『契約妻なのに、夫の独占欲が止まりません』
第6章「不倫宣言」
翌朝、雨は嘘のようにやんでいた。
窓の外には澄んだ空。濡れたアスファルトが光を反射している。
昨夜のことが嘘みたいだった――割れたグラス、血の滲んだタオル、そしてあの沈黙。
結奈はダイニングでトーストをかじりながら、無理に笑った。
「今日、会社の同僚とお昼行くんです。少しだけ外出してもいいですか?」
「好きにすれば」
悠真の返事は、いつもより冷たく短かった。
その言葉に胸の奥がきゅっと痛む。
何をしても、この人の表情ひとつで心が揺れる。
“恋なんてしない”と決めたはずなのに。
昼下がりのカフェ。
外の光がガラス越しにきらめいている。
同僚の坂口が楽しげに話す。
「間宮さん、やっぱり人気ありますよね。上品だし」
「そんなことないですよ」
「恋人とか、いないんですか?」
「……いません」
笑顔で答えたその瞬間、自分でも気づく。
“いません”と言ったあとに、胸の奥に残った小さな罪悪感。
契約とはいえ、悠真という“夫”がいる。
――でも、それは本物の恋じゃない。
坂口が何かを言いかけたとき、スマホが震えた。
画面には「一条悠真」の文字。
迷いながらも通話ボタンを押す。
「はい……?」
『今日は、何時に帰る』
低く、少し掠れた声。
「まだ決めてませんけど……どうかしました?」
『――いや。別に』
通話はそこで途切れた。
胸の奥で、何かが音を立てた。
どうしてだろう。
まるで監視されているようで、息苦しいのに、どこか嬉しかった。
夜。
家に帰ると、リビングの灯りは落ちていた。
部屋の奥で、悠真がソファに座っている。
手にはワイングラス。
窓の外では街の灯が滲んでいた。
「……ただいま」
「遅かったな」
「同僚と食事をしていただけです」
「同僚。坂口か?」
名前を出されて、結奈の心臓が跳ねた。
「……偶然、一緒に」
「そうか」
悠真はグラスを口に運び、目を閉じた。
沈黙が、重く落ちる。
堪えきれず、結奈は口を開いた。
「どうしてそんな言い方をするんですか」
「どういう意味だ」
「まるで、私が悪いことをしてるみたいに」
「俺は何も言ってない」
「言葉じゃなくて……その目が言ってます」
彼の眉がわずかに動く。
「じゃあ、どうして帰ってこない」
「契約だからです!」
「契約?」
彼がゆっくりと立ち上がる。
「……あの時、君が言ったよな。“不倫も自由”。“恋をしてみたい”って」
「そうです」
「だったら――恋をするなら、俺にしろ」
その一言に、息が止まった。
「……冗談はやめてください」
「冗談じゃない」
悠真は一歩、結奈に近づく。
距離が詰まるたびに、空気が熱を帯びていく。
「他の誰かなんか見なくていい。俺が全部、君に教える」
「やめてください」
「怖いか?」
「怖くなんか……ないです」
「なら、逃げるな」
その瞬間、彼の指が結奈の手首を掴んだ。
強くも優しくもない、ただ必死な力。
結奈の瞳が揺れる。
「……どうして、そんなに私に構うんですか」
「構わなきゃ、誰かに奪われるから」
彼の声が、震えていた。
結奈はその手を振りほどき、一歩後ずさる。
「そんなこと言われても、私……あなたのこと、好きになんてならない」
「――本当に、そう思うか?」
視線が絡む。
息ができないほどの静寂。
心臓の鼓動だけがやけに響いた。
結奈は唇を噛み、背を向けた。
「……私は運命の人を探します。不倫でも、本気の恋を」
その宣言に、悠真は何も言わなかった。
ただグラスを置き、窓の外を見つめていた。
静かな夜の中で、氷が砕ける音だけが響いた。
寝室でひとり、結奈は胸の上に手を置いた。
心臓が速く脈を打つ。
怖いのは、悠真の言葉ではない。
その言葉で、自分が揺れてしまったこと。
――どうしてあの時、涙が出そうになったの。
彼の声が、まだ耳に残っている。
窓の外では、また小雨が降り始めていた。
紅茶の香りと、雨の匂いが静かに混ざり合う。
