『契約妻なのに、夫の独占欲が止まりません』
第3章「運命の人を探して」
その雑誌の特集タイトルは、まるで結奈の心を見透かしたようだった。
――“本当の恋をするための、最初の一歩”。
会社の昼休み。
社員食堂の窓際の席で、スプーンを止めたまま雑誌を覗き込む。
ページの中には、理想の恋愛診断、婚活イベント、運命の出会い特集。
どれも、胸の奥が少しだけ熱くなる言葉ばかり。
その瞬間、静かな声が背後から落ちた。
「……昼休みにまで勉強熱心だな」
顔を上げると、悠真がトレーを片手に立っていた。
黒いスーツに淡いグレーのネクタイ。
同じ会社にいるのに、彼が隣に座るだけで空気が変わる。
「別に勉強じゃありません。“恋の研究”です」
「恋?」
「そう。……私、恋をしてみたいの」
「“偽装結婚中”の台詞とは思えないな」
「だからこそ、よ。契約の中で一生を終わるなんて嫌。運命の人を見つけたいの」
悠真はスープをひと口飲み、ゆっくりとカップを置いた。
「運命の人、ね」
「笑わないでください」
「笑ってない」
彼の視線は穏やかで、けれどどこか遠くを見ていた。
「結奈。運命の人って、どうやって分かると思う?」
「……ドキドキする人、ですかね」
「じゃあ俺は違うな」
「え?」
「君、俺を見ても平然としてる」
からかうように言いながらも、その声はかすかに沈んでいた。
結奈はムッと唇を尖らせる。
「だって……悠真さんは、安心するんです」
「安心?」
「うん。恋のときめきとは違う、もっと落ち着く感じ」
「……そういうのを、愛って言うんだ」
「そんなわけないでしょ!」
思わず声が大きくなり、周囲の視線を感じて赤面する。
彼は苦笑しながらナプキンで口を拭いた。
「……食堂で惚気話する新婚みたいだな」
「惚気じゃありません!」
帰り道、春の風が少し冷たかった。
信号待ちの横断歩道。
結奈はふと、スマートフォンに目を落とす。
画面には、婚活アプリの広告。
“あなたにぴったりの運命の人が、きっといる”
心が少しだけ弾む。
登録まではしない。ただ、興味があるだけ。
そう自分に言い聞かせながら、家に帰ると――
「ただいま」
キッチンから包丁の音が止まった。
エプロン姿の悠真が振り向く。
「おかえり。遅かったな」
「ええ、ちょっと寄り道を」
「寄り道?」
穏やかな声なのに、どこか探るような響き。
「友達とカフェに」
嘘ではない。けれど、スマホに表示された広告の記憶が胸をざわつかせた。
悠真は何も言わず、静かにグラスに水を注ぐ。
「……君は本気なんだな」
「え?」
「“運命の人を探す”って言葉。冗談だと思ってた」
「本気よ」
そう言い切ると、彼の手がぴたりと止まった。
グラスの中で氷がかすかに鳴る。
「……その人が見つかったら、どうする?」
「離婚します」
自分でも驚くほど、はっきりと言えた。
その瞬間、悠真の表情が一瞬だけ凍る。
「――そうか」
それだけ言って、彼は背を向けた。
流しの蛇口から水が落ちる音が、妙に大きく響く。
沈黙の中、結奈は指輪に触れた。
指先に冷たい感触。
なのに、なぜか胸の奥は熱くて痛い。
夜。
リビングの灯りを落とすと、窓の外の街明かりがゆらめいた。
結奈はソファに座り、スマホを見つめたまま動けない。
アプリの登録画面。
指が、あと少しで「登録する」に触れそうになる。
その時、廊下から足音。
「まだ起きてたのか」
悠真がコーヒーを片手に立っていた。
「……うん、眠れなくて」
「考え事?」
「そう。恋って、難しいなって」
彼はゆっくりとカップを差し出す。
「飲むか?」
香ばしい香りが広がる。
受け取った瞬間、指先が少し触れた。
その一瞬だけ、心臓が跳ねた。
「結奈」
「なに?」
「恋は、探すものじゃない。――気づいた時には、もう始まってる」
その言葉の意味を、今の彼女はまだ理解できなかった。
