タイムスリップできる傘
第四章 神仙となった老いらくさん
天気……今日は強い風がひとしきり吹いたが、空は雲一つなく晴れていて、遠くまで青く澄みわたっていた。秋になると、この町では雨がわりと多く降るので、今日のような明るくてきれいな空が際限なく広がっているのを見ると、心がさわやかな気持ちになる。
昨日、老いらくさんの過去の姿を見て腹立たしくなったぼくは、うちに帰ってからもずっと、むしゃくしゃしていた。妻猫には老いらくさんのことは話していないので、ぼくは昨日見たことは話せなかった。ぼくはひとりで胸のなかに憤りを抱えたまま、やるせない思いで一日中、もんもんと過ごしていた。夜もよく眠れなかった。
今朝早く、うちの外に出てみると、ひんやりした風が吹いていた。空はよく晴れていて、明けがたの空に明星が輝いていた。それからまもなく東の空に太陽が昇りはじめて、少しずつ明るくなってきた。しかしぼくの気持ちは少しも明るくならなかった。ぼくは老いらくさんとは、これからはもう親しくしないことにした。そう思いながら、いつものように朝食前の散歩をしていると、向こうから老いらくさんがやってくるのが見えた。
「やあ、笑い猫、わしに、ひどく怒っているみたいだな」
老いらくさんがそう言った。
「……」
ぼくは答えなかった。
「わしが、これまで、おまえに隠し事をしていたのは、おまえから絶交されることを恐れていたからだ」
老いらくさんが、おずおずした声で、そう言った。
「……」
ぼくはまだ返事をしなかった。
「わしの過去を知って、おまえがわしに腹を立てているのはよく分かる。おまえの気持ちはよく分かる。しかしどうか、わしの過去の過ちを大目に見て、わしを許してくれないか」
老いらくさんが懇願するような目で、そう言った。
「……」
ぼくはまだ答えなかった。
「誰でも過ちは犯すものだし、わしはその後、更生して、悪いことはあまりしなくなった。利己心をできるだけ抑えて、ほかのものの気持ちを大切に考えるようになった。かわいそうなものを見つけたら、助けるようになった」
老いらくさんがそう言った。ぼくはそれを聞いて、以前、この町の郊外にある遊園地のなかで、老いらくさんに助けてもらったときのことを、ふっと思い出した。
遊園地のなかで、奇形ガエルを見世物にして商売をしていた男がいたので、抵抗したぼくは、ひどく蹴られて気を失って死にかけていた。雨が降るなか、老いらくさんが、スケートボードを引いて、ぼくを探しにきて、ぼくをスケートボードに乗せて翠湖公園のなかまで連れて行ってくれた。もしあのとき、老いらくさんが探しに来てくれていなかったら、ぼくはおそらく死んでいただろう。そのことを思うと、老いらくさんには一生忘れられない深い恩義を感じている。
「分かりました。ぼくは老いらくさんの過去の残忍な行為を大目に見ることにします」
ぼくは、ようやく口を開いて、老いらくさんにそう答えた。それを聞いて、老いらくさんの顔に、安堵の念が浮かんだのが見えた。
「笑い猫、わしの過去は極悪非道なものだったから、振り返りたくないが、わしのこれからはどうなるのだろうか。あの傘を使って、わしの将来の姿も見ることができるのか」
老いらくさんが聞いた。
「できます」
ぼくは老いらくさんにそう答えた。
「だったら見てくれ。とても気になるから」
老いらくさんが、そう言った。
「分かりました。これからうちへ帰って、朝ご飯を食べてから、傘に乗って梅園に行きます。梅園でまた会いましょう」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。
「分かった。ではわしも、これからうちへ帰って、朝ご飯を食べてから梅園に行く」
