タイムスリップできる傘
第九章 水晶玉のなかにある念願成就の木
天気……冷たい秋風が吹いて、木の葉が、はらはらと舞うように地面に散っていった。雨が降ったあと、落ち葉はじっとりと濡れて、それからまもなく土に帰っていった。
今日、ぼくはずっと馬小跳のベッドの下に隠れていて、日が暮れるのを待っていた。夜が更けて、馬小跳が寝たあと、ミー先生の傘を再び開いて、馬小跳たちが小学校のときの恩師である秦先生のうちを訪ねる場面を見たいと思ったからだ。
夕方、馬小跳が学校から帰ってきて、部屋で宿題をしていると、玄関のインターホンが鳴った。お母さんが出ると、玄関の外に安琪儿が立っていた。安琪儿は馬小跳のクラスメイトだし、同じアパートに住んでいる隣人でもあったから、お母さんもよく知っていた。
「あら、安琪儿、どうしたの、馬小跳に何か用?」
お母さんが聞いていた。
「いつものように宿題を手伝ってもらいたいと思って」
安琪儿が照れくさそうに、そう答えていた。
「分かったわ。どうぞなかに入って」
お母さんがそう言って、安琪儿をうちのなかに入れていた。
「馬小跳、安琪儿が来たわよ。宿題を手伝ってもらいたいと言って」
お母さんが馬小跳の部屋のドアを、こんこんと、たたきながら、そう言っていた。
「分かったよ。なかに入れて」
馬小跳はそう答えると、ドアを開けた。安琪儿の顔を見ると、馬小跳は仏頂面をしながら
「おまえ、宿題は自分でやるようにしろよ」
と言った。
「分かっているわ。でも問題が難しくて、わたしには解けそうもなかったから」
と、ぼそぼそっとした声で安琪儿が答えていた。
「分かったよ。どこが分からないのだ?」
馬小跳はそう言ってから、安琪儿の宿題を手伝い始めた。三十分ほどで問題の解き方がようやく飲み込めたので、安琪儿は嬉しそうな顔をしていた。帰るときに
「これ、お礼よ。いつも手伝ってくれるから」
と言って、かばんのなかから箱を取り出した。それを見て、馬小跳は首を横に振って
「いらない。おまえがくれるものは、おれの好みに合わないものばかりだから」
と、つっけんどんに言った。
「そんなこと言わないで受け取ってよ。今日持ってきたものは、きっと好みに合っていると思うわ」
安琪儿が自信ありげにそう言った。
「何を持ってきたのだ?」
馬小跳が聞き返していた。
「オルゴール」
安琪儿がそう言った。
「自分で持っていろよ」
馬小跳は不愛想に、そう答えた。
「せっかくプレゼントしようと思って持ってきたのに、そういう言い方はないでしょう。とにかく見てよ」
安琪儿はそう言うと、自分で包装紙を解いて、箱を開けた。箱のなかには水色のオルゴールが入っていた。オルゴールの上にはバレエの服を来た人形が立っていて、安琪儿がオルゴールのねじを巻くと、人形は『白鳥の湖』のメロディーに合わせて踊り始めた。
「この人形は、どことなく夏林果に似ていると思わない?」
安琪儿が馬小跳に聞いた。
「そう言われると、そう見えないこともないな」
馬小跳がそう答えていた。
「だから、この人形を、あなたにプレゼントしようと思っているの。あなたは夏林果が好きなことを知っているから」
安琪儿がそう言った。馬小跳は、それでも受け取ろうとはしなかった。
「おれにプレゼントするのではなくて、夏林果にプレゼントしたらどうだ?」
馬小跳はそう言った。それを聞いて、安琪儿は首を横に振った。
「あなたにプレゼントしようと思って持ってきたの。あなたが受け取ってよ」
安琪儿はそう答えていた。
「いらない」
馬小跳は我を張っていた。
安琪儿と馬小跳が押し問答をしているときに、馬小跳のお父さんが部屋のなかに入ってきて
「おまえがいらないのなら、お父さんが受け取るよ」
と言って、安琪儿からオルゴールを受け取っていた。
「ありがとう、大切にするよ」
お父さんはそう言って、安琪儿の頭を、そっとなでていた。馬小跳のお母さんも部屋のなかに入ってきて
