蒼穹の覇者は、激愛で契約妻と秘密の我が子を逃がさない
5章・あれから三年
「玲奈ちゃん、お客さんに道案内をお願いできる?」
三月、御殿場にあるペンション・バウムクローネ。
そこのレストランで仕込みの手伝いをしていた玲奈は、受け付けから聞こえてくるオーナー兼、遠縁である松原梢の言葉に明るく返事をする。
「は~い。今行きます」
手を洗って受付に顔を出すと、動きやすそうな服装に身を固めた高齢夫婦がにこやかに微笑かけてくる。
「Sorry to bother you when you’re busy」
透明感ある碧眼の婦人が、柔らかに微笑む。隣に立つ夫も、軽い会釈で玲奈にアイコンタクトをくれる。
「Please don’t worry about it. I’m just happy we got to talk」
人懐っこい笑顔と共に、繰り出す玲奈の流暢な英語に、夫妻が表情を輝かせる。
そのまま言葉を重ねると、夫婦で富士山を眺めながら一日がかりでトレッキングを楽しむつもりでいたのだが、夫人の膝が痛むので、予定変更したいとのことだ。
それでなにかお勧めのレジャーや、近場で景色を楽しめる短いルートがあれば教えてほしいとのことだった。
玲奈は夫妻の要望を確認しつつ、いくつかの提案をしていく。ついでに、メジャーな観光地ではなく、自然を楽しむのが目的だったのであれば、電動アシスト付きのレンタルサイクルがあることも伝えた。
すると夫人がサイクリングを希望したので、そのままレンタルサイクルの予約も代行する。
そういったやり取りの途中の世間話で、夫妻がアメリカから訪れたと知ると、玲奈の胸が鈍く痛んだ。
悠眞との決別を覚悟した日からずっと続く、この喪失感は永遠に癒えることのないだろう。
(あれからもう、三年経っているのに……)
どれだけ時が過ぎても、悠眞を想う気持ちが色褪せることはない。
玲奈が書いたメモを手に出かけていく夫妻を見送っていると、ポンと肩を叩かれた。
振り向くと、このペンションのオーナーである梢がいた。
「玲奈ちゃん、ありがとう。私の語学力じゃお手上げよ」
ねぎらいの言葉に、玲奈はとんでもないと、大げさに首を振る。
「そんなぁ。これくらい、たいしたことじゃないです。逆に私なんかでもお役に立てることがあって、ホッとします」
「なに言ってるの、語学堪能なうえに料理上手で、この三年、私がどれだけ助けられていることか」
梢はそう言ってくれるが、彼女はもとパティシエで、かなりの料理上手だ。
「語学に関しては、両親に感謝すべきなんでしょうね」
本家の瑠依奈と張り合うためとはいえ、玲奈が語学堪能なのは、両親が教育熱心だったおかげだ。
自分の人生に役立っているのだから、それは素直に認めるべきと思っての発言だったのだけれど、梢が、なんとも言えない顔をする。
「あと料理の腕は、悠眞さんと暮らしていたころバイトしていたカフェのオーナーが鍛えてくれたおかげです」
本当はクレールでは、接客がメインだったので、料理はそれほど手伝っていない。
ただ悠眞と暮らした役一年の間、忙しい彼の体調管理に気を配っていたことで、玲奈の調理の腕は飛躍的に上達した。
もともと料理好きだったけど、自分の料理を喜んで食べてくれる人がいるというのは、なによりの励みになる。
今の梢は、悠眞にあまりいい印象を抱いていないので、彼の名前に一瞬難しい顔をする。
「そう。……玲奈ちゃんが働いていたお店には、いつか行ってみたいわね」
それでも玲奈に気を遣って、彼の存在に触れることなく、さりげなく話題を逸らす。
そんな梢が「もちろん、あの子たちも連れてね」と、付け足した時、その言葉に反応したようにパタパタと小さな足音が聞こえた。
「あら、もう起きちゃった」
梢が足音のする方に視線を向ける。