ぼくと老いらくさんは、それからまもなく別れて、それぞれのうちへ帰っていった。
妻猫といっしょに朝ご飯を食べてから、ぼくは妻猫に
「この傘に乗って、公園のなかをしばらく走ってくる」
と言って、傘を口でくわえて、家の外に持ち出した。そのあと傘を開いて、傘に乗ってから、地上を走るボタンを押した。傘の柄を梅園の方に向けると、傘は梅園へ向かって走り始めた。それからまもなく、ぼくが乗った傘は梅園に着いた。老いらくさんはもうすでに梅園に来ていた。
「笑い猫、まず、わしの十年後の姿を見てくれないか」
老いらくさんがそう言った。
「分かりました」
ぼくはそう答えてから、傘の軸についているボタンのなかから未来へタイムスリップできるボタンを押しながら
「老いらくさんの十年後の姿を見たい」
と言って、傘をくるくる回した。するとしばらくしてから、傘紙の上に、老いらくさんの姿が現れた。老いらくさんの姿は今は、思索を好む哲学者のような姿をしているが、十年後の老いらくさんの姿は今とは違って、ごく普通の姿をしていた。年を取り過ぎて、物事の真理を深く考えることができなくなってきたからだろうかと、ぼくは思った。
老いらくさんの姿がごく普通の姿になっていることを話すと、老いらくさんは、けげんそうな顔をして
「どうしてだろう。わしは、もうずいぶん長い間、道徳的に正しいことばかりしてきたから、普通の姿に戻るわけがないのだがなあ……。もしかしたら、わしがおこなってきたことは動機が不純だったから、化けの皮が剝がれて、もとの姿に戻ったのかなあ」
と言った。
「そんなことはないです。老いらくさんの過去はともかく、今は完全に更生しましたから、もとに戻るとは思いません」
ぼくはそう言った。
「だったら、どうして十年後のわしは、普通の姿をしているのだ?」
老いらくさんが聞いた。
「ぼくにも理由はよくわかりませんが、年を取って物事の真理を深く考えることが苦手になってきたからではないでしょうか」
ぼくはそう答えた。
「そうか、それはありうるな」
老いらくさんが、しんみりとした顔をして、そう言った。
「これまでおこなってきたことは動機が不純だったと、今、おっしゃいましたが、
本当にそうなのですか?」
ぼくは老いらくさんに聞いた。
「必ずしも、そうとばかりは限らないよ。わしがおまえを助けたのは、おまえがいなくなったら寂しいからではなくて、おまえを心から愛していたからだ。分かるか、笑い猫?」
老いらくさんがそう言った。
「分かりますよ」
ぼくはそう答えた。
「笑い猫、今度はわしの二十年後の姿を見てくれないか」
老いらくさんがそう言った。
「分かりました」
ぼくはそう答えてから、傘の軸についているボタンのなかから未来へタイムスリップできるボタンを押しながら
「老いらくさんの二十年後の姿を見たい」
と言って、傘をくるくる回した。するとしばらくしてから、傘紙の上に、老いらくさんの姿が現れた。老いらくさんの姿は、十年後の姿と違って、今の姿に戻っていた。どうしてなのか、ぼくにも理由がよく分からなかった。見終わったあと、ぼくは老いらくさんに、そのことを話すと、老いらくさんは、ほっとしたような顔をしていた。
「そうか、よかった。今の姿に戻ったのは、世俗的な生き方になってきた自分に気がついて、気を引き締めて高尚な生き方をするようになってきたからかもしれない」
老いらくさんがそう言った。
「そうですね。そうかもしれないですね」
ぼくはそう答えた。
「二十年後も、わしはおまえといっしょに、ここで楽しく暮らしているのか」
老いらくさんが聞いた。ぼくは首を横に振った。
「そのころは、ぼくはもう生きていません」
ぼくは寂しそうな笑みを浮かべながら、そう答えた。
「そうか、おまえがいなくなったあと、わしはどうやって生きていけばよいのだ?」
