お嬢様の人生、買わせていただきます
第10話 お仕置き
「エリザ、今日の商談は、このあたりで行われるのよね?」
「はい。港で異国の船をお出迎えし、その後、近くのレストランへ移動するご予定ですよ」
「ありがとう」
港には多くの船がとまっている。すごく大きな物もあれば、海上で食事を楽しむための比較的小さな船もある。
ここから、いろんな国に旅立っていくのよね。
「それにしてもお嬢様……ロレンツォ様のお仕事を見学されたいのでしたら、素直にお伝えすればよろしかったのに」
「それじゃあ、普段のロレンツォは見られないじゃない」
ラウラが港にやってきたのは、仕事中のロレンツォを見るためだ。
彼を知るためには、必要不可欠だと考えたからである。
「船がくるまで、少しこのあたりを見てまわろうかしら」
港のすぐ近くには、新鮮な食材を売っている市場がある。そのため、家具や雑貨類を売っている通りとは客層も違う。
市場は、どうにか値切ろうとする客とできるだけ多くの品物を売ろうとする商人の会話で大盛り上がりだ。
「小さい子も多いのね」
「はい。このあたりは治安もいいですから、おつかいにくる子も多いんですよ」
大量の魚を抱えた幼い子を見て、エリザが穏やかに微笑む。
「……羨ましいわ」
あんなに小さい時から、自由に海が見られるなんて。
「そうとは限らないぞ」
いきなり聞こえてきた声に驚く。慌てて振り向くと、そこにいたのはアンドレアだった。
「アンドレア……」
「今日はあの男……いや、ロレンツォ様はいないんだよな?」
メイドであるエリザを見て、慌ててロレンツォ様、とアンドレアは訂正した。
しかしこの場から立ち去る気はないようで、ラウラに近づいてくる。
どうしよう。
ロレンツォは、わたくしに近づくな、とアンドレアに怒鳴っていたけれど……。
エリザがいるとはいえ、再びアンドレアと話しているところを見られでもしたら、大変なことになってしまうのではないか。
そう思うものの、話しかけられてしまった以上、無視して逃げ出すこともできない。
「ラウラがロレンツォ様の恋人だという噂は、ただの噂だよな?」
否定も肯定もできないでいると、アンドレアは沈黙を肯定と判断したらしい。
「ラウラは昔から海が好きだったよな。そうだ。これ、いるか?」
アンドレアが鞄から取り出したのは、小さな貝殻だった。薄桃色の貝殻は形が綺麗だが、このあたりでは見たことがない。
「異国から持ち帰ったんだ。綺麗だろ」
「ええ、綺麗だけど……」
こんなものを持ちかえれば、ロレンツォに怪しまれてしまう。そう思うと、手を差し出すことはできない。
アンドレアは寂しそうな顔をして、貝殻を鞄にしまった。
「なあ、ラウラ。さっき、子供たちを羨んでただろ?」
「ええ」
「確かに、その気持ちも分かる。でも俺は、そうとは限らないとも思うんだ」
早くここから立ち去った方がいい。分かっているのに、つい、アンドレアの話に耳を傾けてしまう。
屋敷から出られずにいた頃は、彼の話が外の世界を知る数少ない手立てだったから。
「ここに買い物にくる大半の子どもは、外国から運ばれてきた物を買えない。高いからな。だったら、存在を知らない方がいい、って考えもできないか?」
「……それは」
「旅先で耳にしたんだ。幸福度が高い街ってのは、豊かさとは関係ないらしいってな。外の世界を知らない方が、現状に満足して幸せでいられるらしい」
アンドレアの言っていることも分かる。
けれど、納得はできない。ラウラは一度だって、海を知らなければよかったと思ったことはないから。
「なあ、ラウラ。俺と暮らさないか?」
「えっ?」
「そんなに金はないけど、二人で暮らすくらいの金はある。それに、一緒に旅をするのもいいだろう? ラウラはずっと、海の向こうに行きたがってたんだから」
確かに、海の向こうに憧れていた。いつか、遠くへ行きたいと思っていた。
でもそれは、屋敷から逃げ出したかったから……というのも大きい。
「ラウラ」
名前を呼ぶと、アンドレアは急に距離を詰めてきた。エリザを警戒しているのか、耳元で話を続ける。
「ロレンツォのことをいろいろと調べた。あいつ、かなり危ない男だぞ」
「……え?」
「裏の連中とも繋がりがあるらしい。しかも元々、ロンバルディ家で働く前のあいつはとんでもない荒くれ者で……」
いきなり、腕を強く引かれた。気づいた時にはすぐ近くにロレンツォの顔があって、思わず声を出してしまう。
「ロレンツォ……!?」
どうやらアンドレアの話に気をとられるあまり、彼の接近に気がつかなかったらしい。
これ、かなりまずいんじゃないかしら……!?
