妖精渉る夕星に〜真摯な愛を秘めた外科医は、再会した絵本作家を逃さない〜

1 高校三年・春夏

 文芸部の部室は、部室棟の中でも一番辺鄙(へんぴ)な場所にあった。二階建ての二階、その一番奥にある小さな部屋には、背の高い鉄製の本棚が二つ並んでいて、たくさんの本や創部から現在までの部誌が並べられている。

 窓の外には桜の木があり、夏場は日除けに、そして冬場には暖かな陽射しを部室に届けてくれる。今は四月下旬。桜は散り、青々とした葉が生い茂り始めていた。

 部室棟は校庭には面していないため、塀の向こう側には小さな裏路地が見える。しかしここを通る人は少なく、人目を気にすることなく自由に創作活動に打ち込めるのだ。

 部屋の真ん中には大きめのテーブルが置かれており、部の唯一の三年生で部長である山之内(やまのうち)花梨(かりん)は、黙々とノートに文章を書き込んでいた。あまりにも集中しているせいか、辺りの物音は花梨の耳には届いておらず、熱心にシャープペンシルを走らせる。

 部屋には時計の秒針の音と、シャープペンシルがノート上を滑る音だけが響き渡る。その時突然部室の扉が開く音がして、花梨は体をビクッと震わせ慌ててドアの方を振り返った。

「おや、山之内さん。いらっしゃったんですね」

 扉の先に立っていたのは、文芸部顧問の及川(おいかわ)先生だった。白髪にメガネをかけ、やや丸みを帯びたフォルムの及川先生は、花梨の卒業とともに定年退職の予定だが、優しく生徒思いの彼の退職を嘆く生徒は多かった。

「及川先生! どうかされましたか?」

 今は昼休み。いつもなら放課後の部活の時間に顔を出すのだが、こんな時間にやって来るのは珍しかった。

「実はね、彼が文芸部に興味を持ってくれまして。あと一人入らないと廃部なんですよと話したら、入ってくれることになったんです」

 花梨は喜びに満ち溢れた笑顔で及川先生を見ると、勢い良く立ち上がった。

「本当ですか⁈ あぁ良かった……もう廃部かと思っていました。それで、一体誰が──!」

 及川先生の背後から顔を出した人物をみて、花梨は驚いて目を見開く。背が高く、サラサラの黒髪、端正な顔立ちの彼は、いつも学年で成績上位者に名を連ねている菱川(ひしかわ)北斗(ほくと)だったからだ。

 誰とでも分け隔てなく接する彼は、男女問わず人気があったし、教師に対しても自分の意見を述べることが出来るので、皆が一目置く存在だった。

 しかし特進クラスの北斗と真逆の花梨は、成績は下の上だし、人見知りをしてしまう性格のため彼との接点はなく、遠巻きにすごい人なのだと眺めて感心していた。

 その雲の上の人のような人物が、今目の前に立っているのだ。花梨は緊張して体が硬直してしまう。
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