タイムスリップできる傘

第五章 ふびんな少女杜真子

天気……今日は中秋節。でもあいにく空は曇っていて月は見えない。十五夜の満月を見ることを楽しみにしていたが、しかたなく、厚い雲に覆われている空の上で輝いている満月を想像するしかなかった。

ミー先生の不思議な傘を開いて、妻猫や老いらくさんの過去や将来の姿を興味深く見ているうちに、ぼくはすっかり、この傘に夢中になっていた。ミー先生が帰ってくる前に、傘を返さなければならないから、返す前に、もっといろいろな動物や人の過去や将来の姿を見ておこうと思った。
夜、日が暮れてから、ぼくは、傘を口にくわえて、うちの外に出て、傘を開いてから、空飛ぶボタンを押した。するとぼくの体は空に、ふわふわと舞い上がった。今日は中秋節だが、空は曇っていたので、月は見えなかった。真っ暗い夜空のなかを、ぼくは傘に乗って鳥のように飛んでいった。下を見ると、町の明かりがともっているのが見えた。繁華街にはネオンの明るい光がきらきらと輝いていた。人が住んでいるアパートやマンションのなかに白色の蛍光灯がついているのが見えた。ぼくは傘の柄を操りながら、傘が飛んでいく方向を杜真子が住んでいるアパートの方へ向けた。ぼくは以前、杜真子のうちで飼われていたことがあったし、今でも、あのころをとても懐かしく思っているので、杜真子のそばで、傘を開いて、あのころのことを、もう一度、見てみたいと思ったからだ。過去だけでなくて、杜真子の将来の姿も見てみたいと思っていた。
傘はそれからまもなく、杜真子が住んでいるアパートに着いた。杜真子が住んでいる家の窓が少し開いていて、杜真子がベッドのなかで寝ているのが、透き通ったレースのカーテン越しに見えた。杜真子の寝顔は、あまりきれいではなかった。何かにおびえているような、うつうつとした顔をしていたからだ。
(どうしてこんな顔をしているのだろう)
と思って、ぼくは気になって仕方がなかった。
ぼくは窓台に下りて、傘の軸についているボタンのなかから過去へタイムスリップできるボタンを押しながら
「杜真子に最近、何があったのか知りたい」
と言った。傘をくるくる回すと、しばらくしてから傘紙のなかに、先週の日曜日の朝の光景が映し出された。
杜真子はねぼけまなこで、ぼんやりした顔をしながらダイニングルームのテーブルの前に座っていた。それを見て、お母さんが厳しい声で
「何をぼんやりしているの。早く食べて、さっさと補習塾へ行きなさい」
と言って、叱りつけていた。
「お母さん、わたし行きたくないわ」
杜真子がそう答えていた。それを聞いてお母さんが、かちんときて
「行きたくないって、どういうことよ」
と、荒々しい声で言っていた。
「好きではないから」
杜真子は、ぼそぼそとした声で、そう答えていた。
「そんなことは理由のうちには入らない」
お母さんはそう答えて、取りつく島がなかった。
「……」
返す言葉が見つからなくて、杜真子は黙っているしかなかった。
「どの補習塾も希望者が多くて、誰もが簡単に入れるようなところではないのに、おまえは運よく入れたのだから、しっかり勉強すべきだわ」
お母さんは仏頂面をしながらそう言っていた。
「……」
杜真子は何も答えなかった。
「今は競争が激しい社会だから、学校が終わってからも毎日、補習塾へ行って勉強しないと、いい中学や高校や大学へは入れないの。分かっているでしょう?」
お母さんは気色ばんで、そう言っていた。
「分かっているわ。でも、毎日、補習塾へ行くのはとても疲れるわ。土曜日と日曜日も休む暇もなく午前も午後も補習塾に行かされて、窒息しそう」
杜真子がそう答えていた。
「お母さんはおまえに将来立派な人になってもらいたいと思っているから、毎日補習塾に行かせているのよ。お母さんの気持ちが分からないの?」
お母さんが不機嫌そうに、そう言っていた。
「分からないこともないわ。でも毎日、ストレスがたまっていて、夜もよく眠れないし、朝起きたときに、すっきりした目覚めを迎えられない。学校の宿題もしなければならないので、毎日、四時間ぐらいしか眠る時間がない」
杜真子がそう答えていた。
「ナポレオンは一日に三時間しか寝なかったと聞いているわ。四当五落という言葉もあるわ」
お母さんがそう言っていた。
「四当五落って何よ?」
杜真子が聞き返していた。
「四時間寝たら合格するけど五時間寝たら合格できないという意味よ」
お母さんがそう答えていた。
「でも好きなことや楽しいことをするのは我慢できるけど、そうじゃないことをするのは我慢できない」
杜真子がそう答えていた。
「おまえが今行っている補習塾のなかに、おまえが楽しいと感じたり、好きなものはなにもないの?」
お母さんが聞いた。
「ないわ。一つもないわ」
杜真子がそう答えていた。
お母さんは、それを聞いて、むっとした顔をしながら
「だったら、おまえは何か好きなの。何を勉強したいの」
と聞いていた。杜真子は一瞬考えてから