「ありがとう、とても嬉しいわ。馬小跳は、本当は受け取りたいのだけども、夏林果に対する思いを見透かされて、恥ずかしくて、あえていらないと言っているだけだから気にしないでね」
と言った。
「分かっているわ、おばさん」
安琪儿がそう答えていた。
馬小跳のお母さんはそれからまもなく部屋を出て、応接室の棚の上に飾ってあった水晶玉を持ってきて
「安琪儿、お礼にこれをあげるから持って帰って」
と言っていた。
「ありがとう、すてきな水晶玉ですね」
安琪儿はそう言って、馬小跳のお母さんが渡した水晶玉をじっと見ていた。
「安琪儿、この水晶玉のなかに木があるのが見えますか」
馬小跳のお母さんが聞いていた。
「ええ、見えます。不思議な形をしていますね」
安琪儿がそう答えていた。
「その木は『念願成就の木』と言うの。叶えたい願いがあったら、その木に、願いをつぶやいてください。実現に向けて可能性が開けていくと思います」
それを聞いて、安琪儿はびっくりした顔をしてから
「本当ですか?」
と聞き返していた。馬小跳のお母さんは、にっこりとうなずいていた。
「だったら、おばさん、そんなに大切なものを、わたしがいただくわけにはいきません。お気持ちはありがたいですが、馬小跳の夢の実現に向けて、これからも、このうちに飾っておいてください」
安琪儿がそう答えて、いったん受け取った水晶玉を、馬小跳のお母さんに返そうとしていた。
馬小跳のお母さんは受け取らなかった。それを見て安琪儿は、馬小跳に返そうとしていた。馬小跳も受け取らなかった。
「おじさん、受け取って」
懇願するような目で、安琪儿は馬小跳のお父さんを見ていた。
「安琪儿の気持ちは分かるけど、これは、うちの家族みんなからのプレゼントなのだ。素直にもらってくれたほうが、返すよりもうれしい。そうだろう?」
馬小跳のお父さんはそう言って、お母さんの顔を見ていた。
「そうです」
馬小跳のお母さんは、そう答えていた。それを聞いて安琪儿はしばらく考えてから
「分かりました。必要なときはいつでもお返しいたしますので、そのときは遠慮なく、おっしゃってください。それまで大切に預からせていただきます」
と答えて、水晶玉をかばんのなかに大切に入れて、それからまもなく、うちへ帰っていった。そのあと馬小跳のお母さんが
「あの子はなんてかわいいのでしょう。気遣いができるし、とても優しい子だから、お母さんは、あの子が大好きだわ」
と言った。それを聞いて、馬小跳が
「おれは、安琪儿はあまり好きではない」
と答えていた。
「どうして。あんなにいい子なのに」
馬小跳のお母さんが、けげんそうな顔をしていた。
「おれによくプレゼントをくれるが、おれの好みに合わないものばかりだからだ」
馬小跳がそう答えていた。それを聞いて、馬小跳のお父さんが
「好みに合うとか、合わないとか、そういう問題ではないだろう。女の子からプレゼントをもらったら『ありがとう』と言って、喜んで受け取るのが男の子のマナーだ」
と言って、懇々と諭していた。
馬小跳のお父さんとお母さんは、安琪儿のことが以前からずっと好きだったことを、ぼくは覚えている。ぼくは以前、杜真子に連れられて、馬小跳のうちに来たことがあったが、そのころも安琪儿がよく馬小跳のうちへ出入りしていた。宿題を手伝ってもらうときだけでなくて、お母さんから怒られたときも、安琪儿はよく馬小跳のうちに駆け込んできて、怒られたわけを話していた。馬小跳のお母さんは安琪儿の話を聞いたあと、優しく抱きしめながら
「誰でも失敗はするから、あまり気にしないでいいわ」
と言って慰めていた。馬小跳のお父さんは面白い話をして、沈んでいる安琪儿の心をほぐそうとしていた。
馬小跳は、お父さんやお母さんほど、安琪儿のことを好きではなかったが、嫌いというよりも、馬小跳の心のなかでは、夏林果に対するあこがれの気持ちが強かったから、それ以外の女の子には、なびかなかったからではないかと、ぼくは思っている。
