絶対零度の王子殿下は、訳アリ男装令嬢を愛して離さない
学園生活
授業が始まって早一か月が経とうとしていた。
王子アンリと同室の寮生活なんて一体どうなってしまうのか不安しかなかったけれど、学園での生活はセレナの想像以上に楽しいものになっていた。
「あの、殿下、さっきの魔法構造についてなんですけど……」
「ん」
昼食後、セレナはすっかり定位置になった隣のアンリに、開いた教科書を見せて、授業でわからなかったところを聞いていた。アンリは相変わらず寡黙で、必要以上の言葉は基本発しないのが常。セレナも今ではそれがアンリのフォーマットだとわかっているし、尋ねたことにはちゃんと返してくれるので特段思うところはない。
それに、魔法の知識と技術に長けているアンリに聞けば、大抵の疑問は解決した。
元々、あまり人と関わらないで生きてきたセレナが、家の中で唯一許されていたことが勉強だった。その中でも魔法についての書物を読むのが大好きだったセレナにとって、共通の話題を話せる相手がいるのが嬉しくて楽しくてたまらない。
「二人は本当に魔法が好きだよねぇ」
しみじみとギャスパーが言う。
「ホント、休み時間まで魔法の話とか勘弁ー」
ジョシュアは背もたれに寄りかかって、あくびを一つ。今にも寝てしまいそうだ。
そんな二人に構わず、セレナとアンリは顔を突き合わせて教科書を覗き込む。
異性と関わることはだいぶ慣れてきた。だけど、とても同い年とは思えない大人びたアンリの隣は、未だに緊張してしまう。極力意識しないためにも、セレナは魔法のことだけに集中するように心がけていた。
あーでもないこーでもないと魔法について話し、休憩時間が終わろうとしていたとき、なにかが散乱するような大きな音がホール内に響いた。
あまりの音に肩を揺らして振り向くと、一人の生徒が転んで食器類をぶちまけてしまったようだった。幸い食器は強化魔法が掛けられているため割れずには済んだものの、食べ残しやスプーン、フォークなどがあちこちに散らばっている。
しかもよくよく見ると、それは明らかに数人分の食器だった。
「あ、悪い、足が当たったわー」
彼が転んだすぐそばのテーブル席に座る数人の生徒の一人が、投げやりに言う。とても謝罪とは思えないような言い方に嫌悪感が募る。
一瞬静かになったホールは、すぐになにごともなかったかのようにもとの喧噪を取り戻す。ちらちらと様子を伺う者やそばを通り過ぎていく者はいても、誰一人として転んだ生徒に手を貸す者はいなかった。
「えっ、カイル?」
セレナは椅子から立ち上がり、ギャスパーの驚く声も無視して彼の元へと足早に駆け寄った。そして、散らばったスプーンやフォークを拾い始めると、それに気付いた転んだ生徒が慌てたように近づいてくる。黒縁眼鏡の彼と目が合うも、それも一瞬のことですぐに逸らされてしまう。
「す、すみません、僕がやるので大丈夫です!」
「そうですよ、これはこいつの仕事なんですから、お気遣い無用ですって。その美しい御身が汚れてしまいますよ?」
そう皮肉交じりに言ったのは、先ほど足が当たったと言った茶髪の生徒だった。制服をだらしなく気崩しているところを見る限り、おそらく上級生だろう。入学してまだ日が浅い今の時期に同級生の中でこんな制服の着方をしている者はさすがに見かけたことはなかった。
セレナは嫌味には返事もせずに食器を集める。
「あのっ、本当に大丈夫ですから」
申し訳なさそうに言う彼に、セレナは「二人でやった方が早いですから」と笑顔で返した。
どうして一番近くにいる彼らが見ているだけで手伝わないのか、ほかの生徒も手伝おうとしないのか、セレナにはわからなかったが、見ていて気持ちのよいものではなかった。
「それより、怪我はありませんでしたか?」
「え……、あ……僕は、だ、大丈夫です――っ⁉」
目の前の彼の顔がみるみる青ざめるのを見て、セレナは後ろを振り返る。すると、フォークを手にしたアンリが立っていた。
「もうすぐ鐘が鳴る。早く片付けてしまおう」
「で、殿下……ここは僕がやりますので、」
「二人より三人の方が早いだろう」
やんわりと入れた断り文句もすげなく返されてしまった。