「わたしはお料理を作るのが好きだから、クッキングスクールに行きたい」
杜真子がそう答えていた。それを聞いて、お母さんがあ然としたような顔をしながら
「ふん、何がクッキングスクールよ。そんなのは習い事のうちには入らない」
と言った。
「でもわたしは将来、家族においしい料理を作って食べさせてあげたいから」
杜真子がそう言った。お母さんはそれを聞いて
「家族においしい料理を作るぐらい、誰だってできる。今、わざわざ学ぶ必要はない」
お母さんは、がんとして杜真子の希望を受け入れなかった。
「……」
杜真子はまた言葉に詰まってしまっていた。
「おまえのクラスメイトは補習塾で何を学んでいるか、話してくれない?」
お母さんが聞いていた。杜真子は話し始めた。
「侯小仙はピアノ教室に通っている。王一佳は書道教室に通っている。侯潇潇は絵画教室に通っている。張悦は英語教室に通っている。薜飛は……」
「もう言わなくてもいい。みんな子どもらしい立派なことを学んでいるじゃないの。それなのにおまえは……」
お母さんが口をはさんだ。
「お母さん、人には、それぞれ好きなものがあるし、好きなことを学ぶことで楽しみながら上達するし、心も豊かになるのではないの」
杜真子がそう答えていた。
「何を言っているのよ、偉そうに……。好きとか、好きでないとか、そういうことを問題にするべきではない。好きでなくても学ばなければならないことがたくさんあるし、好きであっても我慢しなければならないこともたくさんある」
お母さんがきりっとした声でそう言っていた。
「でも好きでないことを無理に学んでも楽しくないし、すぐに飽きてくる」
杜真子がそう答えていた。
「理屈ばっかり言って、おまえはまったく聞き分けのない子だね。興味がなくても、せっかくお母さんがおまえのために選んだ補習塾を一つでもやめることは絶対に許さない」
お母さんが厳しい口調でそう言っていた。杜真子は、それでもまだ素直には聞き入れることができないでいた。
「お母さんは子どものころ、どうでしたか。おじいちゃんや、おばあちゃんから、好きでない習い事を無理にさせられたとき、楽しかったですか」
杜真子が聞いていた。不意を突かれて、お母さんは一瞬、どきりとした顔をした。そのあと平静さを装って
「お母さんが子どもだったころは、今ほど競争が激しくなかったから、好きでないことは無理にしなくてもよかった」
と、答えていた。それを聞いて杜真子は、うらやましそうな顔をしながら
「だったら、お母さんは子どものころ、とてもリラックスして、楽しい日々を過ごしていたわけですね?」
と聞いていた。
「まあ、そう言われれば、確かにそうかもしれないけど……でも今とは時代が違うから、比較することはできない」
お母さんがそう答えていた。
「時代が違っても、子どもの気持ちは今も昔も変わらないと思うから、わたしもリラックスして、楽しい日々を送りたいの」
と、懇願するような目で杜真子が言った。
「だめです」
お母さんが強い口調でそう言った。
「どうしてですか」
杜真子が聞き返していた。お母さんは少し考えてから
「お母さんは子どものころ、好きなことばかりして、楽しく過ごしていたから、そのつけが回ってきて、今は少しも楽しくないし、ちょっとのことで、いらいらしている。努力が足りなかったので、料理を作るだけのしがない主婦にしかなれなかった。子どものころを後悔している」
と答えた。
「……」
お母さんが真情を吐露したので、杜真子は何も答えられないでいた。
「おまえには人の上に立つような立派な人になってほしい。そのためには、子どものころに、いろいろな知識や教養や技術を身につけてほしい。お母さんは、おまえにすべてを託しているから、いろいろな補習塾に通わせているの」
お母さんがそう言った。それを聞いて杜真子が
「お母さんの気持ちはよく分かるわ。でもわたしは人の上に立つような人間になりたいとは少しも思っていないわ」
と答えていた。
「だったら、どういう人間になりたいと思っているの?」
お母さんが聞いていた。
「人を楽しませることができるような人間になりたいの」
杜真子がそう答えていた。それを聞いて、お母さんが
「人の上に立つことで、活躍が広く認められるし、その結果、たくさんの人を楽しませることができるようになるのよ」
と答えていた。お母さんは、それからまもなく、壁にかけてある時計を見て
「早くご飯を食べて、急いで補習塾へ行きなさい。遅れるわよ」
と言って、杜真子をせきたてていた。
「分かった、そうするわよ」
杜真子はそう答えていた。それからまもなく杜真子は
「いってきます」
と言って、うちを出ていった。
傘紙の上に映し出されたこの場面を見て、杜真子の今の状況が分かった。夜、よく眠れないで、うつうつとしている理由も分かった。心身ともに疲れていたのだ。ぼくはそう思うと、まだ小さな子どもなのに親の期待感に圧迫されて、のびのびと生きることができないでいる杜真子がとてもかわいそうに思えて仕方がなかった。
