蒼穹の覇者は、激愛で契約妻と秘密の我が子を逃がさない

2章・桜は優しく下を向く

 航空事業の他、リゾート開発の分野でも知られる鷹翔(たかしょう)グループ社長の次男である鷹條(たかじょう)悠眞(ゆうま)は、少々憂鬱な思いで、川沿いの道を歩いていた。
 鷹翔グループの役員として忙しくしている兄に代わって、とあるゼネコン会社社長のご子息の結婚式に出席するためなのだけど、どうにも気乗りしない。
 兄が優秀なおかげで、次男の悠眞は、つまらない条件付きではあるが、子供の頃からの夢を叶えてパイロットとして働くことができている。
 その感謝の意味も込めて、普段なら頼まれれば喜んで兄の代役を果たすのだが、今回は少々事情が違う。
 悠眞に新郎と面識がないのはもちろん、兄自身、相手とは異業種交流会などで顔を合わせる程度の関係なのだとか。それでも是非にと頼み困れて、出席することとなった。
 それだけでもなかなかに気が重いのに、今日の挙式に関して、不快な噂を耳にしている。

(挙式目前に、新郎が新婦を乗り換えた。……さすがにそれはただの噂だろうが、新郎は、そういったことをやりかねない御仁なのは確かのようだ)

 それでつい気になって、知人に花婿の人となりを聞いてみたところ、新郎は、家柄がよく、華やかな見た目をしているのをいいことに、かなり女癖が悪いとの答えが返ってきた。
 金にも男女関係にもだらしなく、新郎の家族としては、婿養子にだすことで自社とある程度距離が取れることを喜んでいるのだとか。
 そんな話を聞くと、どうにも祝福する気になれない。
 そのためフライト後のデブリーフィングが思ったより長引いたのをいいことに、ゆっくりした足取りで、桜を楽しみながら歩いて来た。
 そしてロビーに入ってすぐに、物思いにふける彼女の存在が目に留まったのだ。
 桜柄の振り袖を上品に着こなしているその女性は、俯き加減のためか、ひどく儚げな印象を受けた。
 なにか思い詰めている様子で、油断したら壊れてしまいそうな張りつめた雰囲気が気になって足が止まった。
 すると、どこからともなく現れた桜の花びらが、彼女の上に舞い落ちた。

「桜?」

 桜の花びらを摘まんで、女性が呟く。
 耳心地のいい、澄んだ柔からな声をしていると思っていると、またどこからともなく花びらが舞い相手が顔を上げた。
 ほっそりとした卵形の輪郭の彼女は、悠眞を見上げて、大きな二重の目をパチクリさせた。
 どこからともなく桜の花びらを出現させる彼女は、もしかしたら桜の精ではないのか。……と、普段の自分らしからぬ発想が頭を掠める。

(女性をジロジロと観察して、相手の気分を害しただろうか?)

 つい気になって足を止めてしまったが、見知らぬ女性を黙って観察するなんて、かなり失礼な行動だ。
 焦ってなにも言えなくなる悠眞に、桜の花びらを手にした女性が「春ですね」と、微笑んだ。
 硬い蕾が突然ほころんだような笑顔に、妙に心がほぐれたが、変な奴だと思われるのが嫌でどうにか平静を装う。

「確かに」

 何食わぬ顔で答えたが、その実、どこからともなく花びらを出現させる彼女は、やっぱり桜の花の精ではないか……。
 そんなくだらない想像をしてしまうほど、彼女の笑顔は魅力的だったの。
 そんな子供じみた己の発想が恥ずかしくて、悠眞は何食わぬ顔で言葉を続ける。

「君も結婚式の招待客だろうか?」

 華やかな着物姿から、とりあえずそう言ってみただけなのだけど、当たっていたようだ。彼女がおずおずと頷く。

「そう、ですけど……」

 警戒心を覗かせる彼女に、自分も結婚式の招待客であることを告げて、遅れて入るのが気まずいのであれば一緒に行かないかと誘ってみたが、相手の反応は鈍い。

「私と一緒に入ると、あなたに迷惑をかけてしまうと思います」

 申し訳なさそうにそんなこと言われて、納得できるはずがない。
 不思議そうにする悠眞に、相手が「新婦と私の苗字が同じで、ちょっとしたトラブルがありまして……」と、続けきた。
 それを聞いてハッとする。
 この結婚にまつわる噂は、新郎が女性にだらしない故の根も葉もない噂だと思っていたが、違っていたようだ。
 そこに理解が及ぶと、なんともいえない気持ちになる。
 咄嗟にかける言葉が見付けられずにいると、相手がスッと立ち上がった。

