タイムスリップできる傘

第十三章 料理のおねえちゃん

天気……秋が日ごとに深まってきて、昼間も気温がそれほど上がらなくなってきた。夜になると、白っぽい月が、空にかかっていて、冷たく見えた。月の光は水のように透き通っていて、地面に散り敷いている枯葉の上に、ほろほろとこぼれていた。

杜真子と過ごしていた懐かしい場面を見終わったあと、ぼくは傘を閉じて、杜真子のベッドの下に隠れながら、杜真子が学校から帰ってくるのを待っていた。夕方の四時過ぎに、杜真子がうちへ帰って来た。自分の部屋に入ると、杜真子はすぐに机の前に座って宿題を始めていた。ぼくがこのうちにいたころは杜真子が宿題をしているあいだ、ぼくは机の上に腹ばいになって、杜真子の姿をじっと見ていた。杜真子も時々、宿題をする手を休めて、ぼくのほうを、ちらちらと見ながら、にこやかに笑みを浮かべていた。それを見て、ぼくもにっこりと笑っていた。あのときは、ぼくにとって一日のうちで一番楽しいひとときだった。もしかしたら杜真子にとっても、至福のひとときではなかっただろうかと思う。でも今、ぼくは、このうちにはいないので、杜真子はぼくの姿が写っている写真立てを時々見ながら宿題をしていた。ぼくは杜真子のベッドの下に隠れたまま、顔は出さないで、夜になるのを待っていた。
しばらくしてから、お母さんが杜真子を呼ぶ声が聞こえてきた。
「杜真子、ご飯ができたわよ。食べにいらっしゃい」
「すぐ、行きます」
杜真子はそう答えると、ダイニングルームへ行った。ダイニングルームのなかから、杜真子とお母さんの声が聞こえてきた。ぼくは耳をそばだてながら聞いていた。
「お母さん、いつも、おいしい料理をたくさん作ってくれて、ありがとう」
杜真子がお母さんに感謝していた。
「いえいえ、料理を作るのは主婦として当たり前の仕事ですから」
お母さんがそう答えていた。
「こんなにいろいろな料理を作ってくれて、どれから食べたらいいのか分からないわ」
杜真子がそう言っていた。
「その必要はないわ。お母さんがお皿に盛ってあげるから、その順番に食べなさい」
お母さんがそう答えていた。それを聞いて杜真子が
「わたしが食べたいものを、適当に食べるから、わざわざ盛ってくれなくてもいいわ」
と答えていた。するとお母さんが首を横に振った。
「だめです。あなたはいつも自分の好きなものばかり食べようとするから、それでは栄養が偏ってしまいます。食べる順番もとても大事です。野菜を先に食べて、そのあと肉や魚を食べて、最後にご飯を食べるようにしなさい。それが健康に一番よい食べ方です」
お母さんが、そう答えていた。
「分かったわ。お母さんの言うとおりにするわ」
杜真子が、あまり気乗りがしないような声でそう答えていた。
ご飯を食べながら、お母さんが杜真子に
「宿題はもう全部終わりましたか」
と聞いていた。
「学校の宿題はもう全部終わりました。でもお母さんが出した作文の宿題がまだ……」
杜真子がそう答えていた。
「そうですか。だったらご飯を食べ終わったあと、しなさい」
お母さんがそう言っていた。
「学校の宿題をするだけでも大変なのに、お母さんが出した宿題までしなければならないのは大変過ぎる」
杜真子が不満そうに、つぶやいていた。それを聞いて、お母さんが、むっとしたような声で
「何を言っているのですか。今は激しい競争社会だから、ほかの人よりもたくさん勉強しないと勝てません。お母さんはあなたにいい学校に行ってもらって、立派な人になってほしいと願っているから、学校の宿題だけでは物足りないと思って、独自に宿題を出しているのです」
と言っていた。
「分かったわ。お母さんが出した宿題もすればいいのでしょう?」
杜真子は不機嫌そうな声でそう答えていた。
それからまもなく杜真子は食事を終えて、自分の部屋に戻ってきた。そのあと机の上の写真立てを見ながら
「ねえ、笑い猫、あなたがこのうちを出ていってから、わたしはとても寂しいわ」
と言って、しんみりした声で話しかけていた。
杜真子は見かけは、むとんちゃくで、こまかいことを気にせずに、ひょうひょうと生きているように見える女の子だ。でも実際にはとても感じやすいところがある女の子なので、ぼくがいなくなってから、心のなかに、ぽっかりと大きな穴が開いたようで、寂しくてたまらないようだった。お母さんと考えが合わないことが、杜真子の寂しさにいっそう拍車をかけているようにぼくには思えた。
