「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます
本編
1.いってらっしゃいませ
「いってらっしゃいませ」
別に心の底からそう思っているわけではない。これは必要な儀礼というものだ。
自分はそのためのお飾りだ。ちゃんと分かっている。だから、アンジェリカは見事美しい礼をしてみせる。
こういう時、何も考えずとも作法に則った振る舞いができることには育ててくれた祖国に感謝しなければいけないと思う。いい思い出なんて、数えるほどしかないけれど。
「ああ」
頭の上から降ってくる声は、素っ気ない。けれど、この男はたった一人、アンジェリカの夫。
どうしてだか、この人の声は妙に耳に響くような気がする。銀色の髪が揺れればはらりと香る、すっと背筋が伸びるような冷たい木々の香り。
名を、ヴィルヘルム=ファーレンホルスト。この王国の王太子である。
「ご無事のお帰りをお待ちしております」
「いってくる」
それだけ告げて、ヴィルヘルムは去っていく。男の足音はすぐに遠ざかる。
ヴィルヘルムは一度も振り返らないと、アンジェリカはよく知っている。
だから、頭を上げない。
それだけの、話だ。
別に心の底からそう思っているわけではない。これは必要な儀礼というものだ。
自分はそのためのお飾りだ。ちゃんと分かっている。だから、アンジェリカは見事美しい礼をしてみせる。
こういう時、何も考えずとも作法に則った振る舞いができることには育ててくれた祖国に感謝しなければいけないと思う。いい思い出なんて、数えるほどしかないけれど。
「ああ」
頭の上から降ってくる声は、素っ気ない。けれど、この男はたった一人、アンジェリカの夫。
どうしてだか、この人の声は妙に耳に響くような気がする。銀色の髪が揺れればはらりと香る、すっと背筋が伸びるような冷たい木々の香り。
名を、ヴィルヘルム=ファーレンホルスト。この王国の王太子である。
「ご無事のお帰りをお待ちしております」
「いってくる」
それだけ告げて、ヴィルヘルムは去っていく。男の足音はすぐに遠ざかる。
ヴィルヘルムは一度も振り返らないと、アンジェリカはよく知っている。
だから、頭を上げない。
それだけの、話だ。
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