玲奈もそちらを見ると、幼い子供がふたり、競うようにこちらに駆けてくる。
四月の保育園入園を前に、今日はお試し保育を兼ねた二時間程度のレクリエーションがあった。
ご機嫌で遊んでいたけど、はしゃぎすぎて疲れたのか、帰ってくるなり、電池が切れたように眠っていたが目が覚めたらしい。
「ママ、たっこ」
色素の薄い髪をツインテールにしている女の子が、玲奈に両手を広げて抱っこをせがむ。
「鈴桜、おはよう」
玲奈は抱っこをせがむ我が子を、ヒョイと抱きあげた。
それを見て、一足遅れで駆けてきた男の子がぐずる。
「りお、ずるいぃ」
舌っ足らずな言葉で抗議するのは、鈴桜の双子の兄である優聖だ。
「はいはい。優聖も抱っこね」
もともとふっくらした頬を、さらに膨らまして怒る息子の髪を玲奈はよしよしと撫でた。
自分の首にしがみつく鈴桜をどうにか片腕で抱っこして、腰を屈めて、もう一方の腕で優聖を抱っこしようとした。
でも先に、梢が優聖を抱きあげる。
「優聖は、おばちゃんが抱っこしてあげる」
そう言って抱きあげられたついでにお腹をくすぐられて、優聖は、キャッキャッと笑い声を上げて体をくねらせた。
それで機嫌が直ったらしく、優聖は、そのまま梢の腕の中に収まる。
「梢さん、ありがとう」
「二歳を過ぎて、ふたりとも大きくなったから、同時に抱っこするのはきついでしょ」
お礼を伝える玲奈に、梢が言う。
梢の気遣いに感謝しつつ、玲奈は、この三年のことをふり返る。
三年前、母の噓を見抜けず実家に戻った玲奈は、その後悠眞のもとに戻ることはなかった。
それは、彼を想ってのことだ。
どこまでも身勝手で、自分たちの虚栄心を満たすことしか考えていない両親が悠眞の素性を知れば、ふたりの結婚を認める代わりに、本家を見返す道具として、彼の家族まで巻き込むのが目に見えている。
会社の建て直しに奔走している悠眞や、体調を崩している泰成にとって、玲奈の両親の存在は迷惑でしかない。
それで玲奈は、鷹翔との別れを決意した。
だからといって、今さら両親の言いなりになるつもりもなかったので、両親の監視の目を盗んで梢に連絡を取り、悠眞と別れたが、今さら実家で暮らす気もないので雇ってほしいと頼んだのだ。
梢はそれを快諾し、いつでも自分を頼ってきてほしいと言ってくれた。
面倒見のいい彼女に迷惑をかけることなく、家を出るにはどうしたらいいか……その方法とタイミングを探っていたところ、思いがけず玲奈の妊娠が発覚したのだ。
前回の縁談が破談になった後、表向き玲奈は、もと花婿や瑠依奈の心ない裏切りにショックを受けて病に伏せっていることになっていたらしい。
そんなでたらめな情報を信じたからこそ、玲奈を気の毒に思い、自分の妻にしてやろうという気になっていた相手は、玲奈の妊娠を知り、『話しが違う』『ひどいあばずれだ』と激怒した。
結果、縁談は破談となり、玲奈は今度こそ両親に勘当を言い渡され、今の状況に至る。
「本当に梢さんには助けられてばかりです」
自身の妊娠を知った玲奈に、迷いはなかった。
なにがあっても彼との間の子供を産み、立派に育てたいと思った。
梢は、そんな玲奈の覚悟を聞き、彼女が経営するペンションに住み込みで働けばいいし、出産後は子育てを手伝うとまで言ってくれたのだ。
そんな梢の援助のおかげで、玲奈は双子の子育てができている。
「なに言ってるの。私にとって玲奈ちゃんはもう実の娘も同然なんだから、優聖と鈴桜は、私の孫ですもの」
そう言って梢は、優聖の体を大きく揺らしてみせた。
まだまだ元気ではあるが、孫がいてもおかしくない年齢まで独身できた梢は、本当に玲奈と双子を、自分の娘と孫のように扱ってくれている。
梢にブンブン揺らされて、優聖は、キャッキャッと声をあげて笑う。
それを見た鈴桜が、「ゆうちぇ、ズルい!」と、抗議した。