杜真子は、ぼくの写真に話しかけたあと、窓のカーテンを開けて、ぼんやりとした顔で、夜空を眺めていた。白っぽい月が出ていて、とても冷たく見えた。
それからまもなく、杜真子のお母さんが、ドアのノックもしないで、杜真子の部屋にそっと入ってきた。杜真子が窓から外を眺めているのを見て
「杜真子、何をしているの。ぼーとしないで、さっさと宿題をしなさい」
と言って、注意していた。
「ぼーとしているのではないわ。夜空を眺めながら、作文の構想を練っていたの」
杜真子がそう答えていた。
「構想がまとまったら、さっさと宿題に取りかかりなさい」
お母さんが命令口調で、そう言った。それを聞いて杜真子は顔を曇らせながら
「お母さんが出した今度の作文のテーマは、興味がないテーマなので、知識が乏しくて、書きにくいわ。作文を書くためにはインスピレーションがまずひらめいて、それからストーリーを考えていかなければならないけど、どちらもわいてこない」
と答えていた。お母さんはそれを聞いて、つんとした顔をしながら
「興味がないテーマでも書かなければなりません。試験のときに、興味がないテーマが出題されていたらどうしますか」
お母さんはそう言って、一歩も引かなかった。
「分かりました。書けばいいのでしょう、書けば」
杜真子は投げやりにそう答えてから、机に向かって、お母さんが出した作文の宿題に取り組み始めた。二時間ぐらいかけて、ようやく作文ができあがったので、杜真子は疲労困憊したような顔をしながら、ベッドに入っていた。
杜真子が寝入ったあと、ぼくはベッドの下から出てきて、ミー先生の傘を開いた。杜真子とお母さんの関係がしっくりいっていないのを知って、ぼくはこれからの二人の関係が気になってしかたがなかったので、杜真子の将来の姿を見ることにした。傘の軸についているボタンのなかから未来にタイムスリップできるボタンを押しながら
「杜真子の十五年後の姿を見たい」
と言って、傘をくるくる回した。すると傘紙の上に、若い女性に成長している杜真子の姿が映し出された。
杜真子は大学で栄養学を学び、卒業後は大学院でさらに研究を続ける傍ら、テレビ局で働いていた。子ども向けの料理番組のアシスタントをしていて、チャーミングなルックスと大きな目が魅力的で、視聴者の心を魅了していた。子どもたちには特に絶大な人気があって、『料理のおねえちゃん』と呼ばれて親しまれていた。
杜真子が出ている料理番組を、杜真子のお母さんも見てはいたが、杜真子のことをあまりよくは思っていなかった。
(こんな子ども番組のアシスタントなんかをしていたのでは将来性がない)
お母さんはそう思っていたからだ。
杜真子がうちへ帰ってくると、お母さんは、ぶつぶつと文句を言っていた。
「わたしは、おまえにあらゆる希望を託して大切に育ててきたわ。どれほど心血を注いできたかしれない。それなのに、こんな子ども番組なんかに出て……」
お母さんが不満そうに、そう言った。杜真子はそれを聞いて
「子ども番組のどこがいけないの?」
と聞き返していた。
「幼稚すぎるからよ」
お母さんが、つっけんどんに、そう答えていた。
「わたしはそうは思わないわ。子どもたちに料理の作り方を教えることは、とてもよいことだと思っているわ」
杜真子が反論していた。
「料理を作ることは、母親の仕事だから、子どもたちに教える必要はない」
お母さんがそう言っていた。
「でも今はお母さんも外に働きにいっていて夜遅く帰ってくることが多いから、子どもたちはおなかを空かして待っていることが多い。それよりも子どもたちが番組を見ながら料理の作り方を覚えて、栄養のバランスが取れた料理を自分で作って食べることができるようになったら、とても健康的な食生活が送れるようになるのではないかしら」
杜真子がそう言って、再び反論していた。
「わたしはそうは思わないわ。子どもたちは学校から帰ってきたら補習塾に行って、いろいろな知識や技術を学ぶべきだわ。補習塾に行かないで、うちで料理番組を見ながら料理を作っていたら、将来性が見込めない」
お母さんがそう言った。杜真子はそれでも引かなかった。
