リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜
第四章 残された者の末路

リシェル・ベッカーの失踪から半年が経過。ギルバート邸にて

 ギルバート公爵が爵位を返上する意向を示してから二ヶ月。
 屋敷では着々と移住の準備が進められている中、ベンジャミンだけは意地でもこの場を離れないと宣言して何も手をつけていなかった。

「父上が返還するのであれば、そのまま僕に継承してくれるように頼めばいいんだ! 大丈夫、王太子のルーカス殿下はリシェルと懇意にしていた。婚約者の僕の頼みなら聞いてくれるはずさ」

 満面の笑みを浮かべてそう言った息子に、両親はすべてを諦めた。きっと、この様子だと返還の意味を理解していないのだろう。
 彼がどう足掻こうが、復興費に当てるために屋敷は取り壊される。その時までに荷物があっても業者のよきようにしてもらおうと、両親はもう彼に何も言わなくなった。

 リシェルの捜索も勝手に進めているそうだが、一向に情報は集まらない。

 エミリの妊娠が嘘だったことは、未だ両親に話していない。むしろ今まで騙してきたのはお互い様ということで両成敗となった。
 しかし、夫婦なのだから、本当のことにしてしまえばいいというベンジャミンの暴論から、四六時中エミリの側にいる生活を送っているのだが、彼女の表情は乏しくなる一方だった。向日葵のような明るい笑顔は消え、可愛らしい声色はかすれていく。

 なぜそうなってしまったのか、ベンジャミンはわかっていない。

「ねぇエミリ、僕は君の側にずっといるし、欲しいものは買ってあげているのに、どうしてそんなつまらない顔をするんだい?」
「えっと……」
「君に笑顔がなくなったら、それこそ用済みだよ? 僕に捨てられたくないでしょう? 何も取り柄のない君が、僕を失くして生きていけるとでも?」
「ご、ごめんなさい……少し、疲れてしまって」

 夕食時、ベンジャミンが声をかけると身体を震わすエミリ。ひどく怯えているその様子に、ベンジャミンは高揚感に浸っていた。

「エミリ、顔色があまり良くないようですが……色々ありましたし、ゆっくり休めていますか」
「え、ええ……大丈夫ですわ、お義母様」

 日に日にやつれていくエミリを心配する義母を横目に、少し焦げたステーキを美味しそうに頬張るベンジャミン。食事の場は混沌とした空気に包まれていた。それに耐えかねた公爵が口を開く。

「ところでベンジャミン、明日の夜会は覚えているな?」
「もちろん、わかっていますよ。でももったいないなぁ。せっかく最後の夜会なのにすぐ帰るなんて」

 そう言ってベンジャミンは残念そうに肩を竦める。
 明日の夜は王家主催のパーティーだ。隣国グランヴィルとこれからも友好な関係を築いていくための交流会のようなもので、一ヶ月後に爵位を返上する予定のギルバート公爵家も招待されていた。
 両親はここで、王家と長年付き合いのある貴族達に返上前の最後の挨拶まわりをすることになっている。ベンジャミンは新たな関係を求め、エミリを同行させて人脈作りだ。

「エミリ、君の美貌に皆が寄ってくるだろう。これはギルバート家を立て直すチャンスなんだ。いつまでもそんな暗いブス顔のままでいないでよね!」
「は、はい……」

(どいつもこいつも、みんなエミリみたいに服従してくれたらいいのに! あーあ、早く明日にならないかな。会場にリシェルが来てくれるならなおのこといいんだけど!)

 ベンジャミンは今もなお、リシェルは生きていると信じている。人望の厚い彼女だからこそ、どこかの貴族に匿われている可能性がある。そこで、夜会の場でベンジャミン自らがリシェルの情報を集め、それを元に居場所を突き止めようと考えた。彼女を正妻に迎える計画を本気で実行しようとしているのだ。

(待っていてね、リシェル。早く君を見つけて、公爵家を立て直してくれた暁には、僕の妻にして愛してあげるから!)

 満面な笑みを浮かべるベンジャミンの横で、エミリは虚ろな目で彼を見つめていた。
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