安琪儿が馬小跳のお母さんからもらった水晶玉を大事そうにかばんに入れて帰ってからまもなく、馬小跳は夕ご飯を食べるために自分の部屋を出て、ダイニングルームへ入っていった。そのすきに、ぼくはミー先生の傘をくわえて、馬小跳の部屋から外に出て、安琪儿のうちへ行った。安琪儿のうちでも今、ちょうど夕ご飯の時間だったから、安琪儿は自分の部屋にはいなかった。ぼくは傘をくわえたまま安琪儿の部屋に入って、ベッドの下に隠れながら、見つからないようにじっとしていた。
ダイニングルームから声が聞こえてきたので、ぼくは耳をそばだてながら聞いていた。
「安琪儿、どこへ行っていたの?」
お母さんの、かりかりした声が響いていた。
「すみません、馬小跳のうちへ宿題を手伝ってもらいに行っていました」
安琪儿は、ぼそぼそっとした声でそう答えていた。それを聞いて、お母さんがむっとしたような顔をしながら
「何度言ったら分かるの。馬小跳のうちには行くなって、口がすっぱくなるほど言っているのに、どうして、お母さんの言うことを素直に聞かないのよ」
と言っていた。
「だって、馬小跳のうちは、すぐ近くだし、いつも丁寧に教えてくれるから」
安琪儿がそう答えていた。
「馬小跳は腕白極まりない子どもだから、あんな子どもとかかわっていたら、あなたまで悪くなります。『朱に交われば赤くなる』という言葉があります。金輪際、あんな子のうちへ行くことを絶対に許しません」
お母さんが厳しい口調でそう言って、安琪儿を戒めていた。
「馬小跳は、お母さんが思っているほど悪い子ではないわ」
安琪儿が懸命に馬小跳を弁護していた。
「悪い子でなくても、あんな子と付き合っていたら何のプラスにもならない」
お母さんはそう言って、聞く耳を持たなかった。
「だったら、どういう人と付き合ったらいいと言うの?」
安琪儿が、へそを曲げてお母さんに聞き返していた。
「自分よりも優れた人と付き合いなさい」
お母さんがそう答えていた。
「馬小跳は、わたしよりも優れているわ。わたしが分からない問題にも答えることができるから」
安琪儿がそう答えていた。するとお母さんが
「それはあなたの学力が低すぎるからよ。馬小跳の学力は標準並みだと、秦先生からうかがっているから、それほど優れているわけではないわ。馬小跳の腕白極まりないふるまいは目に余るほどだと秦先生がおっしゃっていたから、あなたが馬小跳に感化されないか心配しているの」
安琪儿のお母さんがそう言った。それを聞いて、安琪儿のお父さんが
「馬小跳のことを、そのように悪く言うのはよくないよ。男の子は悪ふざけをするのが普通だから」
と言っていた。
「でもなかには真面目な子もいるじゃない」
安琪儿のお母さんがそう言った。それを聞いて安琪儿のお父さんが
「お母さんは丁文涛のような品行方正で、頭がよい子が好きなようだが、お父さんに言わせれば、あの子はあまりにも真面目過ぎて面白みがない。どこか大人びていて、子どもらしさがない。安琪儿、そうじゃないのか?」
と言った。
「そう、確かに、お父さんの言うとおりだわ」
安琪儿がそう答えていた。それを聞いて、安琪儿のお母さんがまた反論した。
「でも将来有望なのは馬小跳ではなくて丁文涛ではないの?」
それを聞いて、安琪儿のお父さんが
「必ずしもそうとは限らないよ。子どものころ、のびのびとした生活をしている子どものほうが将来伸びることもあるし、それとは反対に子どものころ優秀な子どもでも将来伸びないこともある」
と言っていた。
「将来伸びるか、伸びないかの違いは、どうやったら見極めることができるのでしょうか」
安琪儿のお母さんが、興味深そうな顔をしながらお父さんに聞き返していた。
「神のみぞ知ると言ったところかなあ」
安琪儿のお父さんは、そう答えて笑っていた。
