リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜
リシェル・ベッカーの失踪から五日が経過。ギルバート公爵邸にて
屋敷の様子がなにやら騒がしい。侍女がやってくる前に自然と目が覚めたエミリ・ベッカーは、ベッドから降りてカーテンを開けた。
従姉であるリシェルの婚約破棄が正式に決まったその日から、ギルバート公爵家で毎晩甘い夜を過ごしていた。すでに両家公認の恋人同士、何も不思議なことはない。
しかし、いつもなら朝まで抱きしめていてくれるベンジャミンがいない。何かあったのだろうかと、窓の外で慌ただしくしている従者達を眺めていると、門の向こう側にベッカー家の馬車が停まった。あの馬車を使っているのはフランクだけだ。
(お父様……?)
「エミリ、起きたかい」
入ってきたのはベンジャミンだった。貴族服をきっちり着こなしてはいるが、流行に敏感なベンジャミンにしては黒だけでまとめているのが気になった。
「おはようございます。あの、何かあったのですか? お父様がいらしたみたいですが……」
「落ち着いて聞いてくれ。……リシェルが事故に遭って死んだ」
「……は?」
神妙な顔で告げるベンジャミンの言葉に、エミリは眉をひそめる。
(リシェルが死んだ? 嘘でしょ……これは夢?)
頭の中でリシェルの顔がぼやっと浮かぶが、それ以上のことは思い出せない。エミリにとって従姉とは、その程度の存在なのだ。しかし、今はベンジャミンの目の前。従姉思いの一面をアピールするために、咄嗟に瞳を潤ませる。
「死んだ……? 何をおっしゃっているのですか、だってつい最近会って……」
「僕も詳しい話をすべて聞かされたわけではないんだけれど……どうやら、グランヴィルとの国境付近で乗っていた馬車ごと崖から落ちたらしい。その際に国境を越え、今はグランヴィルの教会に遺体を安置してもらっている。名義上、婚約者である僕が行って、リシェル本人か確認してくるよ」
「わ、私も一緒に」
「いや、君は残ってほしい。遺体の損傷がかなり激しいと聞いている。幼い頃からリシェルを慕っていた君には見せられない」
「そんな――お姉様ぁ!」
エミリは両手を覆っておいおいと泣きだした。その場に立ち崩れる身体をベンジャミンはしっかりと抱きしめる。
「エミリ、本来であればすぐにでも籍を入れたかったけど、今は時間を置こう。強引に入籍したところで周囲から何を言われるかわからない」
「……構いませんわ。私は、いつもベンジャミン様のことを想っております」
涙を浮かべるエミリにキスをひとつ落とすと、ベンジャミンは部屋から出ていく。外に止めていた馬車に乗り込むと、先に別の馬車に乗っていたフランクが動き出した後を追う。
「……っ、ふふっ」
その様子を窓から見送っていたエミリは、誰もいなくなった部屋で、耐えきれず歓喜した。
「あははははっ! あー……可哀想なお姉様。ベンジャミン様とお父様に捨てられただけでなく、叔父様達と同じ死に方をするなんて! これも運命なのかしら」
目障りだった従姉がいなくなった。立ち去ったのではない、この世から消え去ったのだ。
もう二度と、あの忌々しい翡翠の瞳を見なくて済む。
そう思ったら、腹の底から笑い声を上げたくなった。行儀悪く見られても構わない。エミリは勢いよくベッドに飛び乗った。羽が生えたように心が軽い。
「これでもうお姉様のものは、すべて私のものよ!」
従姉であるリシェルの婚約破棄が正式に決まったその日から、ギルバート公爵家で毎晩甘い夜を過ごしていた。すでに両家公認の恋人同士、何も不思議なことはない。
しかし、いつもなら朝まで抱きしめていてくれるベンジャミンがいない。何かあったのだろうかと、窓の外で慌ただしくしている従者達を眺めていると、門の向こう側にベッカー家の馬車が停まった。あの馬車を使っているのはフランクだけだ。
(お父様……?)
「エミリ、起きたかい」
入ってきたのはベンジャミンだった。貴族服をきっちり着こなしてはいるが、流行に敏感なベンジャミンにしては黒だけでまとめているのが気になった。
「おはようございます。あの、何かあったのですか? お父様がいらしたみたいですが……」
「落ち着いて聞いてくれ。……リシェルが事故に遭って死んだ」
「……は?」
神妙な顔で告げるベンジャミンの言葉に、エミリは眉をひそめる。
(リシェルが死んだ? 嘘でしょ……これは夢?)
頭の中でリシェルの顔がぼやっと浮かぶが、それ以上のことは思い出せない。エミリにとって従姉とは、その程度の存在なのだ。しかし、今はベンジャミンの目の前。従姉思いの一面をアピールするために、咄嗟に瞳を潤ませる。
「死んだ……? 何をおっしゃっているのですか、だってつい最近会って……」
「僕も詳しい話をすべて聞かされたわけではないんだけれど……どうやら、グランヴィルとの国境付近で乗っていた馬車ごと崖から落ちたらしい。その際に国境を越え、今はグランヴィルの教会に遺体を安置してもらっている。名義上、婚約者である僕が行って、リシェル本人か確認してくるよ」
「わ、私も一緒に」
「いや、君は残ってほしい。遺体の損傷がかなり激しいと聞いている。幼い頃からリシェルを慕っていた君には見せられない」
「そんな――お姉様ぁ!」
エミリは両手を覆っておいおいと泣きだした。その場に立ち崩れる身体をベンジャミンはしっかりと抱きしめる。
「エミリ、本来であればすぐにでも籍を入れたかったけど、今は時間を置こう。強引に入籍したところで周囲から何を言われるかわからない」
「……構いませんわ。私は、いつもベンジャミン様のことを想っております」
涙を浮かべるエミリにキスをひとつ落とすと、ベンジャミンは部屋から出ていく。外に止めていた馬車に乗り込むと、先に別の馬車に乗っていたフランクが動き出した後を追う。
「……っ、ふふっ」
その様子を窓から見送っていたエミリは、誰もいなくなった部屋で、耐えきれず歓喜した。
「あははははっ! あー……可哀想なお姉様。ベンジャミン様とお父様に捨てられただけでなく、叔父様達と同じ死に方をするなんて! これも運命なのかしら」
目障りだった従姉がいなくなった。立ち去ったのではない、この世から消え去ったのだ。
もう二度と、あの忌々しい翡翠の瞳を見なくて済む。
そう思ったら、腹の底から笑い声を上げたくなった。行儀悪く見られても構わない。エミリは勢いよくベッドに飛び乗った。羽が生えたように心が軽い。
「これでもうお姉様のものは、すべて私のものよ!」