ぼくはそれからまもなく、ミー先生の不思議な傘を再び、くるくる回して
「杜真子は今日はどんな一日を送ったのか見てみたい」
と言った。すると今度は学校の教室で授業を受けている杜真子の姿が映し出された。
算数の授業があっていた。杜真子は何と、授業中、居眠りをしていた。疲れがたまっていたのかもしれない。杜真子が居眠りをしているのに気がついた教師が、怒って
「杜真子、前に出てきて、この問題を解きなさい」
と、鋭い声で呼び出していた。杜真子は目をこすりながら、前に出ていって、黒板の上に書かれた問題を解こうとしていた。でもなかなか解けないでいた。
「すみません、分かりません」
杜真子が、ぼそぼそとした声で、そう謝っていた。
「寝ているから分からないのだ。授業中は、ちゃんと起きていなさい」
教師が雷を落としていた。
「すみません」
杜真子は、申し訳なさそうに、もう一度謝っていた。
放課後、杜真子はうちへはまっすぐに帰らないで、馬小跳のうちへ行った。馬小跳のお母さんに会うためだ。馬小跳のお母さんは、杜真子のお母さんのおねえさんだから、杜真子はこれまでもよく遊びに行っていた。馬小跳のお母さんは、杜真子のお母さんとは違って、目先のことにはこだわらないで、おっとりして優雅な雰囲気のする女性だ。杜真子は何か嫌なことがあったとき、よく馬小跳のお母さんを訪ねていって、不満の種をぶちあけていた。馬小跳のお母さんは杜真子の気持ちをよく分かってくれているので、不満の種をぶちあけることで気持ちを和らげたいと思っていたのかもしれない。杜真子の話を聞いたあと、馬小跳のお母さんは杜真子のお母さんに電話を入れた。
「もしもし、今、杜真子がうちへ来ているわ。今日、杜真子が学校で授業中、居眠りをしていて、先生に怒られたみたい。居眠りしていたわけを聞いたら、毎日、補習塾に行って疲れがたまっていて、つい、うっかり寝てしまったと話していたわ。補習塾に行かせたい気持ちも分からないではないけど、杜真子が望んでもいないのに無理やり、毎日行かせるのは、あまりにも酷ではないの。補習塾よりも学校での授業のほうがもっと大切だから、補習塾へ行かせる回数を少し減らしてはどうですか。このままでは杜真子のストレスがたまって、ノイローゼにならないともかぎらないわ」
馬小跳のお母さんがそう言っていた。それを聞いて、杜真子のお母さんは不愉快そうな声で
「杜真子は、わたしの子どもですから、口だしはしないでください。杜真子のためによかれと思って、そうしているのですから」
と答えていた。
「だって、杜真子があまりにもかわいそうだったから」
馬小跳のお母さんがそう答えていた。それを聞いて、杜真子のお母さんは依怙地になって
「杜真子のことよりも、馬小跳のことをもっと心配したらどうなのですか。聞くところによると、手がつけられないほどの腕白小僧で、いたずらばかりしているそうではないですか。きちんとしたしつけや、家庭教育ができていないから、そんなことをするのではないのですか」
と言葉を返していた。自分のことは棚に上げて余計なおせっかいだと言わんばかりの口ぶりだった。
「わたしにはわたしなりの教育方針がありますから」
馬小跳のお母さんは、そう答えていた。
「どういう教育方針なのか知りませんが、補習塾にも行かせず、好き勝手なことばっかりさせていたら将来、ろくな人間にはならないわ」
杜真子のお母さんがそう答えていた。
「将来、ろくな人間になるか、ならないかは、まだ分からないわ。馬小跳は気立ての優しい子だから、知能指数はともかく感情指数はとても高い子なので、将来、きっと有望な人間になると、わたしは信じているわ」
馬小跳のお母さんはそう言った。それを聞いて杜真子のお母さんが、けげんそうな顔をしながら
「感情指数って何よ?」
と聞き返していた。
「感情指数というのは、心の知能指数のことで、自分の気持ちを抑えたり、ほかの人の気持ちを理解できる能力のことよ」
馬小跳のお母さんが、そう説明していた。
「へえー、そうなの。初めて知ったわ。でも感情指数なんかどうでもいいわ。それよりも、知能指数が高くて、いろいろな知識や教養を身につけた子どもが将来立派な人間になると、わたしは信じています」
杜真子のお母さんがそう言っていた。
馬小跳のお母さんは、それを聞いて一歩も引かないで
「馬小跳は気立てが優しいだけでなく、想像力が豊かだし、好奇心にも富んでいるので、将来きっと何か新しいものを生みだして町の人たちに貢献するような仕事をするのではないかと、わたしは思っています」
と答えていた。それからまもなく馬小跳のお母さんと、杜真子のお母さんは話をやめて電話を切った。
「何かまた、くさくさするようなことがあったら、いつでも相談にいらっしゃい。わたしはいつでも、あなたの味方だから」
馬小跳のお母さんが杜真子にそう言った。
「ありがとう、おばさん」
杜真子はそう答えてから、自分のうちへ帰っていった。
< 6 / 21 >

この作品をシェア

pagetop