一卵性ではないためか、性別の違いがあるためか、鈴桜と優聖は、見た目も性格もかなり異なる。
鈴桜は、好き嫌いがハッキリしている悠眞の性格を思わせる。それでいて顔立ちは、玲奈の子供の頃を知っている梢がソックリと驚くほど、母親譲りだ。
対する優聖は、髪や、薄い唇、奥二重の目の形といった顔のパーツの一つ一つに悠眞の面影を感じさせる。その反面性格は、自己主張が苦手な引っ込みじあんだ。誰に似たかと言えば、もちろん玲奈である。
(悠眞さん似の顔で私の性格の優聖と、私似の顔で悠眞さんの性格の鈴桜……)
どちらにも玲奈と悠眞の面影があって、彼と過ごした幸せな日々が幻ではなかったのだと感じられることがうれしい。
父親がいないことで、寂しい思いをさせてしまうことがあるかもしれないけど、それを補えるようせいいっぱい子育てをしていく覚悟でいる。
「ゆうちぇがズルい。りおも」
(悠眞さんはもう、他の女性と結婚しているのかもしれない……)
鈴桜にねだられ体を揺らしてあげる玲奈の胸に、ふとそんな思いがよぎる。
後になって聞かされたことだが、梢は、別れたにしても玲奈の妊娠のことは知らせておくべきと考えて、ひとりで悠眞のマンションまで押しかけたそうだ。
玲奈と両親の間に入って必要なやり取りをしてもらったことがあるので、玲奈に改めて聞かなくても、マンションの住所は知っていた。
それで忙しい仕事の合間を縫って、ひとりで彼のもとを訊ねてみたのだけど、その時には既に悠眞は引っ越した後だった。
出入りするマンションの住人の数人に声をかけ、玲奈を知っている人を見つけて話しを聞いたところ、悠眞は玲奈が姿を消してすぐに、マンションを引き払い、渡米したとのことだった。
玲奈がいなくなった途端、自分を捜すことなく予定を前倒しにする彼の切り替えの速さに、悲しくないと言えば嘘になる。
だけど悠眞からすれば、玲奈は、仕事を辞めた直後【しばらく実家に帰ります】なんてメモを残して数日分の着替えを持って消えたのだ。
捜すまでもなく、心変わりをして、実家に帰ったと理解したのだろう。
玲奈は親にスマホを取り上げられ音信不通となっていたので、なおのことだ。
そしてそれならそれでかまわないと、自分から玲奈と連絡を取ることもなく、予定を前倒しして渡米したのだ。
一度は永遠の愛を誓った関係だけれど、もともと自分たちは、条件の一致により、契約結婚を考えていただけの関係にすぎない。
玲奈が姿を消した途端、彼の想いが冷めたとしても仕方がない。
悠眞にとって玲奈の存在はその程度のものだという事実は悲しいが、自分の不在が彼の負担になるより、その方がずっといい。
しかも玲奈のもとには、彼と愛し合った日々の置き土産のような双子がいる。
双子を大事に育てようと決意して、今日までやってきた。
「そういえば玲奈ちゃん、週末の東京出張の準備は大丈夫? 買い物とかあるなら、梅田君に来てもらって、午後はおちびさんふたりを見ておくわよ」
梅田君とは、梅田一郎という名前の、バウムクローネのバイト従業員のことだ。
年齢は今二十八歳の玲奈より三歳年上の三十一歳で、普段は実家の農業を手伝っている。
彼の実家の農家とバウムクローネが提携している縁で、気分転換も兼ねて忙しい時だけ手伝いにきてくれているという感じだ。
きょうだいが多いとのことで、子供の扱いにも慣れていて、優聖も鈴桜も彼になついている。
「うめちゃん?」
「あしょぶ」
梅田に懐いている双子が素早く反応するが、玲奈は、その気遣いは不要と首を横にふる。
「ありがとうございます。でも出張の準備はできているから、大丈夫です」
そう答えて、玲奈は鈴桜を床に下ろした。ついでに、梢に甘えている優聖も、抱きかかえて床に下ろす。
「え〜」
「うめちゃんは〜?」
双子は揃って、抗議の声をあげた。
こういう時だけ、やたら意見が揃うので困る。
