お嬢様の人生、買わせていただきます

第13話 地下への階段

 そっと唇を離す。自分のとった行動の大胆さに、自分でも驚いた。

 わたくし、今、自分からロレンツォにキスをしちゃったわ。
 だって、つい……そうするのが一番、気持ちが伝わるんじゃないかって、そんな気がしちゃって。

「……お嬢様」

 ロレンツォの顔が赤い。自分からあれだけのことをしておいて、ラウラからのキス一つで赤くなるなんて。

「アンドレアと話して、貴方を不安にさせたこと、謝るわ」
「……いえ。悪いのは私です。ただ話していただけだと分かっていたのに、冷静なままではいられませんでした」
「それで、できれば……アンドレアには、何もしないでいてくれると助かるのだけれど」

 ラウラがそう言った瞬間、ぴくっ、とロレンツォの右眉がつり上がった。どうやら、アンドレアに対する嫌悪感はなくなっていないらしい。

「……お嬢様が、どうしてもとおっしゃるなら」
「ええ、どうしても。お願いよ、ロレンツォ」
「分かりました。すぐに指示を出して、あの男を解放しましょう。ですが……」
「分かってるわ。アンドレアと、必要以上に親しくしたりしない」

 アンドレアが話してくれる異国の話は面白いし、またいろんな話を聞きたいとも思う。
 けれど、ロレンツォを不安にさせてまで彼に会いたいとは思わない。

「それに、今度もし話すことがあれば、貴方をわたくしの恋人だと紹介するわ」
「……本当ですか?」
「ええ。噂が真実だということにしておけば、アンドレアもわたくしへの接触を控えるはずよ」

 満足そうにロレンツォが頷く。子供みたいな仕草が可愛くて、つい笑ってしまう。

 わたくしたちの本当の関係はなに? なんて、聞いてみたい気もするけど、それはまだ、やめておくわ。
 今のわたくしは、ロレンツォに与えられてばかりだもの。





 ベッドに寝転がって、ぼんやりと天井を眺める。
 ふと首筋に手をあててみると、ロレンツォの噛み痕がしっかりと残っていた。

 これ、しばらくの間は残るかしら。

 服を着ても隠れない位置にあるから、しばらくは髪を結うことは難しいだろう。

「……ロレンツォ、もう寝たかしら」

 あの後、ロレンツォは急いで港に戻った。商談に遅れてしまったことで、仕事に影響が出ていなければいいのだが。
 そのせいかロレンツォが屋敷に戻ってきたのは夜遅くで、すぐに自室に行ってしまった。

 目を閉じると今日のできごとがいろいろと頭に浮かんできて、なかなか眠れそうにない。それに横になっていると、ロレンツォに押し倒された時のことを思い出してしまう。

 怖かった。怖かった、けど……嫌じゃなかったわ、わたくし。
 わたくし、恋愛的な意味でも、ロレンツォのことが好きなのかしら?

 小さい時からずっと屋敷の中で生きてきて、恋なんてしたことがない。だから、この気持ちが恋だと断言することはまだできない。
 でも、ロレンツォのことが大切で、どうしようもなく大事だ。

 なんだか本当に眠れなくて、ラウラはベッドから下りた。

「水でも飲もうかしら」

 何時だろうと呼べばメイドがくるようになっているが、夜中にメイドを起こすのは気が引ける。
 水やコップがある場所は分かっているのだから、自分で行けばいい。

 部屋を出て、ラウラは階段を下りた。厨房は一階にあるのだ。
 水を飲んで再び部屋に戻ろうとしたところで、なぜか足が止まった。地下に続く階段を見て、動けなくなる。

 この下に、マルティナたちがいる……のよね?

 地下室には鉄格子がはめてあって、中から出ることは不可能だと言っていた。それに、常に見張りがついていて、危ないことをしないように監視しているとも。

「……様子を見にいってみようかしら」

 これからずっと、マルティナたちの存在を忘れて生きることはできないだろう。
 いつかは向き合わなければならない問題だ。

「こう思えるようになったのも、ロレンツォのおかげね」

 深呼吸をし、ラウラは地下へ続く階段を下り始めた。





 地下室は薄暗く、じめじめとしていた。ラウラがきた途端、見張りの男二名が敬礼する。

「お嬢様、なぜこのようなところに……」
「少しだけ、様子を見せてくれないかしら?」

 ラウラがそう言うと、男たちは黙って頷いた。

 地下室には、二つの部屋があった。どちらも鉄格子がはめられていて、中を観察することができる。
 一方の部屋にはマルティナとアリアンナが、もう一方には父親がいた。

 みんな、寝てるのね。

 部屋というより、彼女たちがいる場所は牢屋に近いだろう。牢屋にはぼろい布と水が入ったバケツがあるだけで、他は何もない。
 マルティナとアリアンナは、かなり痩せていた。それに、髪も肌もぼろぼろだ。

 これが、あのマルティナなのね。

「起こしますか?」

 見張りの男に問われ、ラウラは首を横に振った。

「もう今日は戻るわ」

 ラウラが階段を上ろうとした、ちょうどその時。

「待ってくれ、ラウラ」

 弱々しいその声は、間違いなく父のものだった。
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