お嬢様の人生、買わせていただきます

第15話(ロレンツォ視点)偶像

 昨夜、泣き疲れてラウラはそのまま寝てしまった。
 眠ったラウラを彼女の部屋まで運んで自室へ戻ろうとしたが、寝ぼけたラウラが離してくれなかったのだ。

 起きたら、びっくりするだろうな。

 そっと、隣で眠っているラウラの頭を撫でる。わずかに身じろぎしただけで、すぐにまた心地よさそうな寝息が聞こえてきた。

 お嬢様は、本当に美しい。

 そっとラウラの頬に触れる。絹のように滑らかな肌は、ずっと触っていたくなるほど気持ちがいい。

 それにお嬢様は、心まで綺麗だ。

 初めてラウラに会った時、その美しさにまず衝撃を受けた。だが、一番驚いたのは、彼女がロレンツォに向かって笑顔で挨拶をしてくれたことだ。
 きっと彼女がすれば、当たり前のことだったのだろう。それが分かったから、なおさら彼女が眩しかった。

 母に捨てられ、生き延びるためになんでもやった。汚い言葉を投げかけられるのはしょっちゅうで、汚物を見るような眼差しばかり向けられていた。
 そんなロレンツォのことを、ラウラは優しい笑顔で見つめてくれた。

「お嬢様のおかげで、真っ当な道に進もうと思えたんです」

 そっと、彼女の髪を撫でる。

「貴女の隣に相応しい男になりたいと、そう思ったから」

 悪事に手を染めたこともあるが、仕方がないことだと思っていた。実際、生きるために必要なことだったのも確かだ。
 それでいいし、自分の人生はそんなものだと、常に諦念を抱いて生きていた。

 お嬢様に出会うまでは。

 ラウラが普通に接してくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。
 家族から虐げられても他人に笑顔で接することができる彼女の気高さが、眩しくてたまらなかった。

 ラウラにその気持ちを伝えられなかったのは、それが彼女のためにならないことを知っていたからだ。
 当時のロレンツォには、ラウラを救う力はなかったから。

「朝ですよ、お嬢様」

 そっと額に口づける。やはり、まだ目を開けない。
 なら、唇はどうだろう。

 ……嫌われたくない。お嬢様に、拒まれたくない。
 けれどそれ以上に、他人にとられたくない。

 ここへきてから、ラウラはどんどん変わっている。日に日に笑顔が増え、明るくなり、前向きになった。
 それを嬉しく思う反面、遠くに行ってしまうのではないかと、たまに怖くなる。

 ラウラの首筋につけた噛み痕は、もうずいぶんと薄くなってしまった。

「……ロレンツォ?」

 ゆっくりとラウラが目を開く。

「……おはよう、ロレンツォ」

 いつも通りの笑顔だ。けれど、泣き過ぎたせいで瞼が腫れてしまっている。

「朝まで傍にいてくれてありがとう。貴方のおかげで、ちゃんと眠れたわ」
「それはよかったです」
「忙しいのに、ごめんね。今日だって仕事でしょう?」
「気にしないでください。私もちゃんと眠りましたから」

 よかった、と言いながらラウラはベッドから下りる。その動作があまりにも自然体で、驚いてしまう。

「お嬢様」
「なに?」
「……あいつらは、どうしますか?」

 ラウラの顔が一瞬引きつったのを、ロレンツォは見逃さなかった。

「私は、許すつもりはありません」

 前妻の子だからという理由でラウラを虐げたアリアンナも、ロンバルディ家の跡継ぎとしてラウラをいじめていたマルティナも、実の娘が冷遇されるのを黙って見ていただけのベニートも。

「……わたくしはきっと、あの人たちのことを許せないと思う」
「許す必要なんてありませんよ」
「ありがとう。わたくしも、ちゃんとそう思えるようになったわ」

 ラウラは数秒間黙り込み、そして、ゆっくりと口を開いた。

「でもとりあえず……毛布くらいは、あげてくれないかしら」
「……お嬢様」
「許したわけじゃないの。あそこから今すぐ出してほしい、とも言えない。でも……」

 ラウラの辛そうな顔を見ているだけで、ロレンツォまで辛くなってしまう。
 きっと彼女は今、過去と必死に向き合っている最中なのだ。

「分かりました。お嬢様がおっしゃるのなら」

 本当は、温かい毛布をあげるのは嫌だ。一生薄暗い地下室で苦しめばいいと思ってしまうし、ラウラが受けた以上の屈辱を与えてやりたい。

 でも俺は、お嬢様がそんなことを望まないことは分かっている。

「ありがとう、ロレンツォ」
「いえ」
「わたくしがこんなことを思えたのも、貴方のおかげよ。ロレンツォのおかげで今が幸せだからだわ」
「……礼を言うのは、私の方ですよ」
「いいえ、わたくしよ!」

 そう言って、無邪気に笑うラウラが愛おしい。昔よりも表情が豊かになったラウラのことを、昔以上に可愛く感じてしまう。

 お嬢様は、俺を救ってくれた。俺の心の支えで……ある意味、偶像のような存在でもあった。
 
 共に暮らし、以前よりずっとラウラのことを知った。そんな今、前よりもラウラが愛しい。
 こんな風に、誰かを大切に思うのは初めてだ。

「朝食にしましょうか、お嬢様」
「ええ! 今日は、いつもの二倍は食べられそうだわ」
「三倍でも四倍でも、いくらでも食べてください」
「そんなに食べられないわよ」

 笑いながら、ラウラが部屋を出ていく。長い髪には寝癖がついていて、そんなところさえも愛おしく感じた。

 彼女は偶像なんかじゃなく、生身の人間だ。
 だからロンバルディ家の人間に対する処遇にも迷いがあるのだろう。

 貴女に会えない間、貴女は俺にとっての女神さまのようなものだった。

「お嬢様」

 ラウラが振り向く。なにかしら、と笑う瞳にはロレンツォへの信頼が宿っていた。

「いえ。私も、お腹が空いたなと思っただけです」

 今はもう、お嬢様を女神のようには思わない。
 一人の少女として、お嬢様のことが好きだ。
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