「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます

8.捻挫と秘密とお姫様抱っこ

「本当に、このまま舞踏会にお出になるおつもりですか」

 穏やかなクレアの声に、非難するような棘が宿る。さすがに一番身近にいる彼女までには隠し通せなかった。

「当然じゃない」
「こんなに腫れた足で、ですか?」

 捻った左足は、次の日にはびっくりするほど腫れた。これはすぐに治るものではないと、自分だって分かっている。

「そうよ」

 アンジェリカの答えに、クレアは悲しそうに眉を下げる。

「せめて、ヴィルヘルム殿下にご相談なさってはいかがですか」

 よくできた侍女は、普段主人であるアンジェリカの言葉に異を唱えることはない。だからこれは極めて珍しいことだった。

「話して、どうするの?」
「今の殿下なら、きっと姫様のことを」

 クレアにさえも、ヴィルヘルムが記憶を失っていることは知らされていない。だからその先のことについては思い当たらない。

 知って、どうしてくれるというのだろう。

 確かに、今のヴィルヘルムはやさしい。
 知ればきっと、アンジェリカのこの足を案じてくれるだろう。
 その結果として、あの十六歳は皆の前で必死にアンジェリカを庇い立てするかもしれない。

 ――ダンスなんて、しなくていいよ。

 男の声が無邪気にそう言い放つのが聞こえた気がした。

 けれど、それは一時的にアンジェリカを救ったとしても、本質的には追い込むだろう。政略結婚の妻の仕事はお飾りで、それすらできない自分に価値はない。

 己の無価値を公衆の面前で示されることほど、屈辱的なことはない。
 それを十六歳に分かれというのは、酷だろうということも。

「いいの。殿下にはお伝えしないで」
「ですが」

 もう一度何かを言おうとしたクレアを、今度は目だけで制す。

「……承知いたしました」

 さすがは付き合いが長いだけのことはある。アンジェリカは見た目の地味さの割には頑固で、こうなるともう絶対に我を通すということを、この侍女はよく知っている。

 クレアはトゥシューズの要領で足首にリボンを編み上げてくれた。
 これなら、ドレスの裾から足が覗いてもぱっと見は腫れも分からないだろう。少々心もとないが、包帯の代わりにもなる。いくらか歩きやすくなった。

「ご無事のお戻りを、お待ちしております」

 そう言って一度頭を下げたその目にはやはり心配が色濃く浮かんでいて、なんだか少し悪いことをしている気にもなった。
< 25 / 94 >

この作品をシェア

pagetop