老いらくさんが物悲しそうな顔をして聞き返していた。
「ぼくのことを時々、思い出しながら、元気に生きていってください。天の遠いところから、ぼくはいつも老いらくさんのことを見守っていますから」
ぼくはそう答えた。
「分かった」
老いらくさんがうなずいた。老いらくさんは、そのあと、ぼくに
「笑い猫、今度はわしの三十年後の姿を見てくれないか。もしかしたら、そのころは、わしももう、この世にはいないかもしれないが……」
と言った。
「分かりました」
ぼくはそう答えてから、傘の軸についているボタンのなかから未来へタイムスリップできるボタンを押しながら
「老いらくさんの三十年後の姿を見たい」
と言って、傘をくるくる回した。するとしばらくしてから、傘紙の上に、老いらくさんの姿が現れた。まだとても元気だった。まるで不老長寿の薬を飲んだかのように、しゃきっとしているだけでなく、立派な功績をあげて、尊敬に値するような立派なネズミになっていた。そのころは、世界各地で宇宙開発が進んでいて、人工衛星が頻繁に飛び交うようになり、それにともなって地球の外から侵入してきたウイルスが、地球上に広くはびこり始めていた。ウイルスは地球の至る所で植物を枯れさせて、甚大な被害を世界のあらゆるところで出していた。緑豊かなこの町でも被害が出始めていた。それを見て、老いらくさんが、心を痛めて、子々孫々のネズミに呼びかけて、ウイルスの駆除に当たらせていた。その結果、この町の緑は枯れないで、美観が保たれたまま後世まで伝えられていくことになった。
ぼくは老いらくさんの三十年後の立派な姿を見て、とても感動した。見終えたあと、老いらくさんに、この情景を話してあげた。すると老いらくさんは、まんざらでもなさそうな顔をしていた。
「わしが、そのころ、そんなに活躍していたとは、思ってもいなかった。嬉しいことだ」
老いらくさんがそう言った。
「わしは一体、いつまで生きるのかなあ。もしかしたら、百年後もまだ生きていたりするのかなあ……」
老いらくさんが、小首をかしげながら、ひとりごとのように、そう言った。
「百年後を見てみますか」
ぼくは老いらくさんに、そう聞いた。老いらくさんは、少しためらいながら
「ちょっと怖いが、見てくれないか」
老いらくさんが、そう言った。
「分かりました」
ぼくはそう答えてから、傘の軸についているボタンのなかから未来へタイムスリップできるボタンを押しながら
「老いらくさんの百年後の姿を見たい」
と言ってから、傘をくるくる回した。すると傘紙のなかに老いらくさんの姿が見えた。そのころの老いらくさんは、修行を重ねて神仙になっていた。神通力を備えた神仙として不老長寿のまま、翠湖公園のなかで、静かに生きていた。話し相手は誰もいなくて、独り寂しげに、日々の生活を送りながら、時々、ぼくのお墓の前に来て、何かを語りかけていた。
百年後の老いらくさんの姿を見てから、ぼくは老いらくさんに、その情景を話してあげた。すると老いらくさんは感慨深そうな顔をしながら
「おまえのお墓はどこにあるのか」
と聞いた。
「ぼくのうちの、すぐ上にあります。シャオカレイのお墓の横です。ぼくと妻猫は同じお墓の中に眠っています。『偕老同穴』と言うのでしょうか」
ぼくはそう答えて、くすくすと笑った。
「そうか。おまえと妻猫では、どちらが先に世を去ったのか」
老いらくさんが聞いた。ぼくには分からなかったので、傘の軸についているボタンのなから未来へタイムスリップできるボタンを押しながら
「ぼくと妻猫の最後の場面を見たい」
