お嬢様の人生、買わせていただきます

第1話 ロンバルディ家の没落

 独立都市・プリマヴェーラ。
 海に面した商人の街だ。国内外からあらゆる物が集まる、政治的中立性を保持した華やかな街。
 最先端の流行を好む貴婦人が集い、自身の才覚を信じる若き野心家の集う街。
 商才さえあれば、いくらでも成り上がれる夢のある街。
 そして、才能がなければ呆気なく落ちぶれてしまう街。

 プリマヴェーラで栄華を極めた大商家・ロンバルディ家。ロンバルディ家は数世代にわたって莫大な財産を築き、プリマヴェーラでも有数の名家として権力を有していた。しかしその栄華は、今、崩れ去ろうとしていた……。





「お姉さま! まだ掃除は終わらないの? それに、昼食の用意もまだできてないみたいだけれど?」

 異母妹であるマルティナに怒鳴りつけられ、申し訳ありません、とラウラは素直に頭を下げた。
 けれど謝ったからといって、納得する妹ではない。だが謝らなければ、マルティナはさらにヒステリックにわめき散らすのだ。

「本当にのろまね! それに、掃除が遅れたなら、まずは食事の用意をするべきだとさえ分からないのかしら?」
「……申し訳ありません」
「謝るだけしかできないの? 謝る暇があったら、手を動かしたらどう?」

 マルティナはそう言うと、部屋の隅においてあった水入りのバケツを蹴飛ばした。当然、中に入っていた水が床を濡らす。

「こぼれたわよ。さっさと拭いて!」
「……はい」

 雑巾を手に取り、膝をついて床を拭く。するとようやく、マルティナが部屋を出ていってくれた。

 ここ最近、マルティナは今まで以上にイライラしているのよね。
 それに、女学校を退学になってから、ずっと家にいるんだもの。

 はあ、と心の中で溜息を吐く。異母妹の態度にはとっくに慣れているけれど、疲れないわけじゃない。

 ラウラは、プリマヴェーラの大商家・ロンバルディ家の長女だ。しかし、ロンバルディ家の血は引いていない。
 ロンバルディ家の女主人・アリアンナは父の再婚相手だ。そしてマルティナは、アリアンナと父の娘である。
 つまりラウラと血の繋がりがある父はロンバルディ家の婿養子で、ラウラは完全な余所者なのだ。

 物心がついた時から使用人同然の扱いだった。だが、ここ最近はさらに扱いが悪くなっている。
 ロンバルディ家の経営が傾いているからだ。
 大量にいた使用人は全員解雇され、学費が払えなくなったせいでマルティナは女学校を退学になった。今では義母ですら、満足するレベルの食事を口にすることはできなくなったらしい。

「……これから、どうなるのかしら」

 窓に映る自分を見つめ、ラウラは呟いた。

 黄金で作ったかのような眩しい金色の髪、真昼の海のように澄んだ瞳。
 プリマヴェーラで一番の美女と謳われた実母に似た美貌を持つラウラだが、年頃の娘だというのに、婚約者どころか友達すらいない。
 唯一の肉親である父は、ラウラよりもロンバルディ家を愛している。
 ロンバルディ家が潰れてしまったら、行き場所なんてないのだ。

 こんな家、本当はすぐに出ていきたい。
 でもわたくしには、行く場所もないわ。

「……海はあんなに広いのに、どうして、わたくしの世界はこんなに狭いのかしら」





 大きな物音がして、屋敷の扉が強引に開けられた。そして、十数名の黒い服をきた男たちが入ってくる。
 音につられて二階の自室から飛び出したラウラは、いきなりの状況に固まってしまった。

「おい、まだここから出ていっていないのか! もうこの家は、お前たちロンバルディ家の所有物じゃないんだぞ!」

 先頭にいた大柄な男が怒鳴り散らす。すると、広間からアリアンナと父が出てきた。

「も、申し訳ございません。ですがここを追い出されたら、わたくし共には行き場所もなく……どうかご容赦を……!」

 アリアンナは深く頭を下げた。しかし男たちは微動だにしない。

 アリアンナ様が誰かに頭を下げる姿なんて、初めて見たわ。
 それに、この屋敷がもうロンバルディ家の物じゃないって、本当なの?

