【書籍化】死んだことにして逃げませんか? 私、ちょっとした魔法が使えるんです。

悪だくみ

王都で人気のカフェのテラス席で、新聞を読んでいた男が片方の口角を吊り上げてほくそ笑んだ。優雅に朝のコーヒータイムを楽しむこの男は、一見裕福な市民に見えるが、その実態はジラード国の野盗上がりの詐欺師だ。

(なんだ、えらくめかし込んでるから見逃すところだったが、ウルスラとヨアンナじゃないか。最近見ないと思ったらこんなところに納まってやがったのか)

新聞のゴシップ欄には、ファンベルス伯爵家に新しく迎えられた夫人と養女のマナー違反が、写真付きで面白おかしく書かれている。『ジラード王国の貴族だったという触れ込みだが、我がアルハイト王国のマナーとは相容れない様だ』と。

(それにしても、伯爵夫人とはずいぶん欲張ったもんだ。酒場の女が突然お貴族様になろうだなんて、そりゃあ無理があるってもんだ。随分な叩かれ様だ)

その記事には、ファンベルス領の織物工場が閉鎖される事になったと続いている。男は、くくっと喉で笑い声を漏らし、新聞を畳むと近くの店員に気前よくチップを渡して愛想よく声を掛けた。

「ファンベルス領へ行きたいんだが、貸し馬車の手配を頼めるかい?」

破格のチップに気を良くした店員から上客の存在を知らされた店主は、自ら対応に当たる事にしたらしい。貸し馬車の到着までの間、男の要望に応えてレターセットを用意し、店の前で見送りをして渡された多額のチップにほくほく顔で、渡されたジラード語で書かれた手紙の配達も快く引き受けた。

「この手紙をファンベルス伯爵夫人に直接手渡して欲しい。『従弟のロイド・シュミット』からだと言えば受け取ってもらえる」

男はそう言うと、やって来た馬車に颯爽と乗り込んだ。





「思ったより酷いな…」

ファンベルス領に入ってすぐに目に飛び込んで来た光景に、ロイドは思わず呟いた。
養蚕と生糸の生産で知られたファンベルス領だったが、一面に広がる桑畑にも蚕小屋にも人影がなく、どうやらこの桑畑一帯は放棄されているようだ。領都の手前にある製糸工場もひっそりとしている。

領都に入っても活気がなく、閉まっている店も多い。何とか空いている宿屋を探し、手紙を受け取った仲間達が集まるのを待ちながら、宿屋の食堂や近くの酒場で情報を集めた。突然領主様から領地の経費を大幅に減らすと通達があり、主要産業の製糸工場も殆ど稼働していないという。その上、織物工場が突然閉鎖され、働いていた織工たちは突然仕事を失ったという話題でもちきりだった。

では、土地や仕事を離れた領民たちはどこへ行ったのかと聞けば『これは内緒の話なんだが』と前置きをして、隣領のファン=ルーベン伯爵領の領主様が密かに養蚕や製糸に携わる領民や絹織物の織工たちを保護するという名目で引き抜いている事と、領都の市民の食料支援などもしてくれているのだと耳打ちされた。

ロイドは当初、ウルスラを使って閉鎖されたという織物工場の権利を譲渡させ、それを織物を扱う大商会に売り払って利益を得ようと目論んでいたのだが、やり手の隣領の領主に数手先まで手を打たれていた。ロイドの目から見てもファンベルス領は遠からず破産する。その時に、見かねて支援し続けていたことが詳らかにされれば、隣領の領主はその功績を認められ、ファンベルス領と莫大な利益を生む技術を手に入れる事が可能なのだ。ここで下手に動いて貴族に目を付けられたら命取りだ。
とんだ骨折り損だったと思っていた時、酒場に居合わせた客が呟いた言葉を、ロイドは聞き逃さなかった。

「あの織物工場は、お嬢様のデビュタントのドレスを作る為に起こした事業だったのに。この前視察に来た時は、織工たちの腕が上がったって喜んでいたんだぜ? あの子煩悩な領主様がこんなことをするなんて信じられねえ。一体どうしちまったんだろうな」

その言葉を聞いて、ロイドは思わず片方の口角を吊り上げた。

ロイドが差し向けた貸し馬車に乗って、行商人を装ってやって来た三人の仲間と合流し、計画の為に動き始めた。

「呼び出したからには無駄足は踏ませねえ。なあ、破産したらこの領主の家族はどうなると思う?」

ロイドが仲間の三人に問いかけた。

「そりゃ、家族纏めてあの炭鉱の労役場送りだろうよ」
「若い娘は炭鉱町の娼館行きって聞いたことがあるぞ」
「ああ、女衒の目に留まれば娼館に高値で売れるから、借金減らすために親が売るんだ」

三人の言葉にロイドが続けた。

「ファンベルス伯爵にはデビュー前の娘がいるそうだ。この領はもう破産寸前だ。そこでだ、どうせ売られるんなら、その令嬢を攫って貴族令嬢の内に売っぱらっちまおうと思うんだが、どう思う?」

