リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜
第一章 ある令嬢の死

始まり

 リシェル・ベッカーはこの日、自身が司書として働く王立図書館の本棚を行ったり来たりしていた。
 あれもちがう、これでもないと独り言を呟きながら、棚に挿してある書物をパラパラと捲っては戻す。同じ行動を繰り返してすでに一時間が経とうとしていた。
 亜麻色の長い髪を揺らし、翡翠の瞳がページを捲るたびにゆるやかに動く。髪を耳にかける仕草までもが洗礼されたものだ。
 リシェルが没頭しているのはいつものことだが、ここまで悩んでいるのは珍しい。近くで棚の整理をしながら見守っていた職員の一人が、ついにしびれを切らして声をかけた。

「リシェル様、何を探しておいでで?」
「ええ、ギルバート公爵領の過去の地形について詳しく書かれた記録表があったと思うのだけれど、見つからなくて」

 記録表とは、その土地の地形が過去の天気によってどう変化してきたのかが記載されているものだ。とはいえ、探している領地は国内でも広大で、資料をひとつ探すのにも時間がかかる。職員も一緒になって探すことにした。

「どうしてギルバート領の地形をお調べになっているのですか?」
「つい先日、大雨が降ったでしょう? 山に近い場所に住む領民が毎日使っている橋が、濁流で壊されてしまって。復興を進めているけれど、併せて対策も立てておきたいの。橋の修復時に補強をしっかりしておけば、同じケースが起きても今回より防ぐことができるかなって思って」

 本来であれば、これはリシェルの領分ではない。婚約者の実家であるギルバート公爵家の領地運営が上手くいっていないことを知り、参考になればと公爵にいくつか対応策を提案したところ、その手腕を買われたのだ。

(ベンジャミン様は領地のことなんて気にも留めていないみたいし、先行き不安だわ……)
「そういえば、そろそろご入籍でしたね。ご両親も喜ばれているのではないでしょうか」

 職員の一人が思い出すように呟く。
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