タイムスリップできる傘

第三章 老いらくさんの許しがたい過去

天気……きらきらと輝く太陽の光が、地上に柔らかく降り注ぎ、赤や黄色に色づき始めた木々の葉が明るく照り映えていた。翠湖公園のなかでは、オレンジ色の小花をたくさんつけたキンモクセイが、辺り一面に、芳香をぷんぷんと漂わせていた。

ミー先生の不思議な傘を使って、妻猫の過去や将来の姿を見ることができたので、ぼくは思いを遠くに馳せながら、ロマンチックなひとときを過ごすことができた。妻猫も、傘紙に映し出された光景を、ぼくから聞いて、感慨深そうな顔をしていた。これまで知らなかった妻猫の姿を知って、ぼくは妻猫への理解がさらに深まり、いとおしさが、ますますつのってきた。
今日は昨日とは打って変わって、よい天気になったので、ぼくは朝早く、うちを出て、翠湖の湖畔に沿って散歩をしていた。すると向こうから老いらくさんがやってきた。
「やあ、笑い猫、元気そうでよかった。わしはおまえのことをずっと心配していた」
老いらくさんが、ぼくに声をかけた。
「どうしたのですか。ぼくはいつも元気ですよ」
ぼくはけげんに思って、そう聞き返した。
「だって、昨日、おまえといっしょにシャオパイのうちへ行ったとき、傘に乗って、飛んでいったではないか。あのあと、どうなったのだろう。もしかしたら、もう二度と会えない遠いところへ行ってしまったのではないだろうか、それとも、どこかに落ちて死んでしまったのではないだろうかと思って、心配でたまらなかったのだ」
老いらくさんがそう言った。それを聞いて、ぼくは昨日のことを思い出しながら
「そうだったのですか。ご心配おかけして申し訳ありませんでした。でも大丈夫です。あのあと、傘は翠湖公園まで飛んでいったので、下りてから、傘に乗って、うちまで帰っていきました。あの傘はダチョウのように走ることもできるのですよ」
と言った。それを聞いて、老いらくさんは
「空を飛べるだけでなくて、地上を走ることもできるのか」
と聞いた。ぼくはうなずいた。
「そうです。傘の柄を行きたい方向に向けると、そちらに向かって走っていきます」
ぼくはそう答えた。
「そうか。わしも、その傘に乗って、空を飛んだり、地上を走ってみたいなあ」
老いらくさんがそう言った。
「ぼくは老いらくさんに聞きたいことがあるのですが……」
ぼくはそう言った。
「何だ。何を聞きたいのだ?」
老いらくさんがけげんそうな顔をしていた。
「老いらくさんの過去のことについて知りたいのですが……」
ぼくはそう答えた。
「わしとおまえは知り合ってから、もうずいぶん長くなるから、わしの過去についても、これまで、いろいろと話をしてきたではないか。いまさら、何を聞きたいのだ」
老いらくさんが口を尖らせていた。
「ぼくに言えないで、隠していることが何かありませんか」
ぼくがそう言うと、老いらくさんが一瞬、どきんとしたのが分かった。
「おまえとの間に隠し事など何もない」
老いらくさんは、少し間を置いてから平静さを装ってそう言った。
「そうですか。だったら、あれは何だったのでしょうか」
と言って、昨日、シャオパイのうちで、傘を開いたときに見えた老いらくさんの若いときの恐ろしい姿のことを思い浮かべながら、そう言った。
「わしは常に前を向いて生きていくことにしているので、過去のことはあまり振り返りたくない」
老いらくさんがそう言った。
「老いらくさんは、ぼくの親友だから、ぼくが知らない老いらくさんの陰の部分も知って、老いらくさんのことを、もっと理解したいのです」
ぼくはそう言った。
「分かった。だったら、あとで梅園でまた会おう。わしはいつも朝食前に散歩をすることにしているから、これからうちへ帰って食事をすることにする。おまえはもう食事はすませたのか」
老いらくさんがそう聞いた。
「ぼくもまだです。これからうちへ帰って食事をします。そのあと傘に乗って梅園に行きます」
ぼくはそう答えた。
「そうか。よかったら、湖畔でいっしょに食事をしないか。わしがスケートボードに食べ物を乗せて運んでくるから」
老いらくさんがそう言った。
「お気持ちはありがたいですが、老いらくさんが食べるものといったら、公園のゴミ箱に捨ててあるものか、人のうちにこっそり忍び込んで盗んできたものばかりだから、食べる気がしません。ぼくのうちには馬小跳や、杜真子や、馬小跳の友だちが持ってきてくれた食べ物がありますから、妻猫といっしょに、それを食べます」
ぼくはそう答えた。
「そうか。それだったら仕方がないな」
老いらくさんがそう答えた。
ぼくと老いらくさんは、それからまもなく、ご飯を食べるために、それぞれのうちへ帰っていった。
ご飯を食べ終えたあと、ぼくはミー先生の傘を口でくわえて、うちの外へ持ち出した。傘の軸についているボタンを押して、傘を開いてから、傘に乗って、地上を走るボタンを押した。すると、傘が走り始めた。ぼくは傘の柄を梅園の方に向けた。すると傘は梅園を目指して走っていった。途中で老いらくさんに出会ったので、ボタンのひもを引いて傘の動きを止めてから
「老いらくさん、早く乗って」
と声をかけて、老いらくさんを傘に乗せた。そのあと再び地上を走るボタンを押して、ぼくと老いらくさんは、それからまもなく梅園に着いた。ぼくは傘を閉じた。
