リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜
リシェル・ベッカーの失踪から一ヵ月と二週間が経過。ベッカー伯爵邸にて
(……この間のベンジャミン様、様子がおかしかったわね)
今日着るドレスを選びながら、エミリはふと思い出す。いつも優しかったベンジャミンが、高級レースを使いたいと言っただけで金の心配をしたからだ。
クローゼットの中にあるほとんどが、ベンジャミンがプレゼントしてくれたもの。普段のデートでは宝石でもドレスでも何でも買ってくれた。金の心配をしても「大丈夫」だといつもの優しい表情で答えていたのに、今回は違った。妊娠している婚約者を突き飛ばすなんてもってのほかだ。
結局はエミリの希望に合わせてくれたが、先日結婚式の打合わせを終えて進捗を伝えると、「わかった」と素っ気ない返答だけだった。
(私が妊婦だって、ちゃんと理解してくださっているのかしら)
エミリは腹部を大事そうに撫でる。一夜の過ちだったとはいえ、エミリはベンジャミンを愛している。何よりリシェルから奪った大切な人――罪悪感などなかった。
「お嬢様、お召し物はお決まりになりましたか」
「ええ、これにするわ」
侍女に急かされて引っ張りだしたのは、繊細な刺繍が施された水色のドレス。それをみて侍女は困った顔をする。
「お嬢様、そちらのお洋服は腹部を圧迫してしまいます。もう少しゆったりとしたものがよろしいかと」
「これを着たい気分なの。何か文句でも?」
「い、いえ! 申し訳ございません。……すぐご用意いたします」
エミリが少しばかり睨みつけると、侍女は頭を下げていそいそと支度を始めた。
ずっと前からベッカー家に仕える侍女だが、リシェルがいなくなってから仕事に精が出ていない。エミリに口出ししてくるようにもなった。
(ああ、なんでこんなにも手際が悪いのかしら。次の更新はなしね)
ドレスに着替え、髪も丁寧に結い上げてもらうと、アクセサリーボックスからエメラルドの指輪をつける。ここ最近はずっと同じものしかつけていない。
「あの、お嬢様。今日もその指輪を?」
「ええ。……もしかして欲しいの? 底辺の身分のあなたが?」
「いいえ、滅相もございません! ただ、リシェルお嬢様のことを案じていらっしゃるのではないかと思いまして」
エミリは唯一の形見を見つめる。
なんでもできるリシェルは、いつの間にかエミリの憧れから任すべき相手と認知するようになった。多くの人から愛され、慕われる存在――そんな従姉をずっと恨んでいたはずだ。
(もしかしたら、私はずっとお姉様のことを――)
ふと浮かんだ仮説に、エミリは首を振って否定した。すでに彼女は死んだのだ。これ以上、故人に何を求めようと言うのだろう。
「それにしても、お姉様はどこに消えたのかしらね」
エミリが見た最期の従姉の姿は、丁寧にカーテシーして公爵邸を去っていく後ろ姿だ。隣国から戻ってきた時にはすでに棺に入れられた状態で、周囲からは対面することを勧めなられかった。あのフランクが話しているうちに顔色を悪くしたくらいなのだから、相当酷かったのだろう。
エミリの言葉に、侍女はおずおずと問う。
「エミリお嬢様は……リシェルお嬢様がまだ生きておられるとお思いですか?」
「生きて……あははっ! そんな訳がないわ。だってお父様達が確認しているもの。あなたも葬儀に参列したのだから見ていたでしょう? お父様の言葉もささやかな心遣いよ」
あの父にしてはわざとらしい、とは思ったが、昔から自分のことしか考えない人だ。魔法を使ったかはわからないが、何か企んでいるのだろうとエミリは察し、あの場は続くように顔を伏せていた。
今日着るドレスを選びながら、エミリはふと思い出す。いつも優しかったベンジャミンが、高級レースを使いたいと言っただけで金の心配をしたからだ。
クローゼットの中にあるほとんどが、ベンジャミンがプレゼントしてくれたもの。普段のデートでは宝石でもドレスでも何でも買ってくれた。金の心配をしても「大丈夫」だといつもの優しい表情で答えていたのに、今回は違った。妊娠している婚約者を突き飛ばすなんてもってのほかだ。
結局はエミリの希望に合わせてくれたが、先日結婚式の打合わせを終えて進捗を伝えると、「わかった」と素っ気ない返答だけだった。
(私が妊婦だって、ちゃんと理解してくださっているのかしら)
エミリは腹部を大事そうに撫でる。一夜の過ちだったとはいえ、エミリはベンジャミンを愛している。何よりリシェルから奪った大切な人――罪悪感などなかった。
「お嬢様、お召し物はお決まりになりましたか」
「ええ、これにするわ」
侍女に急かされて引っ張りだしたのは、繊細な刺繍が施された水色のドレス。それをみて侍女は困った顔をする。
「お嬢様、そちらのお洋服は腹部を圧迫してしまいます。もう少しゆったりとしたものがよろしいかと」
「これを着たい気分なの。何か文句でも?」
「い、いえ! 申し訳ございません。……すぐご用意いたします」
エミリが少しばかり睨みつけると、侍女は頭を下げていそいそと支度を始めた。
ずっと前からベッカー家に仕える侍女だが、リシェルがいなくなってから仕事に精が出ていない。エミリに口出ししてくるようにもなった。
(ああ、なんでこんなにも手際が悪いのかしら。次の更新はなしね)
ドレスに着替え、髪も丁寧に結い上げてもらうと、アクセサリーボックスからエメラルドの指輪をつける。ここ最近はずっと同じものしかつけていない。
「あの、お嬢様。今日もその指輪を?」
「ええ。……もしかして欲しいの? 底辺の身分のあなたが?」
「いいえ、滅相もございません! ただ、リシェルお嬢様のことを案じていらっしゃるのではないかと思いまして」
エミリは唯一の形見を見つめる。
なんでもできるリシェルは、いつの間にかエミリの憧れから任すべき相手と認知するようになった。多くの人から愛され、慕われる存在――そんな従姉をずっと恨んでいたはずだ。
(もしかしたら、私はずっとお姉様のことを――)
ふと浮かんだ仮説に、エミリは首を振って否定した。すでに彼女は死んだのだ。これ以上、故人に何を求めようと言うのだろう。
「それにしても、お姉様はどこに消えたのかしらね」
エミリが見た最期の従姉の姿は、丁寧にカーテシーして公爵邸を去っていく後ろ姿だ。隣国から戻ってきた時にはすでに棺に入れられた状態で、周囲からは対面することを勧めなられかった。あのフランクが話しているうちに顔色を悪くしたくらいなのだから、相当酷かったのだろう。
エミリの言葉に、侍女はおずおずと問う。
「エミリお嬢様は……リシェルお嬢様がまだ生きておられるとお思いですか?」
「生きて……あははっ! そんな訳がないわ。だってお父様達が確認しているもの。あなたも葬儀に参列したのだから見ていたでしょう? お父様の言葉もささやかな心遣いよ」
あの父にしてはわざとらしい、とは思ったが、昔から自分のことしか考えない人だ。魔法を使ったかはわからないが、何か企んでいるのだろうとエミリは察し、あの場は続くように顔を伏せていた。