「梅田さんも、忙しいんだから」
玲奈は、揃って頬をふくらませる双子の背中を押して、フロントロビーにあるキッズスペースで遊ぶよう促した。
すると、鈴桜が優聖の手を引いて、とてとてとそちらへ駆けていく。
その背中を見送りながら、玲奈は梢に確認する。
「本当に、あの子たちを一晩預けていいんですか?」
心配する玲奈を見て、梢が笑う。
「一緒に住んでいるんだし、私の代わりに東京に行ってもらうんだから、遠慮しないで」
玲奈と双子は、バウムクローネに併設されている住居に梢と一緒に住まわせてもらっている。
そしてこの週末は、玲奈は東京で開催される展示会に参加するために家を留守にする予定だ。
地方創生・地域特色プロモーションをコンセプトに唱った銀行主催のイベントで、日本各地の中小企業や自治体、観光事業者が一同に集まり、三月末の金曜日から日曜日までの三日間をかけて日替わりで自慢の特産物や観光資源をPRするそうだ。
バウムクローネは、アルバイトを含めて従業員六人ほどのペンションのため、積極的に参加するつもりはなかったのだけれど、インバウンド利用が多いことと、語学堪能な玲奈がいることから、通訳も兼ねて一日だけでも参加してほしいと、同じ観光協会の人に頼まれて、金曜日のイベントに参加するはこびとなった。
早朝出て夜遅く帰るようにすれば日帰りも可能だけど、梢にせっかくなので他のブースも覗いて、他の観光地ではどういった取り組みをしていか、個人経営のペンションはどういった特色を出すと好まれるのかといった情報収集をしてきてほしいと言われた。
そのついでに、東京観光もしてくればいいと言ってくれているので、半分は玲奈への気遣いなのだろう。
優聖と鈴桜に、玲奈が一日不在で寂しくないか確認したが、梢がいれば全然かまわないとのことだった。
(私がいなくても大丈夫だなんて、うれしいような、悲しいような)
玲奈は、宿泊客用のキッズスペースで遊ぶ双子を見守った。
三月、御殿場にあるペンション・バウムクローネ。
そこのレストランで仕込みの手伝いをしていた玲奈は、受け付けから聞こえてくるオーナー兼、遠縁である松原梢の言葉に明るく返事をする。
「は~い。今行きます」
手を洗って受付に顔を出すと、動きやすそうな服装に身を固めた高齢夫婦がにこやかに微笑かけてくる。
「Sorry to bother you when you’re busy」
透明感ある碧眼の婦人が、柔らかに微笑む。隣に立つ夫も、軽い会釈で玲奈にアイコンタクトをくれる。
「Please don’t worry about it. I’m just happy we got to talk」
人懐っこい笑顔と共に、繰り出す玲奈の流暢な英語に、夫妻が表情を輝かせる。
そのまま言葉を重ねると、夫婦で富士山を眺めながら一日がかりでトレッキングを楽しむつもりでいたのだが、夫人の膝が痛むので、予定変更したいとのことだ。
それでなにかお勧めのレジャーや、近場で景色を楽しめる短いルートがあれば教えてほしいとのことだった。
玲奈は夫妻の要望を確認しつつ、いくつかの提案をしていく。ついでに、メジャーな観光地ではなく、自然を楽しむのが目的だったのであれば、電動アシスト付きのレンタルサイクルがあることも伝えた。
すると夫人がサイクリングを希望したので、そのままレンタルサイクルの予約も代行する。
そういったやり取りの途中の世間話で、夫妻がアメリカから訪れたと知ると、玲奈の胸が鈍く痛んだ。
悠眞との決別を覚悟した日からずっと続く、この喪失感は永遠に癒えることのないだろう。
(あれからもう、三年経っているのに……)
どれだけ時が過ぎても、悠眞を想う気持ちが色褪せることはない。
玲奈が書いたメモを手に出かけていく夫妻を見送っていると、ポンと肩を叩かれた。
