妖精渉る夕星に〜真摯な愛を秘めた外科医は、再会した絵本作家を逃さない〜

2 高校三年・秋冬

 穏やかだった生活が変わったのは秋に入った頃だった。母親の体調も落ち着き始め、放課後の部活動に参加が出来るようになったある日のこと。部室に行こうとしたが、中から男女の声が聞こえたため足を止めた。

「ここは文芸部の部室なんだ。関係ない生徒は入らないでくれよ」
「とか言って、北斗だって名前だけの部員なんでしょ? 知ってるんだから」
「だとしても俺はちゃんと文芸部に在籍している。原田とは違うんだ」

 部員は花梨と北斗、あとは一年生の男子だけ。女性の声がするはずはない。それに北斗の口調からすれば、相手が無断で部室に入っていることが想像出来た。

 扉が開いていたため、花梨はそっと中を覗き込む。すると窓辺に寄りかかる北斗が眉間に皺を寄せ、彼に詰め寄っている肩までの茶色い髪で、膝よりかなり上のスカート丈の女子生徒の肩を押して突き放そうとしていた。

「あら、でもこのこと、菱川のおじ様は知らないんでしょ? 知ったらどう思うかしらねぇ」
「……言いたいなら言えばいいだろ。俺は言われたことはきちんとやっているし、第一志望の大学だって受かってみせる。原田にどうこう言われるような問題じゃない。だから早く出て行ってくれ」
「ふーん……とりあえず今日は帰るけど、そう言っていられるのもいつまでかしらね」

 原田──北斗がそう呼んだので、相手が誰なのかはっきりわかった。女生徒の中でもリーダー格の原田(はらだ)愛佳(あいか)は、いつも態度も言葉も自信に満ち溢れていた。父親が法律事務所の代表を務めているとい背景もあるのだろうが、普通の会社員の父を持つ花梨には近寄りがたい存在だった。

 愛佳がこちらに向かって歩いてくるのが見え、花梨はどこかに隠れようとしたものの、そんな場所はなく、挙動不審になりながら壁に背中をピタリとつけて真っ直ぐに立った。

 しかし壁になれるはずもなく、部室から出てきた愛佳は花梨に気付くと、鼻を鳴らして笑った。

「なぁに? それで隠れてるつもり? 覗き見なんて趣味が悪くない?」

 何も言い返せずにいると、部室の中からドタバタと足音がして、愛佳を押し退け北斗が慌てて外に出てきた。

「山之内さん⁉︎」

 北斗は花梨の両肩の上に手を置き、愛佳との間に立ちはだかると、首だけ回して睨みつける。

「そんなに睨みつけないでよ。ただ見たままを言っただけじゃない」
「彼女は文芸部の部長なんだ。部外者がどっちなのかはわかりきっているよな」

 愛佳は不機嫌そうに目を細めると、鼻をふんっと鳴らした。

「たかが同じ部活ってだけじゃない。私と北斗はいつか──」
「いいから早く行けよ」
「はいはい、わかったわよ。じゃあまたね……山之内さん」

 急に名前を呼ばれてドキッとした。北斗が目の前にいるため顔は見えないが、言葉には明らかに棘を感じる。

 愛佳が階段を降りていく音がして、ようやく北斗は花梨の肩から手を離した。
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