妖精渉る夕星に〜真摯な愛を秘めた外科医は、再会した絵本作家を逃さない〜

3 喪服の再会

 心臓の音がはっきりと耳にまで聞こえる。それに伴い、息も苦しくなってきた。花梨は正面を直視出来ずに、視線だけ床へと落とした。

 彼がいることはもちろん予想はしていた。それでも早めに行くことで、もし会ったとしても急いで帰れば話すことはないと思っていたのだ。

 しかし現実は花梨の予想通りにはいかない。早く到着したはずの花梨よりも先にお焼香を済ませた北斗が、一つしかない出入り口の前で誰かを待つかのように立っていた。

 まさか私を待ってる? いや、そんなはずはない。だってあれからもう八年の歳月が過ぎたのだから──。

 それに通夜の列には同学年だった生徒の姿もちらほらと見かけた。あんな別れ方をしたのに、自分のことを待っているだなんて考えは傲慢過ぎるだろう。

 彼のことを忘れたい、なかったことにしたい──そんなことを言った相手とまた会いたいとは思わないはず。

 しかし帰るためには彼の前を通らなければならない。でもそうするための勇気がなかなか出ず、お手洗いに行ったり、食事の席に座って過ごしてみた。だいぶ待ったように思えたのに、時計を見ればたった十五分しか進んでいなかった。そしていざ出入り口を覗いてみると、未だに北斗はそこに立っていた。

 読経は終わり、静かになった会場に花梨は再び足を踏み入れた。恩師である及川先生の、いつも温かく見守ってくれた優しい笑顔の写真を見ながら、手を合わせる。

 先生、私はどうしたらいいでしょうか……。今さら菱川くんと顔を合わせる勇気がありません。だって……自分の気持ちが赴くままに、あんなにひどいことを言ってしまった──どうして彼の話に耳を傾けなかったんだろう、信じられなかったんだろうと、忘れるどころか後悔の念ばかりが押し寄せてくる。

 たぶん顔を合わせたくないのは、彼と対峙するのが怖いから。あんなふうに言い放ったにも関わらず、嫌われたくないとも思ってしまう自分がいた。

 もしかしたら私のことなんて覚えていないかもしれない。彼の周りにはたくさんの人がいて、私なんて彼の時間の中のほんの僅かな時間を過ごしただけ。同じ部活とはいえ、そこまで深い繋がりだったわけじゃない。

 だけど裏を返せば、ずっと心に引っかかっていたものを取り去るチャンスでもあるのだ。彼が覚えていようがいまいが、怒っていても何も感じていなくても、謝ることで自分が救われるような気がした。

 でもそれは自分のために謝ろうとしているようで、一体何が正解なのかがわからなくなってくる。しかもあの日の傷付いた心が邪魔をして、彼を前にしても謝罪の言葉がスムーズに出る自信もなかった。
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