妖精渉る夕星に〜真摯な愛を秘めた外科医は、再会した絵本作家を逃さない〜

7 初めての

 花梨が勤める美術館は、この辺りでは一番大きな公園のなかにあった。尊敬してやまない絵本作家である"天知(あまち)加代(かよ)"先生が自らデザインをした、まるでおもちゃ箱を思わせるような鮮やかな色彩の建物の中には、絵本や児童文学の本がたくさん並ぶ図書コーナー、子どもたちが五感を働かせて遊べるプレイルーム、短編アニメを流すミニシアター、そしてお腹を満たすカフェも併設されていた。

 出勤した花梨は、先輩である花山(はなやま)がすでに部屋にいないことを確認し、急いで資料室に向かう。外観とは異なり、職員だけが入れる場所は、全て白で統一されていた。

「おはようございます」

 扉を開けるなりそう言うと、
「おっはよー」
と明るい声が返ってくる。

 棚の間を抜けて奥まで行くと、長い髪を三つ編みにし、メガネをかけた花山がにこやかに手を振っていた。

 テーブルには作品ごとにわけられた箱が置かれ、原画やそれに伴う資料が並べられている。

 美術館の中にある小さな展示コーナーでは、天知先生の作品を月毎に変えて展示しており、その内容や展示方法を考えるのは、学芸員として勤める花梨たちの仕事だった。

 一年間の大まかなラインナップは決まっていたが、その時の社会の様子に合わせて、臨機応変に変更することもあった。

 テーブルの上を覗き込むと、そこにあったのは人気の絵本シリーズである『ばったくん』に関する資料だった。

「うわぁ、『ばったくん』ですか?」
「うん、先生から次は『ばったくん』がいいってリクエストが来たんだ」

 これは花梨自身も昔から好きな絵本で、妹にも何度読み聞かせをしたかわからない。頑張ろうとするけど、失敗して諦めたり、でも再び頑張ってやり遂げる──それが根底にある作品だった。

「夏休みに入るし、知らない世界に触れることはちょっと怖いけど、意外と楽しいかもっていうのを伝えたいんだって」

 知らない世界──花梨の胸がドキドキと打ち始める。自分自身も昨日から新しい世界に飛び込み、期待と不安の中でまだ何も想像出来ずにいた。

「ばったくんに勇気をもらったっていう人、たくさんいるんだよねぇ。夏休みだし、たくさんの人にばったくんを知ってもらいたいなぁ」
「私もそう思います」

 テーブルに置かれていたばったくんの絵本を手に取る。表紙に描かれた空を見上げる瞳が、まるでその先の未来を見据える姿に映り、花梨も勇気をもらえたような気がした。

 二人は顔を見合わせて笑い合うと、早速仕事に取り掛かった。
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