側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません
第四話 離縁は許さない



 イリアは自室の机に座り、結婚請願書の白い紙を前にして迷っていた。

 羽根ペンを握ってみるが、どうしてもサインできない。心の奥でふくらむのは、ためらいばかりだった。

(このまま、本当に結婚して……大丈夫だろうか)

 彼はリゼットと結婚したときと同じように、義務を果たそうとしているだけではないのか。

 最初はその義務すら放棄していたのだから、イリアにとって喜ぶべき歩み寄りなのに、ためらうのはやはり、フェイランの傷ついた目を見てしまったからだ。

 とうとう、羽根ペンを投げ出した。胸が苦しくて、どうにもサインする気になれない。

「イリア様、お庭へ出かけられますか?」

 そばに控えていたエルザが話しかけてくる。

 さっさとサインを書いて、フェイランのもとへ届けたかっただろうに、嫌味のひとつも言わず、どうしたことだろう。

「あなたの仕事を邪魔してるわけじゃないの」
「陛下の心を動かしたのは、イリア様だけです」

 イリアは面食らってしまった。同時に、エルザが急に態度を改めた理由にも気づいた。

「エルザ……あなたには、肩身の狭い思いをさせてるわね」

 エルザほどに卒のない仕事をする侍女なら、側妃の面倒を見るなど、屈辱だろう。今まで、それに気づかず、ねぎらうことはなかった。

 結婚請願書を見て、少しはエルザも認めてくれたのかもしれないと、イリアは素直に謝罪した。

 エルザはいつものように無表情で返事をしなかったが、肩にショールをかけてくれた。細やかな気づかいに、イリアは礼を伝えると、バルコニーから庭園へと足を踏み出した。

 朝露に濡れた芝生を歩くと、ひんやりとした空気が少しだけ心を落ち着ける。

 イリアはふと、足を止めた。

 青々と繁る樹木の葉の奥に、フェイランが立っていた。彼はイリアに気づくと、静かに歩み寄ってくる。

「このようなところで……どうされたのですか?」

 フェイランは城内でさえあまり歩き回らない。まして、執務室から遠い庭園に来る理由は見当たらなかった。

 彼はわずかに口もとをゆるめて笑った。

「あなたに会いに来たのだ」
「……陛下、そんな、恐れ多いことを」

 イリアがすぐさま身を引いて頭をさげると、彼はサッと彼女の手をつかんだ。

「……書いたか?」

 すぐに、結婚請願書のことを言っているのはわかった。イリアは小さく息を飲み、ためらいながら答えた。

「それが……陛下……陛下にお願いがございます」
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