リシェル・ベッカーが消えた日〜破滅と後悔はすぐそこに〜

リシェル・ベッカーの失踪から八ヶ月が経過。伯爵領の医院にて

 ベンジャミンがギルバート家の親戚が住まう伯爵領の医院のベッドに移されて一ヶ月。怪我は順調に回復し、杖があれば近場を散歩できるほどには歩けるようになっていた。
 退院すれば、伯爵領での新しい生活が始まる。当初は肉体労働を課せられることになっていたが、怪我のこともあり事務作業を手伝うことになった。判を押すだけなら大得意だ。
 しかし、退院までの数日間はやることがなく、巡回する看護師に幾度となく言い寄っては振られるなど、暇を持て余す日々が続いていた。

「あー……つまらない。今日も傷の具合を診て終わりかぁ……」

 王都からかなり遠く離れているため、流行が入ってくるのは遅く、きらびやかな街は存在しない。入院している今こそ出歩くことはないが、退院後を考えると退屈でしかない。隙をみてこっそり王都に遊びに行くことも検討しなければ。
 王都といえば、とふと妻の顔が思い浮かんだ。

「……エミリ、サインしてくれたかな」

 ベンジャミンを刺したのは妻のエミリだったと明かされたのは、目を覚ましてすぐのこと。唯一連れ添ってくれた執事の話を聞いていくうちに、刺された直後の意識が薄れていく中で聞こえたのはエミリの叫び声だったとわかって、ベンジャミンは憤慨した。

(この僕がたっぷり愛してやったのに、恩知らずな奴め! また命を狙われでもしたら大変だ)

 それからベンジャミンはすぐに離縁状を用意すると、エミリが幽閉されている城へ遣いを出した。もちろん、離縁するためだ。自分を殺そうとした相手と一生を添い遂げるなんてたまったもんじゃない。

(父上も母上も薄情だ! 貴族を殺そうとした罪は重いし、リシェルの夫として、ルーカス王太子殿下に死刑にでもしてもらおう!)

 ベンジャミンが王都を経つ日には、両親は田舎へ移り住んでいた。執事や他の使用人らも一緒に移住したらしい。誰一人、ベンジャミンの元には残らなかった。その理由を執事に問えば、憐れむ表情を浮かべたまま無言を貫いた。

 ひとり残されたベンジャミンは、公爵の爵位があるうちにどうにかしなければならない。
 そう踏ん切りをつけると、ベンジャミンはベッドのうえで大きく伸びをした。ただ寝っ転がっているだけの日常も、毎日はつまらないがこれはこれで面白い。
 早く巡回の時間にならないかな、などと考えていると、ドアが開くと同時に誰かが入ってきた。
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