焦がれ、凍てつく蜜月〜拗らせ御曹司と冷遇された社長令嬢の政略結婚〜
第六章:彼の誤解(陸視点)
西園寺陸は、冷たいシャワーを浴びながら、奈緒との新婚生活――あるいは、形式的な同居生活――を呪っていた。
(この生活は、地獄だ)
彼はバスルームの曇った鏡を見つめる。そこに映る自分の顔は、相変わらず冷静で、何の動揺も見せない仮面を被っている。しかし、内側では、奈緒の「嫌われている」という言葉が鋭い刃となって、彼の心臓を繰り返し刺していた。
奈緒が自分を嫌っていると信じ込んでいるなら、それでいい。その方が、彼女を傷つけずに済む。
陸はシャワーを止め、深く息を吐き出した。彼が奈緒に対して冷たい態度を取り始めたのは、今から五年前、高校入学の直前のことだった。
中学時代。陸にとって、奈緒は太陽そのものだった。無邪気で、まっすぐで、自分にだけ見せる笑顔は、彼の堅苦しい日常の唯一の救いだった。彼はその頃から、奈緒を愛していた。いつか成長したら、必ず彼女を妻にすると、幼いながらに誓っていた。
しかし、その誓いは、ある光景を目にしたことで、残酷に打ち砕かれた。
それは、高校の構内見学の日だった。陸は奈緒を待っている最中、少し離れた場所で、奈緒が学校の先輩である和泉と親しげに話しているのを目撃した。
和泉は、陸が知る限り、学園で最も人気のある生徒会長だった。爽やかで優しく、誰からも慕われる非の打ち所のない好青年。
奈緒は、和泉に向かって、陸が今まで見たこともないほど輝くような笑顔を向けていた。彼女の瞳は喜びで満たされ、まるで恋に焦がれる少女そのものだった。
陸の心臓は、氷で打ち砕かれたように凍てついた。
(奈緒は……あの先輩を、愛している)
それは、陸にとって、揺るぎない確信となった。自分が彼女を愛する以上に、奈緒はあの先輩に恋をしている。
陸は思った。西園寺の御曹司である自分が彼女の愛を強引に手に入れれば、彼女は一生、形式と責務に縛られ、愛する人との未来を諦めることになる。それは、陸にとって耐えられないことだった。
彼女の幸せが、僕の幸せだ。
陸は、苦渋の決断を下した。奈緒を突き放し、彼女が自由に和泉先輩を選べるように、「嫌悪」という名の壁を築くこと。
そこから、陸の冷たい日々が始まった。奈緒の言葉を無視し、感情を閉ざし、故意に彼女を遠ざけた。そして、美咲を隣に置いたのも、奈緒への冷たさを確固たるものにするための手段だった。美咲自身も、陸の意図を察し、あくまで「ビジネスパートナー」として振る舞うことに同意していた。
(僕が、奈緒の幸せを邪魔するわけにはいかない)
そんな彼の前に、突然、政略結婚の話が持ち上がった。
陸は激しく動揺した。このままでは、奈緒は愛する先輩ではなく、自分――彼女が愛していない男の妻になってしまう。
だが、父の言葉は絶対だった。一度決まった政略結婚を覆すことは、両家の破滅に繋がる。そして、何よりも、奈緒が西園寺家の外で、他の男のものになる未来を、陸自身が耐えられなかった。
「断るなんて、絶対させない」
あの時の言葉は、奈緒を他の男に渡したくないという、彼の純粋で自己中心的な独占欲から出たものだ。彼女の気持ちを無視してでも、自分の手元に置いておきたい。冷たい態度で突き放しながらも、彼女を独占し、見守るという、矛盾した愛の形を選んだのだ。
彼は、奈緒が今もあの先輩を愛していると信じている。だからこそ、新居での契約で「愛情を求めない」「寝室は別々」と冷徹に突きつけた。
(これでいい。彼女は僕を嫌い、僕の愛を求めない。僕も彼女の愛を求めず、ただ形だけ、そばに置く)
しかし、奈緒の「嫌われているのに、結婚なんて」という悲痛な声が、陸の理性的な決意を揺るがす。彼女の瞳に宿っていた、深い傷つきと絶望の色が、彼の罪悪感を重くした。