と言ってから、傘をくるくる回した。すると傘紙のなかに、妻猫が世を去って、ぼくが悲しみに暮れながら、妻猫をシャオカレイの横に埋めている姿が映し出された。妻猫はお墓の中に眠ってからもシャオカレイに毎日何かを話しかけているように、ぼくには思えた。それからまもなく、ぼくも妻猫のあとを追うようにして世を去り、老いらくさんが、ぼくを妻猫と同じお墓のなかに埋めてくれている姿が見えた。
ぼくはこの光景を見終えてから老いらくさんに
「ぼくと妻猫を同じお墓のなかに埋めてくれてありがとう」
と言った。そのあとぼくは、老いらくさんを抱きしめた。ぼくの記憶のなかでは、これまで老いらくさんを抱きしめたことは、これまで一度もなかったように思う。ぼくに強く抱かれて、老いらくさんは感激で胸が震えているように思えた。
「笑い猫、おまえが世を去ったあと、おまえをお墓に埋めて、そのあと、わしはどのように過ごしているのか、見てくれないか」
老いらくさんが聞いた。
「分かりました」
ぼくはそう答えてから、傘の軸についているボタンのなかから未来へタイムスリップできるボタンを押しながら
「ぼくが世を去ったあとの老いらくさんの姿を見たい」
と言って、傘をくるくる回した。すると傘紙のなかに、悲しみに打ちひしがれている老いらくさんの姿が見えた。見終わってから、ぼくは老いらくさんに、その光景を話した。
「毎日ぼくのお墓の前に来て、長い時間、お墓の前にぬかずんで、ぼくに何か話しかけていました。いつもスケートボードに季節の花を乗せて持ってきて、お墓の前に手向けてくれていました。ぼくと妻猫はロウバイの花が特に好きだったから、ロウバイの花が咲く寒い時季には、たくさん持ってきてくれて、ぼくと妻猫が眠っているお墓の上にたくさん敷き詰めてくれていました。おかげでどんなに寒い時季でも、お墓に布団をかけてくれたようで、温かく眠ることができました。老いらくさんの心の温かさも、ロウバイの花のかおりとともに伝わってきて、ぼくも妻猫もお墓のなかから『ありがとう』と、言っていました」
ぼくは老いらくさんにそう言ってから、老いらくさんをもう一度、強く抱きしめた。ぼくに強く抱かれた老いらくさんは、親和の情にほだされて、目がうるうるしていた。
昨日、老いらくさんの過去の姿を見て腹立たしくなったぼくは、うちに帰ってからもずっと、むしゃくしゃしていた。妻猫には老いらくさんのことは話していないので、ぼくは昨日見たことは話せなかった。ぼくはひとりで胸のなかに憤りを抱えたまま、やるせない思いで一日中、もんもんと過ごしていた。夜もよく眠れなかった。
今朝早く、うちの外に出てみると、ひんやりした風が吹いていた。空はよく晴れていて、明けがたの空に明星が輝いていた。それからまもなく東の空に太陽が昇りはじめて、少しずつ明るくなってきた。しかしぼくの気持ちは少しも明るくならなかった。ぼくは老いらくさんとは、これからはもう親しくしないことにした。そう思いながら、いつものように朝食前の散歩をしていると、向こうから老いらくさんがやってくるのが見えた。
「やあ、笑い猫、わしに、ひどく怒っているみたいだな」
老いらくさんがそう言った。
「……」
ぼくは答えなかった。
「わしが、これまで、おまえに隠し事をしていたのは、おまえから絶交されることを恐れていたからだ」
老いらくさんが、おずおずした声で、そう言った。
「……」
ぼくはまだ返事をしなかった。
「わしの過去を知って、おまえがわしに腹を立てているのはよく分かる。おまえの気持ちはよく分かる。しかしどうか、わしの過去の過ちを大目に見て、わしを許してくれないか」
老いらくさんが懇願するような目で、そう言った。
「……」
ぼくはまだ答えなかった。
「誰でも過ちは犯すものだし、わしはその後、更生して、悪いことはあまりしなくなった。利己心をできるだけ抑えて、ほかのものの気持ちを大切に考えるようになった。かわいそうなものを見つけたら、助けるようになった」
