絶対零度の王子殿下は、訳アリ男装令嬢を愛して離さない
六年後
身支度を終えたセレナは、自室にある姿見の前に立ち鏡の中に目を向ける。
そこには、六年の時を経て麗しく成長した兄・カイルの姿があった。
美しいブロンドヘアを後ろできつく一つに結び、長めの前髪は斜めに流している。上質なシャツに手の込んだ装飾が施されたジャケットを羽織り、レースアップブーツを履いた足はスラリと長い。
やや華奢な体躯ながらも女性にしては長身なのが幸いし、その姿はさながら儚げな美少年と言ったところだ。
自身の顔から目を逸らしたセレナは、髪の結び目を掴んで自身の胸元に毛束を手繰り寄せる。金色に輝くそれは、絹糸のように艶やかで美しい。
六年前父によって切り落とされたが、いつからか髪を伸ばすことが許され今では背中までの長さになった。貴族なら男でも髪を伸ばすことは不思議ではないことと、カイルとしての振る舞いが板についてきたからだろうとセレナは感じていた。
厳格な父は、直系を重んじる人だ。亡くなった祖父からの厳しい教えのせいだと、この家に昔から使える侍従長から聞いたことがある。
だから、六年前にカイルが死んだ時、嫡男を失うわけにはいかないと女のセレナにその責を背負わせた。
こんな嘘を、突き通せるはずがない。
父以外の誰もがそう思ったことだろう。
きっと、父も混乱していたのだとは思う。今では引くに引けなくなったのではないか、とセレナは思っている。
それでも、この家では誰一人として父に異を唱える者はおらず、セレナはカイルのままだった。
誰も、自分を「セレナ」とは呼んでくれない。
母ですら。
セレナは今も十歳のまま、兄・カイルの胸の奥底で眠っている。
そんなセレナにとって、この髪はお守りのようなものだった。
時が経つにつれて、カイルと呼ばれる違和感も薄れていき、最後にセレナと呼ばれた記憶も思い出せないほど。
名前を呼んでもらえない寂しさと、セレナという存在がこの世界からいなくなっていく恐怖。
それらを少しでも和らげるためのお守りが、女性としての象徴でもあり、セレナの自慢でもあったこの髪だ。
どうか、自分だけはセレナを忘れませんように……。
この髪に触れるたび、セレナは祈りにも似た言葉を自分にかけた。
――コンコン
ノック音が、セレナの思考を切断する。手に持っていた髪を後ろに投げやり、「どうぞ」と返事をする。扉が開き、現れたのは母だった。
「準備はできた?」
「はい、母上」
端正な顔に微笑を浮かべてセレナが答えると、母も笑顔になる。後ろ手にドアを閉めた母は、ゆっくりとセレナに近づくと両手でセレナの華奢な手を握った。
「くれぐれも、気を付けて過ごしてちょうだいね」
「はい、わかっています」
ぎゅっと手に力が込められるのを感じて、セレナは母の不安を少しでも和らげようと頷いて見せた。