「どうした?」

 突然のことに驚いていると、彼女が悠眞へと手を伸ばしてその肩に触れた。

「桜の花びらが、まだついてますよ」

 そう言って、摘まんだ花びらを見せられてやっと、花びらの出所を理解した。
 なんのことはない、自分が運んできたのだ。
 それなのに彼女のことを、桜の精ではないかなどと想像してしまった自分が恥ずかしい。

「ありがとう」

「髪にもまだ」

 苦笑する悠眞に、彼女はそう言って、片手で着物の袖を押さえ手を伸ばす。
 どうやら髪にも花びらがついているらしいのだけど、身長差があるって届かない。すると彼女は、さっきまで自分が座っていたソファーに座るように勧めてきた。
 それに従って座ると、彼女の指が自分の髪に触れる。
 桜の花びらぐらい、自分の手で払えばいいだが、不思議とそうする気になれなかった。

(不思議だな……)

 普段の悠眞は、かなりの女嫌いで通っている。
 自惚れる気はないが、元女優だった母譲りの顔立ちは女性受けもよく、鷹翔グループの御曹司という生まれや、パイロットという職業も無駄に女性の興味を引いてしまうようだ。
 そのため、プライベートはもとより、職場でも女性から猛烈なアプローチを受けることもあるが、悠眞としては迷惑でしかない。
 パイロットというのは、人の命を預かる仕事なのだ。
 万に一つのミスもないよう、そしてお客様に快適な空の旅を提供できるようにと、細心の注意を払っている時に、隣から甘い声で囁かれても耳障りな雑音にしか聞こえない。
 そういった雑音を遮断するには、相手に付け入る隙を与えないのが一番。もとから男子校育ちで、男女の色恋事を面倒と思うたちなので、女性嫌いで通している。
 そんな悠眞が、彼女にあっさり心を許してしまったのは、〝桜の精〟などという恥ずかしい想像をしてしまったせいだろうか。

「飛行機を利用したってことは、かなり遠方からのご出席ですか?」

 髪にからむ桜の花びらを取りながら、彼女が聞く。
 その質問に、「都内からだ」と答えると、相手が不思議そうにする。
 普段なら適当に誤魔化すのだけれど、なんとなく彼女には正直でありたいと思った。
 それでパイロットであることを告げると、彼女は、おべっかを使うでもなく悠眞の努力を認めてくれた。
 航空大学に現役合格した時も、異例の若さで機長に就任した時も、周囲からたくさんの賞賛を受けた。それでも彼女に、「夢を叶えたってことは、夢を、夢で終わらせないための努力をしたってことですよね」という声は、ことさらうれしい賞賛の声として、悠眞の耳に届く。
 それは彼女の柔らかな声のトーンにも関係しているのかもしれない。
 少しも媚びたところがなく、さっき桜の花びらを見たから「桜」と呟いたように、悠眞の努力をありのままに受け止めた上で評価してくれる彼女の声が、耳に優しく馴染む。
 なんとなく、ずっと聞いていたい声だと思った。

「はい。取れました。もう行っても大丈夫ですよ」

 その声に顔を上げると、自分を見下ろす彼女と目が合った。
 その瞬間、桜の花が頭に浮かんだのは、さっき花見をしながら歩いてきたせいだろうか。
 光を求めて太陽に向かうのではなく、見上げる人のために下を向いて咲く桜は、彼女の雰囲気に似ている。
 悠眞ひとりで行くように勧める理由に察しがつくだけに、彼女を残して行く気にもなれない。
 それに悠眞には、パイロットの道に進むと決めた際、親にとある条件を出されていて、そのことに関して彼女に提案したいこともある。
 どこか本能に近い場所で、『その問題を解決する相手は彼女しかいない』と訴える声が聞こえる気がする。
 そう思ったら、自然と彼女の手首を掴んでいた。

「え?」

 突然のことに、相手は目を丸くする。

(もし名乗っても俺が鷹翔グループの人間と気付かなかったら、あの件を相談してみるのも悪くない)

 賭けをするような思いで、悠眞は彼女にこう声をかけてみる。

「お礼に、少しお茶でも飲まないか?」
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