老いらくさんがそう言った。ぼくはそれを聞いて、以前、この町の郊外にある遊園地のなかで、老いらくさんに助けてもらったときのことを、ふっと思い出した。
遊園地のなかで、奇形ガエルを見世物にして商売をしていた男がいたので、抵抗したぼくは、ひどく蹴られて気を失って死にかけていた。雨が降るなか、老いらくさんが、スケートボードを引いて、ぼくを探しにきて、ぼくをスケートボードに乗せて翠湖公園のなかまで連れて行ってくれた。もしあのとき、老いらくさんが探しに来てくれていなかったら、ぼくはおそらく死んでいただろう。そのことを思うと、老いらくさんには一生忘れられない深い恩義を感じている。
「分かりました。ぼくは老いらくさんの過去の残忍な行為を大目に見ることにします」
ぼくは、ようやく口を開いて、老いらくさんにそう答えた。それを聞いて、老いらくさんの顔に、安堵の念が浮かんだのが見えた。
「笑い猫、わしの過去は極悪非道なものだったから、振り返りたくないが、わしのこれからはどうなるのだろうか。あの傘を使って、わしの将来の姿も見ることができるのか」
老いらくさんが聞いた。
「できます」
ぼくは老いらくさんにそう答えた。
「だったら見てくれ。とても気になるから」
老いらくさんが、そう言った。
「分かりました。これからうちへ帰って、朝ご飯を食べてから、傘に乗って梅園に行きます。梅園でまた会いましょう」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。
「分かった。ではわしも、これからうちへ帰って、朝ご飯を食べてから梅園に行く」
ぼくと老いらくさんは、それからまもなく別れて、それぞれのうちへ帰っていった。
妻猫といっしょに朝ご飯を食べてから、ぼくは妻猫に
「この傘に乗って、公園のなかをしばらく走ってくる」
と言って、傘を口でくわえて、家の外に持ち出した。そのあと傘を開いて、傘に乗ってから、地上を走るボタンを押した。傘の柄を梅園の方に向けると、傘は梅園へ向かって走り始めた。それからまもなく、ぼくが乗った傘は梅園に着いた。老いらくさんはもうすでに梅園に来ていた。
「笑い猫、まず、わしの十年後の姿を見てくれないか」
老いらくさんがそう言った。
「分かりました」
ぼくはそう答えてから、傘の軸についているボタンのなかから未来へタイムスリップできるボタンを押しながら
「老いらくさんの十年後の姿を見たい」
と言って、傘をくるくる回した。するとしばらくしてから、傘紙の上に、老いらくさんの姿が現れた。老いらくさんの姿は今は、思索を好む哲学者のような姿をしているが、十年後の老いらくさんの姿は今とは違って、ごく普通の姿をしていた。年を取り過ぎて、物事の真理を深く考えることができなくなってきたからだろうかと、ぼくは思った。
老いらくさんの姿がごく普通の姿になっていることを話すと、老いらくさんは、けげんそうな顔をして
「どうしてだろう。わしは、もうずいぶん長い間、道徳的に正しいことばかりしてきたから、普通の姿に戻るわけがないのだがなあ……。もしかしたら、わしがおこなってきたことは動機が不純だったから、化けの皮が剝がれて、もとの姿に戻ったのかなあ」
と言った。
「そんなことはないです。老いらくさんの過去はともかく、今は完全に更生しましたから、もとに戻るとは思いません」
ぼくはそう言った。
「だったら、どうして十年後のわしは、普通の姿をしているのだ?」
老いらくさんが聞いた。
「ぼくにも理由はよくわかりませんが、年を取って物事の真理を深く考えることが苦手になってきたからではないでしょうか」
ぼくはそう答えた。
「そうか、それはありうるな」
老いらくさんが、しんみりとした顔をして、そう言った。
