治療不可能な恋をした
小さな旅路、大きな約束
数週間後──菜々美には、警察の捜査と裁判を経た正式な刑罰が下された。
執行猶予付きの刑と社会奉仕命令、そして病院や梨乃の関係者への接触禁止。彼女の家族も、理人の実家の力や人脈を背景に、外部からの監視を余儀なくされた。
その過程で、梨乃のいとこおじで弁護士をしている親戚にも相談し、法的な対応を慎重に進めていたが、結果的にはその不安も杞憂に終わった。
彼女の姿を見かけることはもうなく、理人への執着も、自己愛に彩られた妄想も、すべて粉々に砕け散った。
誰の同情も呼ばれぬまま、清野菜々美という存在は、静かに消えていった。
一方、梨乃と理人は、問題解決と同時に新居での新しい生活を始めていた。ほどよく広く居心地のいいリビングには、朝の光がカーテン越しに差し込む。
ソファに座ってぼんやりしていた梨乃の前に、ふと影がかかった。
「梨乃。コーヒーで良かった?」
見上げると、理人がコーヒー入りのマグカップを差し出していた。
「うん、ありがとう」
笑顔で受け取ると、理人はそのまま隣に座る。お揃いのマグカップを手にしながら、梨乃は同じ家で暮らす実感をかみしめた。
「どうした?」
隣に座った理人が少し首を傾げ、不思議そうに声をかけてくる。
「……ううん。なんだか、落ち着くなって」
「そうだな。やっと、普通の生活を取り戻せたって感じがする」
二人は言葉少なに微笑みを交わす。手にした温かいマグカップの重み、隣にいる理人の存在──そのすべてが、過去の不安や恐怖から解き放たれた安堵を静かに伝えていた。
窓の外の街の喧騒は遠く、二人だけの穏やかな朝が、ゆっくりと流れていく。