「でも以前、読んだ本のなかに、知能指数の高い子どもよりも、感情指数の高い子どものほうが将来伸びる可能性が高いと書かれていたような気がする。丁文涛と馬小跳を比べたら、丁文涛は知能指数が高い子どもで、馬小跳は感情指数の高い子どもだから、ぼくは丁文涛よりも馬小跳のほうが将来伸びる可能性があると思っている」
安琪儿のお父さんがそう言った。お母さんがそれを聞いて、けげんそうな顔をしながら
「感情指数って何ですか?」
と聞き返していた。
「心の知能指数のことで、自分の気持ちを抑えたり、ほかの人の気持ちを理解できる能力のことだ」
お父さんがそう答えていた。
「感情指数のことを初めて知ったわ。でも感情指数なんて主観的で測りづらいから、高いかどうか分かりにくいじゃないですか。それよりも客観的な数字で分かりやすい知能指数の高い子どものほうが将来有望だと、わたしは思っています」
安琪儿のお母さんは自説の正しさをまだ主張していた。お父さんがそれを聞いて
「分かった。ではどちらが正しいのか、かけをしてみないか。ぼくは馬小跳のほうが将来有望だと思っている」
と言った。お母さんが首を横に振って
「わたしは丁文涛のほうが将来有望だと思っています」
と答えていた。
「安琪儿、おまえはどう思っているの?」
お母さんが安琪儿に聞いていた。安琪儿を首をかしげながら
「わたしにはよく分からない」
と答えていた。安琪儿はそれからまもなく食事を終えて、自分の部屋に戻って来た。ドアに鍵をかけると、ベッドの上に寝そべって、今日、馬小跳のお母さんからもらってきた水晶玉をじっと見ていた。水晶玉のなかには不思議な形をした木が入っていた。『念願成就の木』と、馬小跳のお母さんが呼んでいたその木を、安琪儿はじっと見ながら、何か願い事をかけているように見えた。
(安琪儿は今、何を願っているのだろうか)
ぼくはそう思いながら、ベッドの下にじっと隠れていた。もうしばらくしたら、安琪儿が部屋の電気を消して寝るはずだから、その後、ミー先生の傘を開いて、安琪儿が将来どうなっているのか見てみたいと、ぼくは思った。
今日、ぼくはずっと馬小跳のベッドの下に隠れていて、日が暮れるのを待っていた。夜が更けて、馬小跳が寝たあと、ミー先生の傘を再び開いて、馬小跳たちが小学校のときの恩師である秦先生のうちを訪ねる場面を見たいと思ったからだ。
夕方、馬小跳が学校から帰ってきて、部屋で宿題をしていると、玄関のインターホンが鳴った。お母さんが出ると、玄関の外に安琪儿が立っていた。安琪儿は馬小跳のクラスメイトだし、同じアパートに住んでいる隣人でもあったから、お母さんもよく知っていた。
「あら、安琪儿、どうしたの、馬小跳に何か用?」
お母さんが聞いていた。
「いつものように宿題を手伝ってもらいたいと思って」
安琪儿が照れくさそうに、そう答えていた。
「分かったわ。どうぞなかに入って」
お母さんがそう言って、安琪儿をうちのなかに入れていた。
「馬小跳、安琪儿が来たわよ。宿題を手伝ってもらいたいと言って」
お母さんが馬小跳の部屋のドアを、こんこんと、たたきながら、そう言っていた。
「分かったよ。なかに入れて」
馬小跳はそう答えると、ドアを開けた。安琪儿の顔を見ると、馬小跳は仏頂面をしながら
「おまえ、宿題は自分でやるようにしろよ」
と言った。
「分かっているわ。でも問題が難しくて、わたしには解けそうもなかったから」
と、ぼそぼそっとした声で安琪儿が答えていた。
「分かったよ。どこが分からないのだ?」
馬小跳はそう言ってから、安琪儿の宿題を手伝い始めた。三十分ほどで問題の解き方がようやく飲み込めたので、安琪儿は嬉しそうな顔をしていた。帰るときに
「これ、お礼よ。いつも手伝ってくれるから」
と言って、かばんのなかから箱を取り出した。それを見て、馬小跳は首を横に振って
「いらない。おまえがくれるものは、おれの好みに合わないものばかりだから」
