お嬢様の人生、買わせていただきます
第18話 希望
「うっ……う……ロ、ロレンツォ、ま、まだ港に着かないの……?」
地面に座り込み、両手で口をおさえる。頭がぐらぐらして、じっとしていても辛い。それに、胃の中がひっくり返って、先程食べたばかりの料理が全て出てきてしまいそうだ。
そう。完全な船酔いである。
船酔いをしてみたいだなんて、馬鹿なことを言ったわ……。
こんなの、二度と経験したくない……!
「あと少しです、お嬢様。大丈夫ですか?」
焦った声で言いながら、ロレンツォが背中をさすってくれる。しかし、全く気分はよくならない。
「辛かったら、吐いても大丈夫ですからね」
「……そ、それは嫌」
「お嬢様、意地を張らなくてもいいんですよ」
これは意地ではない。乙女としての矜持だ。
お願い。今すぐ、港について!
心の中で何度もそう叫びながら、ラウラは必死に手のひらで口を押さえ続けたのだった。
◆
「落ち着きましたか、お嬢様」
「……ごめんなさい、ロレンツォ。せっかく、わたくしを船に乗せてくれたのに」
港に戻り、水を飲んで少し休憩すると、気分がよくなった。
もっともまだ万全の体調とは言えず、屋敷に戻るために馬車に揺られることを考えると憂鬱なのだが。
「いえ。船酔い中のお嬢様も、すごく可愛らしかったです」
「……それ、褒めてるの?」
「褒めてますよ、当然」
はあ、と溜息を吐く。ゆっくりと深呼吸をし、新鮮な夜の空気を吸い込む。
ふと周りを見回すと、港にはそれなりに人がいた。
「ここは夜でも栄えているのね」
「はい。夜に営業しているお店もありますし、なにより、日中は仕事で出かけられない人も多いですからね」
「……そうよね」
「ええ。お嬢様と同じように、海の向こうに憧れを抱く人は、この街には多いのです」
商人の街・プリマヴェーラ。世界的に見ればここは豊かで、商人ばかりが暮らす街だ。でも、商人だけが暮らしているわけじゃない。
街があれば、人の生活がある。そしてもちろん、いろんな仕事がある。
ここは、稼げない人には厳しい街だわ。ロンバルディ家のことだってきっと、もうみんな忘れているはずよ。
「お嬢様。私、安心したんです。お嬢様が船酔いをしているのを見て」
「どうして?」
「あれでは、外国になんて行けないだろうと」
ラウラの目を見て、ロレンツォがくすっと笑った。
「でしょう? 外国に行くためには、何日も船の上で暮らさなければならないんですよ」
「……そのうち慣れるかもしれないわ」
なんとなくそう言い返すと、そうですね、とロレンツォが切なげに言った。
予想外の反応に戸惑う。
「お嬢様は、外国へ行きたいと思いますか?」
ロレンツォの問いかけに、即座に反応することができなかった。
ちょっと前までのラウラなら……ロレンツォが迎えにきてくれる前のラウラなら、迷わず頷いただろう。
こんなところを飛び出して、海の向こうへ行きたい、と。
でも、今は……今のわたくしは。
ここでの暮らしを、愛おしいと思っている。ここはもう、逃げ出したい場所なんかじゃない。
「……わたくしはロレンツォの物でしょ。勝手に、どこかへ行ったりはできないわ」
自分でも、狡い返事だと思う。
口にした直後、そう反省した。
「でも、お嬢様はずっと、海の向こうに憧れていた」
「それは、わたくしにとって救いだったからよ。世界は広くて、いろんな物があって、だから、わたくしが苦しんでいるのなんか、狭い世界のできごとだって……」
言いながら、自分の考えに気づく。
どうしてわたくし、今までこんな簡単なことに気がつかなかったのかしら。
ラウラが求めていたのは、異国そのものでも、輸入品そのものでもない。
希望だ。ラウラはずっと、希望を欲していた。
希望を象徴する物が、ラウラにとっては海であり、異国の品だったのだ。
「お嬢様?」
希望があったから、絶望せずに済んだ。辛い日も、なんとか自分の心を慰められた。
そして、ロレンツォが迎えにきてくれた。
きっとここにはまだ、わたくしのように苦しんでいる人がいる。
でもわたくしは、全ての人を迎えに行ってあげることはできない。
「ねえ、ロレンツォ。わたくし、見つけたかもしれないわ」
「なにをです?」
「やりたいことをよ!」
立ち上がり、大きく腕を広げる。いきなり動いて頭が痛くなったけれど、そんなことは気にしていられない。
「わたくし、人に希望を届けたいんだわ」
助けてあげることはできなくても、心の支えになるものを掴むきっかけを与えることくらいはできるかもしれない。
わたくしの行動で、誰かが、ちょっとでも希望を持ってくれたら。ぎりぎりのところで、踏ん張ろうと思ってくれたなら。
それはきっと、とても幸せなことのはずだ。
地面に座り込み、両手で口をおさえる。頭がぐらぐらして、じっとしていても辛い。それに、胃の中がひっくり返って、先程食べたばかりの料理が全て出てきてしまいそうだ。
そう。完全な船酔いである。
船酔いをしてみたいだなんて、馬鹿なことを言ったわ……。
こんなの、二度と経験したくない……!