ただ、窓の外の灯りよりも、彼の瞳のほうが少し眩しく見えた。
――“本当の恋をするための、最初の一歩”。
会社の昼休み。
社員食堂の窓際の席で、スプーンを止めたまま雑誌を覗き込む。
ページの中には、理想の恋愛診断、婚活イベント、運命の出会い特集。
どれも、胸の奥が少しだけ熱くなる言葉ばかり。
その瞬間、静かな声が背後から落ちた。
「……昼休みにまで勉強熱心だな」
顔を上げると、悠真がトレーを片手に立っていた。
黒いスーツに淡いグレーのネクタイ。
同じ会社にいるのに、彼が隣に座るだけで空気が変わる。
「別に勉強じゃありません。“恋の研究”です」
「恋?」
「そう。……私、恋をしてみたいの」
「“偽装結婚中”の台詞とは思えないな」
「だからこそ、よ。契約の中で一生を終わるなんて嫌。運命の人を見つけたいの」
悠真はスープをひと口飲み、ゆっくりとカップを置いた。
「運命の人、ね」
「笑わないでください」
「笑ってない」
彼の視線は穏やかで、けれどどこか遠くを見ていた。
「結奈。運命の人って、どうやって分かると思う?」
「……ドキドキする人、ですかね」
「じゃあ俺は違うな」
「え?」
「君、俺を見ても平然としてる」
からかうように言いながらも、その声はかすかに沈んでいた。
結奈はムッと唇を尖らせる。
「だって……悠真さんは、安心するんです」
「安心?」
「うん。恋のときめきとは違う、もっと落ち着く感じ」
「……そういうのを、愛って言うんだ」
「そんなわけないでしょ!」
思わず声が大きくなり、周囲の視線を感じて赤面する。
彼は苦笑しながらナプキンで口を拭いた。
「……食堂で惚気話する新婚みたいだな」
「惚気じゃありません!」
帰り道、春の風が少し冷たかった。
信号待ちの横断歩道。
結奈はふと、スマートフォンに目を落とす。
画面には、婚活アプリの広告。
“あなたにぴったりの運命の人が、きっといる”
心が少しだけ弾む。
登録まではしない。ただ、興味があるだけ。
そう自分に言い聞かせながら、家に帰ると――
「ただいま」
キッチンから包丁の音が止まった。
エプロン姿の悠真が振り向く。
「おかえり。遅かったな」
「ええ、ちょっと寄り道を」
「寄り道?」
穏やかな声なのに、どこか探るような響き。
「友達とカフェに」
嘘ではない。けれど、スマホに表示された広告の記憶が胸をざわつかせた。
悠真は何も言わず、静かにグラスに水を注ぐ。
「……君は本気なんだな」
「え?」
「“運命の人を探す”って言葉。冗談だと思ってた」
「本気よ」
そう言い切ると、彼の手がぴたりと止まった。
グラスの中で氷がかすかに鳴る。
「……その人が見つかったら、どうする?」
「離婚します」
自分でも驚くほど、はっきりと言えた。
その瞬間、悠真の表情が一瞬だけ凍る。
「――そうか」
それだけ言って、彼は背を向けた。
流しの蛇口から水が落ちる音が、妙に大きく響く。
沈黙の中、結奈は指輪に触れた。
指先に冷たい感触。
なのに、なぜか胸の奥は熱くて痛い。
夜。
リビングの灯りを落とすと、窓の外の街明かりがゆらめいた。
結奈はソファに座り、スマホを見つめたまま動けない。
アプリの登録画面。
指が、あと少しで「登録する」に触れそうになる。
その時、廊下から足音。
「まだ起きてたのか」
悠真がコーヒーを片手に立っていた。
「……うん、眠れなくて」
「考え事?」
「そう。恋って、難しいなって」
彼はゆっくりとカップを差し出す。
「飲むか?」
香ばしい香りが広がる。
受け取った瞬間、指先が少し触れた。
その一瞬だけ、心臓が跳ねた。
「結奈」
「なに?」
「恋は、探すものじゃない。――気づいた時には、もう始まってる」
その言葉の意味を、今の彼女はまだ理解できなかった。
ただ、窓の外の灯りよりも、彼の瞳のほうが少し眩しく見えた。