と、つっけんどんに言った。
「そんなこと言わないで受け取ってよ。今日持ってきたものは、きっと好みに合っていると思うわ」
安琪儿が自信ありげにそう言った。
「何を持ってきたのだ?」
馬小跳が聞き返していた。
「オルゴール」
安琪儿がそう言った。
「自分で持っていろよ」
馬小跳は不愛想に、そう答えた。
「せっかくプレゼントしようと思って持ってきたのに、そういう言い方はないでしょう。とにかく見てよ」
安琪儿はそう言うと、自分で包装紙を解いて、箱を開けた。箱のなかには水色のオルゴールが入っていた。オルゴールの上にはバレエの服を来た人形が立っていて、安琪儿がオルゴールのねじを巻くと、人形は『白鳥の湖』のメロディーに合わせて踊り始めた。
「この人形は、どことなく夏林果に似ていると思わない?」
安琪儿が馬小跳に聞いた。
「そう言われると、そう見えないこともないな」
馬小跳がそう答えていた。
「だから、この人形を、あなたにプレゼントしようと思っているの。あなたは夏林果が好きなことを知っているから」
安琪儿がそう言った。馬小跳は、それでも受け取ろうとはしなかった。
「おれにプレゼントするのではなくて、夏林果にプレゼントしたらどうだ?」
馬小跳はそう言った。それを聞いて、安琪儿は首を横に振った。
「あなたにプレゼントしようと思って持ってきたの。あなたが受け取ってよ」
安琪儿はそう答えていた。
「いらない」
馬小跳は我を張っていた。
安琪儿と馬小跳が押し問答をしているときに、馬小跳のお父さんが部屋のなかに入ってきて
「おまえがいらないのなら、お父さんが受け取るよ」
と言って、安琪儿からオルゴールを受け取っていた。
「ありがとう、大切にするよ」
お父さんはそう言って、安琪儿の頭を、そっとなでていた。馬小跳のお母さんも部屋のなかに入ってきて
「ありがとう、とても嬉しいわ。馬小跳は、本当は受け取りたいのだけども、夏林果に対する思いを見透かされて、恥ずかしくて、あえていらないと言っているだけだから気にしないでね」
と言った。
「分かっているわ、おばさん」
安琪儿がそう答えていた。
馬小跳のお母さんはそれからまもなく部屋を出て、応接室の棚の上に飾ってあった水晶玉を持ってきて
「安琪儿、お礼にこれをあげるから持って帰って」
と言っていた。
「ありがとう、すてきな水晶玉ですね」
安琪儿はそう言って、馬小跳のお母さんが渡した水晶玉をじっと見ていた。
「安琪儿、この水晶玉のなかに木があるのが見えますか」
馬小跳のお母さんが聞いていた。
「ええ、見えます。不思議な形をしていますね」
安琪儿がそう答えていた。
「その木は『念願成就の木』と言うの。叶えたい願いがあったら、その木に、願いをつぶやいてください。実現に向けて可能性が開けていくと思います」
それを聞いて、安琪儿はびっくりした顔をしてから
「本当ですか?」
と聞き返していた。馬小跳のお母さんは、にっこりとうなずいていた。
「だったら、おばさん、そんなに大切なものを、わたしがいただくわけにはいきません。お気持ちはありがたいですが、馬小跳の夢の実現に向けて、これからも、このうちに飾っておいてください」
安琪儿がそう答えて、いったん受け取った水晶玉を、馬小跳のお母さんに返そうとしていた。
馬小跳のお母さんは受け取らなかった。それを見て安琪儿は、馬小跳に返そうとしていた。馬小跳も受け取らなかった。
「おじさん、受け取って」
懇願するような目で、安琪儿は馬小跳のお父さんを見ていた。
「安琪儿の気持ちは分かるけど、これは、うちの家族みんなからのプレゼントなのだ。素直にもらってくれたほうが、返すよりもうれしい。そうだろう?」
馬小跳のお父さんはそう言って、お母さんの顔を見ていた。
「そうです」
馬小跳のお母さんは、そう答えていた。それを聞いて安琪儿はしばらく考えてから