振り向くと、このペンションのオーナーである梢がいた。
「玲奈ちゃん、ありがとう。私の語学力じゃお手上げよ」
ねぎらいの言葉に、玲奈はとんでもないと、大げさに首を振る。
「そんなぁ。これくらい、たいしたことじゃないです。逆に私なんかでもお役に立てることがあって、ホッとします」
「なに言ってるの、語学堪能なうえに料理上手で、この三年、私がどれだけ助けられていることか」
梢はそう言ってくれるが、彼女はもとパティシエで、かなりの料理上手だ。
「語学に関しては、両親に感謝すべきなんでしょうね」
本家の瑠依奈と張り合うためとはいえ、玲奈が語学堪能なのは、両親が教育熱心だったおかげだ。
自分の人生に役立っているのだから、それは素直に認めるべきと思っての発言だったのだけれど、梢が、なんとも言えない顔をする。
「あと料理の腕は、悠眞さんと暮らしていたころバイトしていたカフェのオーナーが鍛えてくれたおかげです」
本当はクレールでは、接客がメインだったので、料理はそれほど手伝っていない。
ただ悠眞と暮らした役一年の間、忙しい彼の体調管理に気を配っていたことで、玲奈の調理の腕は飛躍的に上達した。
もともと料理好きだったけど、自分の料理を喜んで食べてくれる人がいるというのは、なによりの励みになる。
今の梢は、悠眞にあまりいい印象を抱いていないので、彼の名前に一瞬難しい顔をする。
「そう。……玲奈ちゃんが働いていたお店には、いつか行ってみたいわね」
それでも玲奈に気を遣って、彼の存在に触れることなく、さりげなく話題を逸らす。
そんな梢が「もちろん、あの子たちも連れてね」と、付け足した時、その言葉に反応したようにパタパタと小さな足音が聞こえた。
「あら、もう起きちゃった」
梢が足音のする方に視線を向ける。
玲奈もそちらを見ると、幼い子供がふたり、競うようにこちらに駆けてくる。
四月の保育園入園を前に、今日はお試し保育を兼ねた二時間程度のレクリエーションがあった。
ご機嫌で遊んでいたけど、はしゃぎすぎて疲れたのか、帰ってくるなり、電池が切れたように眠っていたが目が覚めたらしい。
「ママ、たっこ」
色素の薄い髪をツインテールにしている女の子が、玲奈に両手を広げて抱っこをせがむ。
「鈴桜、おはよう」
玲奈は抱っこをせがむ我が子を、ヒョイと抱きあげた。
それを見て、一足遅れで駆けてきた男の子がぐずる。
「りお、ずるいぃ」
舌っ足らずな言葉で抗議するのは、鈴桜の双子の兄である優聖だ。
「はいはい。優聖も抱っこね」
もともとふっくらした頬を、さらに膨らまして怒る息子の髪を玲奈はよしよしと撫でた。
自分の首にしがみつく鈴桜をどうにか片腕で抱っこして、腰を屈めて、もう一方の腕で優聖を抱っこしようとした。
でも先に、梢が優聖を抱きあげる。
「優聖は、おばちゃんが抱っこしてあげる」
そう言って抱きあげられたついでにお腹をくすぐられて、優聖は、キャッキャッと笑い声を上げて体をくねらせた。
それで機嫌が直ったらしく、優聖は、そのまま梢の腕の中に収まる。
「梢さん、ありがとう」
「二歳を過ぎて、ふたりとも大きくなったから、同時に抱っこするのはきついでしょ」
お礼を伝える玲奈に、梢が言う。
梢の気遣いに感謝しつつ、玲奈は、この三年のことをふり返る。
三年前、母の噓を見抜けず実家に戻った玲奈は、その後悠眞のもとに戻ることはなかった。
それは、彼を想ってのことだ。
どこまでも身勝手で、自分たちの虚栄心を満たすことしか考えていない両親が悠眞の素性を知れば、ふたりの結婚を認める代わりに、本家を見返す道具として、彼の家族まで巻き込むのが目に見えている。
会社の建て直しに奔走している悠眞や、体調を崩している泰成にとって、玲奈の両親の存在は迷惑でしかない。
それで玲奈は、鷹翔との別れを決意した。