「これまでおこなってきたことは動機が不純だったと、今、おっしゃいましたが、
本当にそうなのですか?」
ぼくは老いらくさんに聞いた。
「必ずしも、そうとばかりは限らないよ。わしがおまえを助けたのは、おまえがいなくなったら寂しいからではなくて、おまえを心から愛していたからだ。分かるか、笑い猫?」
老いらくさんがそう言った。
「分かりますよ」
ぼくはそう答えた。
「笑い猫、今度はわしの二十年後の姿を見てくれないか」
老いらくさんがそう言った。
「分かりました」
ぼくはそう答えてから、傘の軸についているボタンのなかから未来へタイムスリップできるボタンを押しながら
「老いらくさんの二十年後の姿を見たい」
と言って、傘をくるくる回した。するとしばらくしてから、傘紙の上に、老いらくさんの姿が現れた。老いらくさんの姿は、十年後の姿と違って、今の姿に戻っていた。どうしてなのか、ぼくにも理由がよく分からなかった。見終わったあと、ぼくは老いらくさんに、そのことを話すと、老いらくさんは、ほっとしたような顔をしていた。
「そうか、よかった。今の姿に戻ったのは、世俗的な生き方になってきた自分に気がついて、気を引き締めて高尚な生き方をするようになってきたからかもしれない」
老いらくさんがそう言った。
「そうですね。そうかもしれないですね」
ぼくはそう答えた。
「二十年後も、わしはおまえといっしょに、ここで楽しく暮らしているのか」
老いらくさんが聞いた。ぼくは首を横に振った。
「そのころは、ぼくはもう生きていません」
ぼくは寂しそうな笑みを浮かべながら、そう答えた。
「そうか、おまえがいなくなったあと、わしはどうやって生きていけばよいのだ?」
老いらくさんが物悲しそうな顔をして聞き返していた。
「ぼくのことを時々、思い出しながら、元気に生きていってください。天の遠いところから、ぼくはいつも老いらくさんのことを見守っていますから」
ぼくはそう答えた。
「分かった」
老いらくさんがうなずいた。老いらくさんは、そのあと、ぼくに
「笑い猫、今度はわしの三十年後の姿を見てくれないか。もしかしたら、そのころは、わしももう、この世にはいないかもしれないが……」
と言った。
「分かりました」
ぼくはそう答えてから、傘の軸についているボタンのなかから未来へタイムスリップできるボタンを押しながら
「老いらくさんの三十年後の姿を見たい」
と言って、傘をくるくる回した。するとしばらくしてから、傘紙の上に、老いらくさんの姿が現れた。まだとても元気だった。まるで不老長寿の薬を飲んだかのように、しゃきっとしているだけでなく、立派な功績をあげて、尊敬に値するような立派なネズミになっていた。そのころは、世界各地で宇宙開発が進んでいて、人工衛星が頻繁に飛び交うようになり、それにともなって地球の外から侵入してきたウイルスが、地球上に広くはびこり始めていた。ウイルスは地球の至る所で植物を枯れさせて、甚大な被害を世界のあらゆるところで出していた。緑豊かなこの町でも被害が出始めていた。それを見て、老いらくさんが、心を痛めて、子々孫々のネズミに呼びかけて、ウイルスの駆除に当たらせていた。その結果、この町の緑は枯れないで、美観が保たれたまま後世まで伝えられていくことになった。
ぼくは老いらくさんの三十年後の立派な姿を見て、とても感動した。見終えたあと、老いらくさんに、この情景を話してあげた。すると老いらくさんは、まんざらでもなさそうな顔をしていた。
「わしが、そのころ、そんなに活躍していたとは、思ってもいなかった。嬉しいことだ」
老いらくさんがそう言った。
「わしは一体、いつまで生きるのかなあ。もしかしたら、百年後もまだ生きていたりするのかなあ……」