陸は着替え、冷たいリビングへ向かった。形式的な夕食の時間だ。彼は、自分の独占欲と、奈緒への誤解が、二人の関係をどれほど深く拗らせているのか、まだ気づくことができないでいた。
(この生活は、地獄だ)
彼はバスルームの曇った鏡を見つめる。そこに映る自分の顔は、相変わらず冷静で、何の動揺も見せない仮面を被っている。しかし、内側では、奈緒の「嫌われている」という言葉が鋭い刃となって、彼の心臓を繰り返し刺していた。
奈緒が自分を嫌っていると信じ込んでいるなら、それでいい。その方が、彼女を傷つけずに済む。
陸はシャワーを止め、深く息を吐き出した。彼が奈緒に対して冷たい態度を取り始めたのは、今から五年前、高校入学の直前のことだった。
中学時代。陸にとって、奈緒は太陽そのものだった。無邪気で、まっすぐで、自分にだけ見せる笑顔は、彼の堅苦しい日常の唯一の救いだった。彼はその頃から、奈緒を愛していた。いつか成長したら、必ず彼女を妻にすると、幼いながらに誓っていた。
しかし、その誓いは、ある光景を目にしたことで、残酷に打ち砕かれた。
それは、高校の構内見学の日だった。陸は奈緒を待っている最中、少し離れた場所で、奈緒が学校の先輩である和泉と親しげに話しているのを目撃した。
和泉は、陸が知る限り、学園で最も人気のある生徒会長だった。爽やかで優しく、誰からも慕われる非の打ち所のない好青年。
奈緒は、和泉に向かって、陸が今まで見たこともないほど輝くような笑顔を向けていた。彼女の瞳は喜びで満たされ、まるで恋に焦がれる少女そのものだった。
陸の心臓は、氷で打ち砕かれたように凍てついた。
(奈緒は……あの先輩を、愛している)
それは、陸にとって、揺るぎない確信となった。自分が彼女を愛する以上に、奈緒はあの先輩に恋をしている。
陸は思った。西園寺の御曹司である自分が彼女の愛を強引に手に入れれば、彼女は一生、形式と責務に縛られ、愛する人との未来を諦めることになる。それは、陸にとって耐えられないことだった。
彼女の幸せが、僕の幸せだ。
陸は、苦渋の決断を下した。奈緒を突き放し、彼女が自由に和泉先輩を選べるように、「嫌悪」という名の壁を築くこと。
そこから、陸の冷たい日々が始まった。奈緒の言葉を無視し、感情を閉ざし、故意に彼女を遠ざけた。そして、美咲を隣に置いたのも、奈緒への冷たさを確固たるものにするための手段だった。美咲自身も、陸の意図を察し、あくまで「ビジネスパートナー」として振る舞うことに同意していた。
(僕が、奈緒の幸せを邪魔するわけにはいかない)
そんな彼の前に、突然、政略結婚の話が持ち上がった。
陸は激しく動揺した。このままでは、奈緒は愛する先輩ではなく、自分――彼女が愛していない男の妻になってしまう。
だが、父の言葉は絶対だった。一度決まった政略結婚を覆すことは、両家の破滅に繋がる。そして、何よりも、奈緒が西園寺家の外で、他の男のものになる未来を、陸自身が耐えられなかった。
「断るなんて、絶対させない」
あの時の言葉は、奈緒を他の男に渡したくないという、彼の純粋で自己中心的な独占欲から出たものだ。彼女の気持ちを無視してでも、自分の手元に置いておきたい。冷たい態度で突き放しながらも、彼女を独占し、見守るという、矛盾した愛の形を選んだのだ。
彼は、奈緒が今もあの先輩を愛していると信じている。だからこそ、新居での契約で「愛情を求めない」「寝室は別々」と冷徹に突きつけた。
(これでいい。彼女は僕を嫌い、僕の愛を求めない。僕も彼女の愛を求めず、ただ形だけ、そばに置く)
しかし、奈緒の「嫌われているのに、結婚なんて」という悲痛な声が、陸の理性的な決意を揺るがす。彼女の瞳に宿っていた、深い傷つきと絶望の色が、彼の罪悪感を重くした。
陸は着替え、冷たいリビングへ向かった。形式的な夕食の時間だ。彼は、自分の独占欲と、奈緒への誤解が、二人の関係をどれほど深く拗らせているのか、まだ気づくことができないでいた。