「ここは本当に静かでいいところですね。花が咲いているときは人が多いですが、今の時季はひっそりしていて、心が落ち着きますね」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。
「そうだね。ここはわしのお気に入りの場所だから、おまえと深い話をするときには、いつもここに来ていた」
老いらくさんがそう言った。
「そうですね。ここは、ぼくも大好きなところです」
ぼくはそう答えた。
「笑い猫、わしがおまえに何か隠していると思っているのか」
老いらくさんが聞いた。
「……」
ぼくは返答に窮した。
「そりゃ、わしには、いろいろなことがあった。でも過去のことは過去のことで、いつまでも気に留めないで、これからは前を向いて歩いていこうと思っているのだ」
老いらくさんがそう言った。
「分かりますよ。立派な生き方だと思います」
ぼくはそう答えた。
「だったら、わしの過去のことを根ほり葉ほり、探りだそうとしなくてもいいではないか」
老いらくさんが不機嫌そうな顔をしながら、そう言った。老いらくさんが、過去の汚点に触れられることを嫌がっていることは明らかだった。
「……」
老いらくさんの言うことに一理あったので、ぼくは言葉を返せないでいた。
「わしが一番恐れているのは、わしが知られたくない過去を知ることで、おまえがわしから離れていくことだ」
老いらくさんがそう言った。
「そんなことは絶対にないと思います。身近にいる人や動物の過去や将来を知ることができたら、親しみと、いとおしさが、いっそうわいてくると思います」
ぼくはそう言ってから、昨夜、妻猫の過去と将来の姿を傘紙のなかで見て、妻猫に対する愛情がいっそう深まったことを老いらくさんに話した。すると老いらくさんは首を横に振ってから
「わしと妻猫は比べものにならないほど過去が違っている。妻猫は人間の愛に包まれた環境のなかで育ってきたが、わしは……」
老いらくさんが口をつぐんだ。
「分かりました。話したくなかったら、無理に話してくださらなくてもけっこうです。老いらくさんの過去の姿を、傘紙のなかでもっと詳しくみてみることにします」
ぼくはそう答えてから、傘を再び開いて、軸についているボタンのなかから、過去へタイムスリップできるボタンを押しながら
「老いらくさんの若いころの姿をもっと見たい」
と言った。するとしばらくしてから次のような光景が傘紙のなかに映し出された。
町のあるところにリーダー格のネズミがいて、たくさんの子分を引き連れながら、至る所で略奪行為を繰り返して、悪の限りを尽くしていた。リーダー格のネズミは、とりもなおさず老いらくさんだった。邪悪で狡猾なところが顔全体にあふれていて、近寄りがたいような雰囲気をしていた。眼光は鋭くて威圧的な態度で子分たちに略奪行為の指図をしていた。子分たちからは『強先生』と呼ばれていた。
ある年の年末、町の家々では春節を祝うために、台所のなかにソーセージがつり下げてあった。それに目をつけた悪党のネズミ軍団は夜中にこっそり家のなかに忍び込んで、何軒もの家のソーセージをかじってから、ソーセージにぶらさがって、ぶらんこ遊びをしてから、とんずらしていた。朝になってソーセージがネズミにかじられたことを知って、人々はしかたなく、かじられたソーセージをゴミ箱のなかに捨てていた。その日の夜、悪党のネズミ軍団は再び、その家にやってきて、ゴミ箱のなかに捨ててあるソーセージを再び、かじっていた。悪党のネズミ軍団は、大好物のソーセージをおなかいっぱい食べることができて、とても楽しい気持ちで春節を迎えていた。
傘紙のなかに映し出された昔の年末の様子を見て、悪党のネズミ軍団を率いていた老いらくさんがいかに悪いネズミだったのかを知って、ぼくはがくぜんとした。こんな不快な場面を、これ以上は見たくなかったので、過去へタイムスリップできるボタンをもう一度リセットしてから
「老いらくさんの別の顔を見たい」
と言った。するとしばらくしてから別の場面が傘紙のなかに映し出された。
ある花壇のなかに生まれたばかりの子猫が捨てられていた。その子猫を見つけた老いらくさんは、子分とともに、寄ってたかって、その子猫をいじめていた。その子猫はまだ立つこともできないまま、虫の息をしていた。それからまもなく、その子猫は死んでしまった。
ぼくはもうこれ以上、見続けることができなくなった。幼くして世を去ったシャオカレイのことが、頭のなかにふっと思い浮かんで、この子猫がかわいそうでたまらなくなったからだ。それと同時に、老いらくさんに対する憎しみの念が、頭のなかに、ふつふつとわいてきた。それからまもなく
「気分が悪くなったから、うちへ帰る」
と言って、ぼくは老いらくさんを梅園に残したまま、うちへ帰っていくことにした。傘の上に乗ってから、地上を走るボタンを押すと、傘がダチョウのように走り始めた。それを見て老いらくさんが
「笑い猫、ちょっと待ってくれ。わしも乗せてくれ」
と、呼びかける声が後ろから聞こえてきた。でもぼくは無視して振り返らなかった。老いらくさんの許しがたい過去を知って、ぼくは心中穏やかではいられなかったからだ。
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