老いらくさんが、小首をかしげながら、ひとりごとのように、そう言った。
「百年後を見てみますか」
ぼくは老いらくさんに、そう聞いた。老いらくさんは、少しためらいながら
「ちょっと怖いが、見てくれないか」
老いらくさんが、そう言った。
「分かりました」
ぼくはそう答えてから、傘の軸についているボタンのなかから未来へタイムスリップできるボタンを押しながら
「老いらくさんの百年後の姿を見たい」
と言ってから、傘をくるくる回した。すると傘紙のなかに老いらくさんの姿が見えた。そのころの老いらくさんは、修行を重ねて神仙になっていた。神通力を備えた神仙として不老長寿のまま、翠湖公園のなかで、静かに生きていた。話し相手は誰もいなくて、独り寂しげに、日々の生活を送りながら、時々、ぼくのお墓の前に来て、何かを語りかけていた。
百年後の老いらくさんの姿を見てから、ぼくは老いらくさんに、その情景を話してあげた。すると老いらくさんは感慨深そうな顔をしながら
「おまえのお墓はどこにあるのか」
と聞いた。
「ぼくのうちの、すぐ上にあります。シャオカレイのお墓の横です。ぼくと妻猫は同じお墓の中に眠っています。『偕老同穴』と言うのでしょうか」
ぼくはそう答えて、くすくすと笑った。
「そうか。おまえと妻猫では、どちらが先に世を去ったのか」
老いらくさんが聞いた。ぼくには分からなかったので、傘の軸についているボタンのなから未来へタイムスリップできるボタンを押しながら
「ぼくと妻猫の最後の場面を見たい」
と言ってから、傘をくるくる回した。すると傘紙のなかに、妻猫が世を去って、ぼくが悲しみに暮れながら、妻猫をシャオカレイの横に埋めている姿が映し出された。妻猫はお墓の中に眠ってからもシャオカレイに毎日何かを話しかけているように、ぼくには思えた。それからまもなく、ぼくも妻猫のあとを追うようにして世を去り、老いらくさんが、ぼくを妻猫と同じお墓のなかに埋めてくれている姿が見えた。
ぼくはこの光景を見終えてから老いらくさんに
「ぼくと妻猫を同じお墓のなかに埋めてくれてありがとう」
と言った。そのあとぼくは、老いらくさんを抱きしめた。ぼくの記憶のなかでは、これまで老いらくさんを抱きしめたことは、これまで一度もなかったように思う。ぼくに強く抱かれて、老いらくさんは感激で胸が震えているように思えた。
「笑い猫、おまえが世を去ったあと、おまえをお墓に埋めて、そのあと、わしはどのように過ごしているのか、見てくれないか」
老いらくさんが聞いた。
「分かりました」
ぼくはそう答えてから、傘の軸についているボタンのなかから未来へタイムスリップできるボタンを押しながら
「ぼくが世を去ったあとの老いらくさんの姿を見たい」
と言って、傘をくるくる回した。すると傘紙のなかに、悲しみに打ちひしがれている老いらくさんの姿が見えた。見終わってから、ぼくは老いらくさんに、その光景を話した。
「毎日ぼくのお墓の前に来て、長い時間、お墓の前にぬかずんで、ぼくに何か話しかけていました。いつもスケートボードに季節の花を乗せて持ってきて、お墓の前に手向けてくれていました。ぼくと妻猫はロウバイの花が特に好きだったから、ロウバイの花が咲く寒い時季には、たくさん持ってきてくれて、ぼくと妻猫が眠っているお墓の上にたくさん敷き詰めてくれていました。おかげでどんなに寒い時季でも、お墓に布団をかけてくれたようで、温かく眠ることができました。老いらくさんの心の温かさも、ロウバイの花のかおりとともに伝わってきて、ぼくも妻猫もお墓のなかから『ありがとう』と、言っていました」
ぼくは老いらくさんにそう言ってから、老いらくさんをもう一度、強く抱きしめた。ぼくに強く抱かれた老いらくさんは、親和の情にほだされて、目がうるうるしていた。