「あと少しです、お嬢様。大丈夫ですか?」
焦った声で言いながら、ロレンツォが背中をさすってくれる。しかし、全く気分はよくならない。
「辛かったら、吐いても大丈夫ですからね」
「……そ、それは嫌」
「お嬢様、意地を張らなくてもいいんですよ」
これは意地ではない。乙女としての矜持だ。
お願い。今すぐ、港について!
心の中で何度もそう叫びながら、ラウラは必死に手のひらで口を押さえ続けたのだった。
◆
「落ち着きましたか、お嬢様」
「……ごめんなさい、ロレンツォ。せっかく、わたくしを船に乗せてくれたのに」
港に戻り、水を飲んで少し休憩すると、気分がよくなった。
もっともまだ万全の体調とは言えず、屋敷に戻るために馬車に揺られることを考えると憂鬱なのだが。
「いえ。船酔い中のお嬢様も、すごく可愛らしかったです」
「……それ、褒めてるの?」
「褒めてますよ、当然」
はあ、と溜息を吐く。ゆっくりと深呼吸をし、新鮮な夜の空気を吸い込む。
ふと周りを見回すと、港にはそれなりに人がいた。
「ここは夜でも栄えているのね」
「はい。夜に営業しているお店もありますし、なにより、日中は仕事で出かけられない人も多いですからね」
「……そうよね」
「ええ。お嬢様と同じように、海の向こうに憧れを抱く人は、この街には多いのです」
商人の街・プリマヴェーラ。世界的に見ればここは豊かで、商人ばかりが暮らす街だ。でも、商人だけが暮らしているわけじゃない。
街があれば、人の生活がある。そしてもちろん、いろんな仕事がある。
ここは、稼げない人には厳しい街だわ。ロンバルディ家のことだってきっと、もうみんな忘れているはずよ。
「お嬢様。私、安心したんです。お嬢様が船酔いをしているのを見て」
「どうして?」
「あれでは、外国になんて行けないだろうと」
ラウラの目を見て、ロレンツォがくすっと笑った。
「でしょう? 外国に行くためには、何日も船の上で暮らさなければならないんですよ」
「……そのうち慣れるかもしれないわ」
なんとなくそう言い返すと、そうですね、とロレンツォが切なげに言った。
予想外の反応に戸惑う。
「お嬢様は、外国へ行きたいと思いますか?」
ロレンツォの問いかけに、即座に反応することができなかった。
ちょっと前までのラウラなら……ロレンツォが迎えにきてくれる前のラウラなら、迷わず頷いただろう。
こんなところを飛び出して、海の向こうへ行きたい、と。
でも、今は……今のわたくしは。
ここでの暮らしを、愛おしいと思っている。ここはもう、逃げ出したい場所なんかじゃない。
「……わたくしはロレンツォの物でしょ。勝手に、どこかへ行ったりはできないわ」
自分でも、狡い返事だと思う。
口にした直後、そう反省した。
「でも、お嬢様はずっと、海の向こうに憧れていた」
「それは、わたくしにとって救いだったからよ。世界は広くて、いろんな物があって、だから、わたくしが苦しんでいるのなんか、狭い世界のできごとだって……」
言いながら、自分の考えに気づく。
どうしてわたくし、今までこんな簡単なことに気がつかなかったのかしら。
ラウラが求めていたのは、異国そのものでも、輸入品そのものでもない。
希望だ。ラウラはずっと、希望を欲していた。
希望を象徴する物が、ラウラにとっては海であり、異国の品だったのだ。
「お嬢様?」
希望があったから、絶望せずに済んだ。辛い日も、なんとか自分の心を慰められた。
そして、ロレンツォが迎えにきてくれた。
きっとここにはまだ、わたくしのように苦しんでいる人がいる。
でもわたくしは、全ての人を迎えに行ってあげることはできない。
「ねえ、ロレンツォ。わたくし、見つけたかもしれないわ」
「なにをです?」
「やりたいことをよ!」
立ち上がり、大きく腕を広げる。いきなり動いて頭が痛くなったけれど、そんなことは気にしていられない。
「わたくし、人に希望を届けたいんだわ」
助けてあげることはできなくても、心の支えになるものを掴むきっかけを与えることくらいはできるかもしれない。
わたくしの行動で、誰かが、ちょっとでも希望を持ってくれたら。ぎりぎりのところで、踏ん張ろうと思ってくれたなら。
それはきっと、とても幸せなことのはずだ。