「分かりました。必要なときはいつでもお返しいたしますので、そのときは遠慮なく、おっしゃってください。それまで大切に預からせていただきます」
と答えて、水晶玉をかばんのなかに大切に入れて、それからまもなく、うちへ帰っていった。そのあと馬小跳のお母さんが
「あの子はなんてかわいいのでしょう。気遣いができるし、とても優しい子だから、お母さんは、あの子が大好きだわ」
と言った。それを聞いて、馬小跳が
「おれは、安琪儿はあまり好きではない」
と答えていた。
「どうして。あんなにいい子なのに」
馬小跳のお母さんが、けげんそうな顔をしていた。
「おれによくプレゼントをくれるが、おれの好みに合わないものばかりだからだ」
馬小跳がそう答えていた。それを聞いて、馬小跳のお父さんが
「好みに合うとか、合わないとか、そういう問題ではないだろう。女の子からプレゼントをもらったら『ありがとう』と言って、喜んで受け取るのが男の子のマナーだ」
と言って、懇々と諭していた。
馬小跳のお父さんとお母さんは、安琪儿のことが以前からずっと好きだったことを、ぼくは覚えている。ぼくは以前、杜真子に連れられて、馬小跳のうちに来たことがあったが、そのころも安琪儿がよく馬小跳のうちへ出入りしていた。宿題を手伝ってもらうときだけでなくて、お母さんから怒られたときも、安琪儿はよく馬小跳のうちに駆け込んできて、怒られたわけを話していた。馬小跳のお母さんは安琪儿の話を聞いたあと、優しく抱きしめながら
「誰でも失敗はするから、あまり気にしないでいいわ」
と言って慰めていた。馬小跳のお父さんは面白い話をして、沈んでいる安琪儿の心をほぐそうとしていた。
馬小跳は、お父さんやお母さんほど、安琪儿のことを好きではなかったが、嫌いというよりも、馬小跳の心のなかでは、夏林果に対するあこがれの気持ちが強かったから、それ以外の女の子には、なびかなかったからではないかと、ぼくは思っている。
安琪儿が馬小跳のお母さんからもらった水晶玉を大事そうにかばんに入れて帰ってからまもなく、馬小跳は夕ご飯を食べるために自分の部屋を出て、ダイニングルームへ入っていった。そのすきに、ぼくはミー先生の傘をくわえて、馬小跳の部屋から外に出て、安琪儿のうちへ行った。安琪儿のうちでも今、ちょうど夕ご飯の時間だったから、安琪儿は自分の部屋にはいなかった。ぼくは傘をくわえたまま安琪儿の部屋に入って、ベッドの下に隠れながら、見つからないようにじっとしていた。
ダイニングルームから声が聞こえてきたので、ぼくは耳をそばだてながら聞いていた。
「安琪儿、どこへ行っていたの?」
お母さんの、かりかりした声が響いていた。
「すみません、馬小跳のうちへ宿題を手伝ってもらいに行っていました」
安琪儿は、ぼそぼそっとした声でそう答えていた。それを聞いて、お母さんがむっとしたような顔をしながら
「何度言ったら分かるの。馬小跳のうちには行くなって、口がすっぱくなるほど言っているのに、どうして、お母さんの言うことを素直に聞かないのよ」
と言っていた。
「だって、馬小跳のうちは、すぐ近くだし、いつも丁寧に教えてくれるから」
安琪儿がそう答えていた。
「馬小跳は腕白極まりない子どもだから、あんな子どもとかかわっていたら、あなたまで悪くなります。『朱に交われば赤くなる』という言葉があります。金輪際、あんな子のうちへ行くことを絶対に許しません」
お母さんが厳しい口調でそう言って、安琪儿を戒めていた。
「馬小跳は、お母さんが思っているほど悪い子ではないわ」
安琪儿が懸命に馬小跳を弁護していた。
「悪い子でなくても、あんな子と付き合っていたら何のプラスにもならない」
お母さんはそう言って、聞く耳を持たなかった。
「だったら、どういう人と付き合ったらいいと言うの?」
安琪儿が、へそを曲げてお母さんに聞き返していた。
「自分よりも優れた人と付き合いなさい」
お母さんがそう答えていた。