「絵やピアノやテニスや英語などを学んで、上手にできるようになっても、健康的な食生活ができなかったら病気になって、学ぶことができなくなってしまうのではないの」
杜真子がそう言った。お母さんはそれを聞いて、不愉快そうな顔をしながら
「おまえはいくつになっても、わたしにたてついてばかりいて、素直に聞こうとしない。わたしの言うことではなくて、唐飛の言うことなら、何でも聞くくせに……」
と言った。唐飛のことをいきなり話に持ち出されたので、杜真子は一瞬、びっくりしたような顔をしていた。唐飛というのは、杜真子のいとこの馬小跳と子どものころからの親友で、今は杜真子のボーイフレンドとなっている若者だ。唐飛は子どものころは食べることに目がなくて、暇さえあれば、しょっちゅう何かを食べていた。杜真子は子どものころから料理を上手に作ることができたから、唐飛は杜真子にとても好意を寄せていた。杜真子に嫌われたくなかったから、唐飛は杜真子のために何でもしようと思っていた。
小学校のとき、唐飛は杜真子が料理を作っている場面をビデオに撮ってテレビ局に持っていったことがあった。家庭料理の作り方を募集している番組があったからだ。すると運よく採用されて、杜真子はテレビ局に呼ばれて、スタジオのなかで、その料理を作り、その場面がテレビで放映された。ものすごく反響があって、杜真子は脚光を浴びて、一躍、時の人となった。そのときの嬉しさが忘れられなかったから、杜真子は学校を卒業したらテレビ局で働いて、料理番組の司会者になりたいと、ずっと思い続けていた。その願いがかなって、再びテレビの料理番組にアシスタントとして出ることができて、視聴率が高いことを知って、杜真子はとても満たされた気持ちでいた。子どものころ、料理をつくっている場面を唐飛がビデオに撮ってテレビ局に持っていってくれなかったら、今のわたしはないと思って、杜真子は唐飛に対する恩をけっして忘れないでいた。
花も恥じらうような美しい女性に成長していた杜真子は、まるで少女漫画のなかに出てくるキュートな美少女のように、とてもチャーミングだった。体全体に、におうような色香がただよっていて、優しさにあふれた大きなひとみがとても印象的な女性だった。視聴者からは『料理のおねえちゃん』と呼ばれて親しまれていた。杜真子がアシスタントをしている料理番組は、アニメ番組よりも人気があって、子どもたちが一番好きな番組になっていた。
杜真子は週に一回、テレビの料理番組に出演していて、放送が終わったあとは、ビデオに録画して、アメリカの大学で経済学の勉強を続けている唐飛にインターネット回線で送り、番組の感想を聞いていた。杜真子は唐飛に感想を聞いたあと、新たなアイデアやレシピを考えて、番組のなかに取り入れて、ますます面白い番組にしていた。
杜真子のお母さんは、杜真子が子ども向けの料理番組のアシスタントをしていることを、番組の人気にかかわらず、ずっと快く思っていなかった。そのために、杜真子は寂しく思っていたが、唐飛と話をしていると、お母さんとしっくりいかないことを忘れることができたので、楽しい気持ちになることができた。
杜真子が唐飛と話をしているときに、唐飛はよく馬小跳のことを杜真子に聞いていた。馬小跳は杜真子のいとこであり、自分の親友でもあるからだ。
「馬小跳は今でも、おまえのことをよく思っていなくて、仲たがいしているのか。もしそうなら、おれはあいつに一言言ってやる」
と、唐飛が息巻いていた。それを聞いて杜真子は首を横に振ってから
「今はそんなことはないわ。馬小跳は以前ほど、とげとげしい態度は取らなくなったわ」
と答えていた。
傘紙に映った杜真子の十五年後の姿を、ここまで見たときに、杜真子の布団が急にめくれて、杜真子が起きようとしているのに、ぼくは気がついた。ぼくは、はっとして急いで傘をたたんでから、ベッドの下に、さっともぐりこんだ。杜真子は蛍光灯の電気をつけると、ベッドから降りて、お手洗いに行って、それからまた戻ってきて、蛍光灯を消して寝ていた。再び暗くなった部屋のなかで、ぼくは
(あれほど犬猿の仲だった杜真子と馬小跳が、仲良くなれたのはどうしてだろう)
と自問していた。
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