だからといって、今さら両親の言いなりになるつもりもなかったので、両親の監視の目を盗んで梢に連絡を取り、悠眞と別れたが、今さら実家で暮らす気もないので雇ってほしいと頼んだのだ。
梢はそれを快諾し、いつでも自分を頼ってきてほしいと言ってくれた。
面倒見のいい彼女に迷惑をかけることなく、家を出るにはどうしたらいいか……その方法とタイミングを探っていたところ、思いがけず玲奈の妊娠が発覚したのだ。
前回の縁談が破談になった後、表向き玲奈は、もと花婿や瑠依奈の心ない裏切りにショックを受けて病に伏せっていることになっていたらしい。
そんなでたらめな情報を信じたからこそ、玲奈を気の毒に思い、自分の妻にしてやろうという気になっていた相手は、玲奈の妊娠を知り、『話しが違う』『ひどいあばずれだ』と激怒した。
結果、縁談は破談となり、玲奈は今度こそ両親に勘当を言い渡され、今の状況に至る。
「本当に梢さんには助けられてばかりです」
自身の妊娠を知った玲奈に、迷いはなかった。
なにがあっても彼との間の子供を産み、立派に育てたいと思った。
梢は、そんな玲奈の覚悟を聞き、彼女が経営するペンションに住み込みで働けばいいし、出産後は子育てを手伝うとまで言ってくれたのだ。
そんな梢の援助のおかげで、玲奈は双子の子育てができている。
「なに言ってるの。私にとって玲奈ちゃんはもう実の娘も同然なんだから、優聖と鈴桜は、私の孫ですもの」
そう言って梢は、優聖の体を大きく揺らしてみせた。
まだまだ元気ではあるが、孫がいてもおかしくない年齢まで独身できた梢は、本当に玲奈と双子を、自分の娘と孫のように扱ってくれている。
梢にブンブン揺らされて、優聖は、キャッキャッと声をあげて笑う。
それを見た鈴桜が、「ゆうちぇ、ズルい!」と、抗議した。
一卵性ではないためか、性別の違いがあるためか、鈴桜と優聖は、見た目も性格もかなり異なる。
鈴桜は、好き嫌いがハッキリしている悠眞の性格を思わせる。それでいて顔立ちは、玲奈の子供の頃を知っている梢がソックリと驚くほど、母親譲りだ。
対する優聖は、髪や、薄い唇、奥二重の目の形といった顔のパーツの一つ一つに悠眞の面影を感じさせる。その反面性格は、自己主張が苦手な引っ込みじあんだ。誰に似たかと言えば、もちろん玲奈である。
(悠眞さん似の顔で私の性格の優聖と、私似の顔で悠眞さんの性格の鈴桜……)
どちらにも玲奈と悠眞の面影があって、彼と過ごした幸せな日々が幻ではなかったのだと感じられることがうれしい。
父親がいないことで、寂しい思いをさせてしまうことがあるかもしれないけど、それを補えるようせいいっぱい子育てをしていく覚悟でいる。
「ゆうちぇがズルい。りおも」
(悠眞さんはもう、他の女性と結婚しているのかもしれない……)
鈴桜にねだられ体を揺らしてあげる玲奈の胸に、ふとそんな思いがよぎる。
後になって聞かされたことだが、梢は、別れたにしても玲奈の妊娠のことは知らせておくべきと考えて、ひとりで悠眞のマンションまで押しかけたそうだ。
玲奈と両親の間に入って必要なやり取りをしてもらったことがあるので、玲奈に改めて聞かなくても、マンションの住所は知っていた。
それで忙しい仕事の合間を縫って、ひとりで彼のもとを訊ねてみたのだけど、その時には既に悠眞は引っ越した後だった。
出入りするマンションの住人の数人に声をかけ、玲奈を知っている人を見つけて話しを聞いたところ、悠眞は玲奈が姿を消してすぐに、マンションを引き払い、渡米したとのことだった。
玲奈がいなくなった途端、自分を捜すことなく予定を前倒しにする彼の切り替えの速さに、悲しくないと言えば嘘になる。
だけど悠眞からすれば、玲奈は、仕事を辞めた直後【しばらく実家に帰ります】なんてメモを残して数日分の着替えを持って消えたのだ。
