「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます

5.陽だまりの匂い

「どうぞ」
 扉を開けて、促すように示す。

「……ほんとうに、いいの?」

「殿下であれば、問題はないかと」
 王太子妃として、他の男を連れ込むなら咎められてしかるべきだが、ヴィルヘルムは間違いなく夫本人である。

「質素な部屋だな」

 ヴィルヘルムは借りてきた猫のようにちんまりと座って、辺りを見回すように顔を巡らせる。

「そうでしょうか」
「女の部屋ってもっとこう、なんかごちゃごちゃしてるもんだと思ってた」

 きょろきょろと切れ長の目だけが動いている。

 アンジェリカは下に三人の母親の違う妹がいたが、皆ドレスや装飾品の類を競うようにして欲しがっていた。

 ただ、自分はそういう気持ちにはならなかった。物は少ないが、一人で過ごすのならこれで過不足はない。

 殺風景な部屋に、面影が蘇る。記憶の中の母は、いつも寂しそうな目をしていた。
 アンジェリカを膝に乗せて、居室の扉を見つめている。

『ずっと、だれをまってるの?』
 アンジェリカが訊ねると、母は静かに言った。やわらかな母の手が頭を撫でてくれる。

『お父様よ』

 ブロムステットでは、王は三人まで妃を持つことができる。

 一番目の妃は、由緒正しい家柄の娘だった。伯爵令嬢だった母は、己の若さと美貌を盾に見事第一王妃から王の寵愛を手に入れた。

 そうして生まれたのが、アンジェリカである。

 けれど、待っている間その扉が開くことはなかった。

 人の心は移りゆくものだ。奪ったものは、奪い返される。王はまたより若い娘を第三王妃に迎えた。そして、母は広い王宮で独りぼっちになった。

 悲しいとも切ないとも、漏らしたことはない。母もそれなりに分かっていたのだとは思う。

『おとうさまがきてくれないから、おかあさまはさみしいの?』
『そうね』

 ただ会いたい人に会えないのは、寂しいのだなと思った。
 それなら、会いたくなくなればいいのに。そんな風にずっと思っていた。
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