 プリマヴェーラの一等地に建つこの屋敷は歴史ある建物で、ロンバルディ家の所有物だ。いつの間にかロンバルディ家の財政は、この屋敷を売りに出すまでになっていたのか。

「私からもお願いします。なんとかお金は用意します。ですから……!」

 アリアンナに続いて、父も深く頭を下げた。けれどやはり、男たちは何の反応も示さない。

「ここはもう、我らが主人の物だ。契約も済んでいる。それに、屋敷を差し出しても、お前たちにはまだ借金が残っているだろう。お前たちに金を用意できるとは思えんな」

 アリアンナたちは頭を下げたまま何も言わない。それが、男の言っていることが事実だと示していた。

「そこで、だ。お前たちに、我が主人からありがたい提案がある」

 大男が言うと、新しい男が玄関から入ってきた。他の男たちとは違って、かなり華やかな衣服を身に纏っている。
 体型にぴったり沿うように作られた黒のスーツに、裏地が紫色の上品なジャケット。ネクタイや靴下の小物に至るまで、全てにセンスのよさが表れていた。

「お久しぶりですね、ロンバルディ家の皆様」

 赤い瞳に、漆黒の髪。知的で、ほんの少し気難しそうな、繊細な美貌。

 あれ……?
 この人って……? いや、でもまさか、そんなはずはないわよね?

 鼓動が速くなる。いてもたってもいられなくなって、ラウラは慌てて階段を駆け下りた。
 階段を下り、正面から男を見つめる。そして、期待は確信に変わった。

「ロレンツォ……!?」

 間違いない。やはり、この男はロレンツォだ。

「ラウラお嬢様、お久しぶりです」

 ラウラを見つめ、ロレンツォはにっこりと笑った。昔と変わらない、穏やかで優しい笑顔だ。

 どうして、ロレンツォがここに?

 ロレンツォは、ロンバルディ家の元執事だ。よく働いてくれていて、他の使用人とは違い、ラウラにも丁重に接してくれていた。
 しかしロンバルディ家の財政が悪化し、数カ月前に解雇された。ラウラを虐げない彼はアリアンナから嫌われており、真っ先に首を切られたのである。

「……ど、どうして?」
「それはですね、お嬢様」

 ロレンツォは一歩前に出ると、ラウラに一礼した。
 しかしアリアンナたちに対しては、ゴミを見るような冷ややかな眼差しを向けている。

「私が、この屋敷を買ったからです」
「……え?」
「私は今、貿易を営んでいます。自分で言うのもなんですが、かなり成功したんですよ。品のない言い方ですが、この服装を見れば分かるでしょう?」
「そ、そうだったの……」

 プリマヴェーラは、商才さえあればどんな身分の者でも成り上がれる街だ。
 けれどまさか、数カ月前までただの執事だったロレンツォが、ロンバルディ家を買い取るほどの商人になっているなんて。

「そして今日から、ロンバルディ家の方々も私の物です」

 そう言うと、ロレンツォはアリアンナに視線を戻した。

「人間の生活ができると思うなよ、下種どもが」

 聞いたことがないほど低い声に身体が震えてしまう。

「ラウラお嬢様も、さあ」

 ロレンツォが微笑んで手を差し出してくる。戸惑いながらも手を重ねると、ロレンツォにぎゅっと手を握られた。
 優雅な見た目とはうらはらに、手のひらはかたい。

「ラウラお嬢様。今日から貴女も、私の物です」

 とびきり甘い笑顔に、甘い声。
 いきなりの状況に頭がついていかず、ラウラは頷くことしかできなかった。
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