「ラウラお嬢様」
ロレンツォの眼差しがあまりにも冷ややかで、何も言えなくなる。アンドレアはすぐに逃げ出そうとしていたが、ロレンツォのお供の男たちに捕らえられていた。
「ロレンツォ、あのね、たまたまアンドレアと会っただけで……!」
事情を説明しなくては、と必死に口を開く。けれどロレンツォはラウラに一瞥もくれず、アンドレアを睨みつけていた。
「一切、お嬢様に近づくなと言ったよな。忘れたのか?」
「……も、申し訳ありません。ただ、その、友人として……」
「友人として、俺の悪口を吹き込んだと?」
アンドレアの顔が青くなる。
小声での会話内容が聞こえたはずがないが、しらを切るような余裕はなかったのだろう。
「やっぱりな。おい、お前ら。こいつの処分だが……」
「ま、待って!」
このままだと、アンドレアが酷い目に遭ってしまう。
「ロレンツォ、彼は……」
「この男を庇うんですか。なぜ? この男は、俺の悪口を貴女に吹き込んで、俺と貴女を引き離そうとしていたのに」
感情が昂っているからか、ロレンツォは自分のことを俺、と言った。
「貴女には、お仕置きが必要みたいだ」
そう言うと、ロレンツォはラウラを抱きかかえ、近くにとめてあった馬車に乗り込んだ。
「はい。港で異国の船をお出迎えし、その後、近くのレストランへ移動するご予定ですよ」
「ありがとう」
港には多くの船がとまっている。すごく大きな物もあれば、海上で食事を楽しむための比較的小さな船もある。
ここから、いろんな国に旅立っていくのよね。
「それにしてもお嬢様……ロレンツォ様のお仕事を見学されたいのでしたら、素直にお伝えすればよろしかったのに」
「それじゃあ、普段のロレンツォは見られないじゃない」
ラウラが港にやってきたのは、仕事中のロレンツォを見るためだ。
彼を知るためには、必要不可欠だと考えたからである。
「船がくるまで、少しこのあたりを見てまわろうかしら」
港のすぐ近くには、新鮮な食材を売っている市場がある。そのため、家具や雑貨類を売っている通りとは客層も違う。
市場は、どうにか値切ろうとする客とできるだけ多くの品物を売ろうとする商人の会話で大盛り上がりだ。
「小さい子も多いのね」
「はい。このあたりは治安もいいですから、おつかいにくる子も多いんですよ」
大量の魚を抱えた幼い子を見て、エリザが穏やかに微笑む。
「……羨ましいわ」
あんなに小さい時から、自由に海が見られるなんて。
「そうとは限らないぞ」
いきなり聞こえてきた声に驚く。慌てて振り向くと、そこにいたのはアンドレアだった。
「アンドレア……」
「今日はあの男……いや、ロレンツォ様はいないんだよな?」
メイドであるエリザを見て、慌ててロレンツォ様、とアンドレアは訂正した。
しかしこの場から立ち去る気はないようで、ラウラに近づいてくる。
どうしよう。
ロレンツォは、わたくしに近づくな、とアンドレアに怒鳴っていたけれど……。
エリザがいるとはいえ、再びアンドレアと話しているところを見られでもしたら、大変なことになってしまうのではないか。
そう思うものの、話しかけられてしまった以上、無視して逃げ出すこともできない。
「ラウラがロレンツォ様の恋人だという噂は、ただの噂だよな?」
否定も肯定もできないでいると、アンドレアは沈黙を肯定と判断したらしい。
「ラウラは昔から海が好きだったよな。そうだ。これ、いるか?」
アンドレアが鞄から取り出したのは、小さな貝殻だった。薄桃色の貝殻は形が綺麗だが、このあたりでは見たことがない。