男三人はニヤリと笑って答えた。

「そうだな、貴族令嬢の初物はかなりの高値で売れるからな」
「そりゃいい」
「で、どうやっておびき出す?」

ロイドは新聞の切り抜きを見せながら二人に説明した。

「この二人、今はこの領の伯爵夫人と令嬢なんだとよ。で、本物の令嬢の招待状であちこち顔を出してるんだが、本来招かれた令嬢が全く姿を見せないと書かれてる。つまり、この二人は本物の令嬢を言いなりに出来てるって事だ」

字の読めない三人は、手渡された切り抜きをしげしげと眺めて言った。

「よく見なきゃわからなかった。それにしてもずいぶんな着飾りようだ」
「これ、人違いじゃないのか? あの二人の何とか言う魔法は、独り身で寂しいシュミット老人に入り込むのがやっとだっただろ? しかも俺たちが裏でかなりの仕込みをしてからの話だ。 あの程度で強かなお貴族様を誑し込めるとは思えねえ」
「それに、あいつらに計画を知られたら俺たちヤバくないか?」

そう言う三人に、ロイドは片方の口角を吊り上げて言った。

「ああ、それなら心配いらない。領民からの要望だとでも言っておけば良い。それに、令嬢が売られた事が分かった頃には、あの二人は炭鉱の労役場にいるさ」

三人は、織物工場の閉鎖を知らなかった行商人が買い付けにやって来たという風を装い工場へ赴いた。事務整理を行っていた工場長から話を聞き、大げさに驚いて見せて口々に同情の言葉を掛け、ロイドは言葉巧に内情を聞き出したのだ。。

「そりゃひどい話だな、御領主様へは陳情をしなかったのかい?」
「手を尽くして色々やったさ。いくら手紙を出しても使者を立てても無しの礫だ。今までならすぐに対応してくだすっていたのに、一体どうしてしまわれたのか」

あごに手を当てて考え込んでいたロイドが、思い出したように手を打った。

「そう言えば、この織物工場はお嬢様の為に作ったと聞いたんだが、御領主様は子煩悩なんだろう? お嬢様から諫めて貰うってのはどうだい?」
「それが、ご再婚されてからは新しい夫人と養女に夢中で、ミリアム様には見向きもしなくなったともっぱらの噂で…」

その言葉を聞いた三人の男は口々に同情の声を上げた。

「何てことだ! 後妻にかまけて娘を蔑ろにするなんて」
「気の毒な話だな。母親が無くなって父親だけが頼りだっただろうに」
「今まで仲が良かったんだろう? それが急に見向きもしないなんて、惨い話じゃないか。おかわいそうに」
その言葉に、工場長は肩を落として傍らに置いてあった包みに手を置いて言った

「噂が本当ならひどい話だ。在庫の生地も売り払って金を送れと言われたたんだが、織工が皆で丹精を込めたお嬢様の為のこの生地だけは売れなかった。生地を王都のお邸に送っても、お嬢様の手には届かないかもしれないと思うと切なくてね」

その様子を、さも心配そうな様子でロイドが慰めた。

「聞けば聞くほどお気の毒な境遇じゃないか。そのお嬢様を助ける術は無いもんかね」

思案顔のロイドが声を潜めて工場長に顔を近づけて言った。

「申し訳ない言い方だが、この領はもう持たない様に見えるんだ。さっきちょっと小耳に挟んだんだが、隣領のご領主様が支援して下さってるってのは本当かい?」

工場長は、一瞬目を泳がせて周囲を確認すると、俯いて小声で答えた。

「ああ、本当だ。もうすぐ隣領に統合されるとも聞いている」

ロイドは更に声を潜めて囁いた。

「破産した貴族が国境の炭鉱にある労役場へ送られる事は知っているだろう? まだうら若いお嬢様は間違いなく娼館送りになっちまう」

ハッとして顔を上げた工場長に牢度は続けた。

「あんたは工場の整理を任されている位だから隣領の御領主様には顔がきくんだろう? それなら、お嬢様の保護を嘆願してみてはどうだろう。破産する前に急いでお嬢様をここへお連れして匿っておけば安心だ」

その話に、目を見開いて大きく頷いた工場長の肩を叩いてロイドが明るい声で言った。

「善は急げだ! あんたはこの事を隣領のご領主様へ知らせに行ってくれ。俺たちは護衛を雇ってお嬢様を迎えに行く。領主館で馬車を借りられるように一筆書いてもらえないか? それから、お嬢様宛ての手紙も頼む。それが無ければ俺たちの信用はないからな」

手紙を受け取ったロイドと三人は、領主館で工場長からの紹介状を見せ、馬車と御者借りると皆で乗り込んで王都へ向かった。途中にある宿場町で馬車から降りた四人は、御者に金を渡して計画を話した。

「この金で護衛を二人雇って、明後日の朝に王都のお邸に到着してほしい。俺たちは一足先に王都のお嬢様へ知らせに行く。貴族のお邸は先触れって言うのが必要なんだろう? 」

そう言うロイドに、お嬢様をお助けする計画だと聞いていた御者は快く引き受け、二手に分かれて王都へ向かう事になった。
御者はお嬢様の為に護衛を厳選し、スヴェンとダンリーという二人組の誠実そうな護衛を雇って王都へ向かった。

ファンベルス伯爵家の紋章付きの馬車に、騎乗で従う二人の護衛の姿を確認したロイドは、満足そうに含み笑いを浮かべると仲間三人と共に王都へ向かった。

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