「君を愛することはない」と言った夫が、記憶だけ16歳に戻ってまた恋をしてきます

3.十六歳の夫

 王太子妃にあるまじき振る舞いをしてしまったと気づいたのは、庭園に辿り着いた時だった。衝動のままに走り出してしまうだなんて、我ながらどうかしていた。

 嘲笑うかのように、廊下に自分の影が歪に伸びる。

「アンジェリカ妃殿下」
 追いかけてきた足音は、グレンのもの。

「魔術師団長によれば、呪いを解く方法は他にあるかもしれないと。なので、妃殿下が悪いわけでは」

 それは確かに、そうなのかもしれない。そもそも呪い自体が訳の分からないものだ。これと定められるようなものはないのだろう。

「それに、殿下はきっと少し混乱しているだけです。昔は割と、ああいう方でしたし……」

 機嫌を取るような声に、ぐっと握りしめてしまっていた手をやっと解いた。

 グレンはヴィルヘルムと幼い頃から乳兄弟として育ったと聞いている。十六歳のヴィルヘルムはアンジェリカにとっては見知らぬ男だが、グレンはよく知っているのだろう。

「そうね」
 頭では分かっている。けれど、この胸に(もや)のように広がっていくものは一体なんだろう。

「ほかに、殿下の周りに女性はいないの?」

 そう言った自分の声は、平坦に響いた。この耳で聞く限りでは何の感情も読み取れない。

「は、はい?」

「誰でもいい。(めかけ)でも愛人でも。なんなら側妃に召し上げでもいいわ。だから探してちょうだい」

 その人がヴィルヘルムに口づけして、早く呪いを解いてくれればいい。
 そんな女が、もし存在するのなら。

「お願いね」

 振り返ってグレンの顔を見上げた。

 長年夫に仕えた侍従は、まるで奇妙なものでも見るような目をした。アンジェリカが何を考えているのか、掴み兼ねているようだった。

 大丈夫、わたしはまだ、ちゃんとやれている。
 だってこれが、妃の務めだろう。そう思ったから。

「返事は?」

 凄んで見せれば、はっと我に返ってグレンは「承知いたしました」と返事をした。

 そそくさと消えていくグレンの姿を見ながら思う。
 明らかになった事実はもう一つ。

「わたし、あの人のことすきじゃなかった……」

 なんと残酷なことだろう。
 好きも嫌いも目には見えない。だから、呪いがなければアンジェリカだってこんなこと、分からなかっただろう。

 アンジェリカはヴィルヘルムを愛したことはない。そして、憎んだこともない。
 そう、夫婦と言えど本当に、何もなかった。

 自分が夫に義務感以上の何も抱いたことがないことに、アンジェリカは気が付いてしまったのだった。
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