「異国から持ち帰ったんだ。綺麗だろ」
「ええ、綺麗だけど……」
こんなものを持ちかえれば、ロレンツォに怪しまれてしまう。そう思うと、手を差し出すことはできない。
アンドレアは寂しそうな顔をして、貝殻を鞄にしまった。
「なあ、ラウラ。さっき、子供たちを羨んでただろ?」
「ええ」
「確かに、その気持ちも分かる。でも俺は、そうとは限らないとも思うんだ」
早くここから立ち去った方がいい。分かっているのに、つい、アンドレアの話に耳を傾けてしまう。
屋敷から出られずにいた頃は、彼の話が外の世界を知る数少ない手立てだったから。
「ここに買い物にくる大半の子どもは、外国から運ばれてきた物を買えない。高いからな。だったら、存在を知らない方がいい、って考えもできないか?」
「……それは」
「旅先で耳にしたんだ。幸福度が高い街ってのは、豊かさとは関係ないらしいってな。外の世界を知らない方が、現状に満足して幸せでいられるらしい」
アンドレアの言っていることも分かる。
けれど、納得はできない。ラウラは一度だって、海を知らなければよかったと思ったことはないから。
「なあ、ラウラ。俺と暮らさないか?」
「えっ?」
「そんなに金はないけど、二人で暮らすくらいの金はある。それに、一緒に旅をするのもいいだろう? ラウラはずっと、海の向こうに行きたがってたんだから」
確かに、海の向こうに憧れていた。いつか、遠くへ行きたいと思っていた。
でもそれは、屋敷から逃げ出したかったから……というのも大きい。
「ラウラ」
名前を呼ぶと、アンドレアは急に距離を詰めてきた。エリザを警戒しているのか、耳元で話を続ける。
「ロレンツォのことをいろいろと調べた。あいつ、かなり危ない男だぞ」
「……え?」
「裏の連中とも繋がりがあるらしい。しかも元々、ロンバルディ家で働く前のあいつはとんでもない荒くれ者で……」
いきなり、腕を強く引かれた。気づいた時にはすぐ近くにロレンツォの顔があって、思わず声を出してしまう。
「ロレンツォ……!?」
どうやらアンドレアの話に気をとられるあまり、彼の接近に気がつかなかったらしい。
これ、かなりまずいんじゃないかしら……!?
「ラウラお嬢様」
ロレンツォの眼差しがあまりにも冷ややかで、何も言えなくなる。アンドレアはすぐに逃げ出そうとしていたが、ロレンツォのお供の男たちに捕らえられていた。
「ロレンツォ、あのね、たまたまアンドレアと会っただけで……!」
事情を説明しなくては、と必死に口を開く。けれどロレンツォはラウラに一瞥もくれず、アンドレアを睨みつけていた。
「一切、お嬢様に近づくなと言ったよな。忘れたのか?」
「……も、申し訳ありません。ただ、その、友人として……」
「友人として、俺の悪口を吹き込んだと?」
アンドレアの顔が青くなる。
小声での会話内容が聞こえたはずがないが、しらを切るような余裕はなかったのだろう。
「やっぱりな。おい、お前ら。こいつの処分だが……」
「ま、待って!」
このままだと、アンドレアが酷い目に遭ってしまう。
「ロレンツォ、彼は……」
「この男を庇うんですか。なぜ? この男は、俺の悪口を貴女に吹き込んで、俺と貴女を引き離そうとしていたのに」
感情が昂っているからか、ロレンツォは自分のことを俺、と言った。
「貴女には、お仕置きが必要みたいだ」
そう言うと、ロレンツォはラウラを抱きかかえ、近くにとめてあった馬車に乗り込んだ。