「馬小跳は、わたしよりも優れているわ。わたしが分からない問題にも答えることができるから」
安琪儿がそう答えていた。するとお母さんが
「それはあなたの学力が低すぎるからよ。馬小跳の学力は標準並みだと、秦先生からうかがっているから、それほど優れているわけではないわ。馬小跳の腕白極まりないふるまいは目に余るほどだと秦先生がおっしゃっていたから、あなたが馬小跳に感化されないか心配しているの」
安琪儿のお母さんがそう言った。それを聞いて、安琪儿のお父さんが
「馬小跳のことを、そのように悪く言うのはよくないよ。男の子は悪ふざけをするのが普通だから」
と言っていた。
「でもなかには真面目な子もいるじゃない」
安琪儿のお母さんがそう言った。それを聞いて安琪儿のお父さんが
「お母さんは丁文涛のような品行方正で、頭がよい子が好きなようだが、お父さんに言わせれば、あの子はあまりにも真面目過ぎて面白みがない。どこか大人びていて、子どもらしさがない。安琪儿、そうじゃないのか?」
と言った。
「そう、確かに、お父さんの言うとおりだわ」
安琪儿がそう答えていた。それを聞いて、安琪儿のお母さんがまた反論した。
「でも将来有望なのは馬小跳ではなくて丁文涛ではないの?」
それを聞いて、安琪儿のお父さんが
「必ずしもそうとは限らないよ。子どものころ、のびのびとした生活をしている子どものほうが将来伸びることもあるし、それとは反対に子どものころ優秀な子どもでも将来伸びないこともある」
と言っていた。
「将来伸びるか、伸びないかの違いは、どうやったら見極めることができるのでしょうか」
安琪儿のお母さんが、興味深そうな顔をしながらお父さんに聞き返していた。
「神のみぞ知ると言ったところかなあ」
安琪儿のお父さんは、そう答えて笑っていた。
「でも以前、読んだ本のなかに、知能指数の高い子どもよりも、感情指数の高い子どものほうが将来伸びる可能性が高いと書かれていたような気がする。丁文涛と馬小跳を比べたら、丁文涛は知能指数が高い子どもで、馬小跳は感情指数の高い子どもだから、ぼくは丁文涛よりも馬小跳のほうが将来伸びる可能性があると思っている」
安琪儿のお父さんがそう言った。お母さんがそれを聞いて、けげんそうな顔をしながら
「感情指数って何ですか?」
と聞き返していた。
「心の知能指数のことで、自分の気持ちを抑えたり、ほかの人の気持ちを理解できる能力のことだ」
お父さんがそう答えていた。
「感情指数のことを初めて知ったわ。でも感情指数なんて主観的で測りづらいから、高いかどうか分かりにくいじゃないですか。それよりも客観的な数字で分かりやすい知能指数の高い子どものほうが将来有望だと、わたしは思っています」
安琪儿のお母さんは自説の正しさをまだ主張していた。お父さんがそれを聞いて
「分かった。ではどちらが正しいのか、かけをしてみないか。ぼくは馬小跳のほうが将来有望だと思っている」
と言った。お母さんが首を横に振って
「わたしは丁文涛のほうが将来有望だと思っています」
と答えていた。
「安琪儿、おまえはどう思っているの?」
お母さんが安琪儿に聞いていた。安琪儿を首をかしげながら
「わたしにはよく分からない」
と答えていた。安琪儿はそれからまもなく食事を終えて、自分の部屋に戻って来た。ドアに鍵をかけると、ベッドの上に寝そべって、今日、馬小跳のお母さんからもらってきた水晶玉をじっと見ていた。水晶玉のなかには不思議な形をした木が入っていた。『念願成就の木』と、馬小跳のお母さんが呼んでいたその木を、安琪儿はじっと見ながら、何か願い事をかけているように見えた。
(安琪儿は今、何を願っているのだろうか)
ぼくはそう思いながら、ベッドの下にじっと隠れていた。もうしばらくしたら、安琪儿が部屋の電気を消して寝るはずだから、その後、ミー先生の傘を開いて、安琪儿が将来どうなっているのか見てみたいと、ぼくは思った。