「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます

6.好きなものきらいなもの

 ヴィルヘルムは目に見えて分かりやすく、“二十八歳”の世界に適応していった。

 といってもすぐに十六歳の子供に政務ができるわけではない。けれど、彼はそれを補う方法を見つけたのだ。

 例えば、重臣に何かを尋ねられたとする。その時、ヴィルヘルムはすぐには答えない。

 代わりに、
「そなたはどう思う?」

 と対立する別の重臣に意見を問うのだ。そうやって両方の意見を聞いてから、重々しく口を開く。

 それはひとえに、宰相とグレンが凄まじい労力で宮中の権力闘争を教え込んだからにほかならないけれど。
 それでも、随分とうまくやっていると思う。現にその証左のように宰相の眉間の皺はいくらか薄くなった。

 返答がおぼつかないところも、幼さが垣間見えるところも確かにある。けれど、十六歳のヴィルヘルムは恐ろしく人当たりがよかった。

 誰にでもやわらかく話しかける。陽だまりのような笑顔に、いつの間にか絆されてしまう。
 大人のヴィルヘルムが、完璧さと近寄り難さでその権威を保っていたのとは対照的だ。

 孤高の王太子は、いつの間にか人の輪の中心に立っている。その早さに、正直一番ついていけていないのはアンジェリカだった。

「あ、アン! こんなところにいた」

 廊下でアンジェリカの姿を見つけたヴィルヘルムは、一目散に駆けてきた。その向こうで目を白黒させているグレンの姿が見える。

 言葉を選ばずに言えば、飼い主を見つけた犬のようだった。

「ね、一緒にお昼食べよ」
「は、はい?」
「早く行こ。オレもうお腹すいちゃったよ」

 そう言って、戸惑うアンジェリカの手を取って歩き始める。
 アンジェリカは普段昼食を取らない。せいぜいお茶の時間に少し菓子をつまむ程度だ。

「わたしは、いいです」
 その手を引いて、立ち止まる。

「え、食べないの?」

 きょとん、と不可思議なものでも見るように灰青色の目が瞬きをする。

 別にそこまでおかしなことは言っていないと思う。元より王侯貴族の子女はそこまで食事を取らないように育てられる。コルセットも締めるから、尚更だ。

「だからこんなに細いのか」

 そのままヴィルヘルムは、確かめるようにアンジェリカの手首をきゅっと掴む。そして、おもむろに頷いたかと思えば勝手に頷いてまた歩き出した。
< 17 / 94 >

この作品をシェア

pagetop