捜すまでもなく、心変わりをして、実家に帰ったと理解したのだろう。
玲奈は親にスマホを取り上げられ音信不通となっていたので、なおのことだ。
そしてそれならそれでかまわないと、自分から玲奈と連絡を取ることもなく、予定を前倒しして渡米したのだ。
一度は永遠の愛を誓った関係だけれど、もともと自分たちは、条件の一致により、契約結婚を考えていただけの関係にすぎない。
玲奈が姿を消した途端、彼の想いが冷めたとしても仕方がない。
悠眞にとって玲奈の存在はその程度のものだという事実は悲しいが、自分の不在が彼の負担になるより、その方がずっといい。
しかも玲奈のもとには、彼と愛し合った日々の置き土産のような双子がいる。
双子を大事に育てようと決意して、今日までやってきた。
「そういえば玲奈ちゃん、週末の東京出張の準備は大丈夫? 買い物とかあるなら、梅田君に来てもらって、午後はおちびさんふたりを見ておくわよ」
梅田君とは、梅田一郎という名前の、バウムクローネのバイト従業員のことだ。
年齢は今二十八歳の玲奈より三歳年上の三十一歳で、普段は実家の農業を手伝っている。
彼の実家の農家とバウムクローネが提携している縁で、気分転換も兼ねて忙しい時だけ手伝いにきてくれているという感じだ。
きょうだいが多いとのことで、子供の扱いにも慣れていて、優聖も鈴桜も彼になついている。
「うめちゃん?」
「あしょぶ」
梅田に懐いている双子が素早く反応するが、玲奈は、その気遣いは不要と首を横にふる。
「ありがとうございます。でも出張の準備はできているから、大丈夫です」
そう答えて、玲奈は鈴桜を床に下ろした。ついでに、梢に甘えている優聖も、抱きかかえて床に下ろす。
「え〜」
「うめちゃんは〜?」
双子は揃って、抗議の声をあげた。
こういう時だけ、やたら意見が揃うので困る。
「梅田さんも、忙しいんだから」
玲奈は、揃って頬をふくらませる双子の背中を押して、フロントロビーにあるキッズスペースで遊ぶよう促した。
すると、鈴桜が優聖の手を引いて、とてとてとそちらへ駆けていく。
その背中を見送りながら、玲奈は梢に確認する。
「本当に、あの子たちを一晩預けていいんですか?」
心配する玲奈を見て、梢が笑う。
「一緒に住んでいるんだし、私の代わりに東京に行ってもらうんだから、遠慮しないで」
玲奈と双子は、バウムクローネに併設されている住居に梢と一緒に住まわせてもらっている。
そしてこの週末は、玲奈は東京で開催される展示会に参加するために家を留守にする予定だ。
地方創生・地域特色プロモーションをコンセプトに唱った銀行主催のイベントで、日本各地の中小企業や自治体、観光事業者が一同に集まり、三月末の金曜日から日曜日までの三日間をかけて日替わりで自慢の特産物や観光資源をPRするそうだ。
バウムクローネは、アルバイトを含めて従業員六人ほどのペンションのため、積極的に参加するつもりはなかったのだけれど、インバウンド利用が多いことと、語学堪能な玲奈がいることから、通訳も兼ねて一日だけでも参加してほしいと、同じ観光協会の人に頼まれて、金曜日のイベントに参加するはこびとなった。
早朝出て夜遅く帰るようにすれば日帰りも可能だけど、梢にせっかくなので他のブースも覗いて、他の観光地ではどういった取り組みをしていか、個人経営のペンションはどういった特色を出すと好まれるのかといった情報収集をしてきてほしいと言われた。
そのついでに、東京観光もしてくればいいと言ってくれているので、半分は玲奈への気遣いなのだろう。
優聖と鈴桜に、玲奈が一日不在で寂しくないか確認したが、梢がいれば全然かまわないとのことだった。
(私がいなくても大丈夫だなんて、うれしいような、悲しいような)
玲奈は、宿泊客用のキッズスペースで遊ぶ双子を見守った。