それはまるで、“恋の始まり”のように。
窓の外には澄んだ空。濡れたアスファルトが光を反射している。
昨夜のことが嘘みたいだった――割れたグラス、血の滲んだタオル、そしてあの沈黙。
結奈はダイニングでトーストをかじりながら、無理に笑った。
「今日、会社の同僚とお昼行くんです。少しだけ外出してもいいですか?」
「好きにすれば」
悠真の返事は、いつもより冷たく短かった。
その言葉に胸の奥がきゅっと痛む。
何をしても、この人の表情ひとつで心が揺れる。
“恋なんてしない”と決めたはずなのに。
昼下がりのカフェ。
外の光がガラス越しにきらめいている。
同僚の坂口が楽しげに話す。
「間宮さん、やっぱり人気ありますよね。上品だし」
「そんなことないですよ」
「恋人とか、いないんですか?」
「……いません」
笑顔で答えたその瞬間、自分でも気づく。
“いません”と言ったあとに、胸の奥に残った小さな罪悪感。
契約とはいえ、悠真という“夫”がいる。
――でも、それは本物の恋じゃない。
坂口が何かを言いかけたとき、スマホが震えた。
画面には「一条悠真」の文字。
迷いながらも通話ボタンを押す。
「はい……?」
『今日は、何時に帰る』
低く、少し掠れた声。
「まだ決めてませんけど……どうかしました?」
『――いや。別に』
通話はそこで途切れた。
胸の奥で、何かが音を立てた。
どうしてだろう。
まるで監視されているようで、息苦しいのに、どこか嬉しかった。
夜。
家に帰ると、リビングの灯りは落ちていた。
部屋の奥で、悠真がソファに座っている。
手にはワイングラス。
窓の外では街の灯が滲んでいた。
「……ただいま」
「遅かったな」
「同僚と食事をしていただけです」
「同僚。坂口か?」
名前を出されて、結奈の心臓が跳ねた。
「……偶然、一緒に」
「そうか」
悠真はグラスを口に運び、目を閉じた。
沈黙が、重く落ちる。
堪えきれず、結奈は口を開いた。
「どうしてそんな言い方をするんですか」
「どういう意味だ」
「まるで、私が悪いことをしてるみたいに」
「俺は何も言ってない」
「言葉じゃなくて……その目が言ってます」
彼の眉がわずかに動く。
「じゃあ、どうして帰ってこない」
「契約だからです!」
「契約?」
彼がゆっくりと立ち上がる。
「……あの時、君が言ったよな。“不倫も自由”。“恋をしてみたい”って」
「そうです」
「だったら――恋をするなら、俺にしろ」
その一言に、息が止まった。
「……冗談はやめてください」
「冗談じゃない」
悠真は一歩、結奈に近づく。
距離が詰まるたびに、空気が熱を帯びていく。
「他の誰かなんか見なくていい。俺が全部、君に教える」
「やめてください」
「怖いか?」
「怖くなんか……ないです」
「なら、逃げるな」
その瞬間、彼の指が結奈の手首を掴んだ。
強くも優しくもない、ただ必死な力。
結奈の瞳が揺れる。
「……どうして、そんなに私に構うんですか」
「構わなきゃ、誰かに奪われるから」
彼の声が、震えていた。
結奈はその手を振りほどき、一歩後ずさる。
「そんなこと言われても、私……あなたのこと、好きになんてならない」
「――本当に、そう思うか?」
視線が絡む。
息ができないほどの静寂。
心臓の鼓動だけがやけに響いた。
結奈は唇を噛み、背を向けた。
「……私は運命の人を探します。不倫でも、本気の恋を」
その宣言に、悠真は何も言わなかった。
ただグラスを置き、窓の外を見つめていた。
静かな夜の中で、氷が砕ける音だけが響いた。
寝室でひとり、結奈は胸の上に手を置いた。
心臓が速く脈を打つ。
怖いのは、悠真の言葉ではない。
その言葉で、自分が揺れてしまったこと。
――どうしてあの時、涙が出そうになったの。
彼の声が、まだ耳に残っている。
窓の外では、また小雨が降り始めていた。
紅茶の香りと、雨の匂いが静かに混ざり合う。
それはまるで、“恋の始まり”のように。