【書籍化】死んだことにして逃げませんか? 私、ちょっとした魔法が使えるんです。

領地へ

ミリアムが地下牢に入れられてから四日が過ぎた。
目の前の人間を一瞬で消し去ったという噂が独り歩きした結果、恐ろしい魔女だと怖がられて誰も近寄って来るものは居なかった。
毎朝牢番がパンとチーズと水に果物が乗ったトレイを檻の前にそっと置くと一目散に逃げて行く。魔女を怒らせて何かされるのが怖いのか、食事が以前のような傷んだものや残飯ではなくなった事はせめてもの救いだ。

地下牢の扉が開き、毎朝食事を持ってくる下男とは違う靴音に顔を上げると、勝ち誇った顔に歪んだ笑みを浮かべたウルスラとヨアンナが立っていた。背筋を伸ばして寝台の淵に座ったミリアムは、顔を上げてウルスラをまっすぐに見上げた。ミリアムの態度が気に入らないらしい二人は、フンと鼻を鳴らし、付いて来た牢番に鍵を開けるように命令した。

「領地の織物工場長がお前に来て欲しいっていってるわ。お別れでも言いたいんじゃない?迎えの馬車が来たからさっさと行きなさい」

牢から出され、そのまま邸に入ることなく馬車寄せに連れて行かれそうになったミリアムは、ウルスラとヨアンナを無視して邸に入ろうとしてヒステリックに止められた。

「何をしてるのよ、 邸に入る事は許さないわ! 誰か止めなさい!」

しかし、自分たちが悪い魔法使いだと触れ回ったせいで、いつも二人に張り付いている護衛たちでさえミリアムに触れようとしない。ミリアムが自室の前に付いた時、ヨアンナが扉の前に立ちはだかった。

「荷物を取りに来たのよ、どいてちょうだい」

ミリアムの言葉に、ヨアンナはせせら笑いながら言った。

「あんたのがらくたなら、物置部屋に放り込んでるわよ」

その言葉に、分かったわと応えてミリアムは物置部屋に向かった。無造作に放り込まれた荷物の中から、魔法書とばあやの形見の片眼鏡が入った机を見つけ出し、周囲を見回すと、無造作に床に放り投げられたニルスの額が目に入った。
近づくと、ガラスは粉々に割れ、額も壊れてしまっている。ミリアムが割れたガラスをそっと避けてニルスの絵を手に取ると、ニルスはぱたぱたと身震いしてしゃべりだそうとしたのを、ミリアムは人差し指を口に当てて止めた。
ミリアムの仕草を見て、両方の羽を口に当ててコクコクと頷くニルスを見て、思わずホッと頬が緩んだ。

クローゼットの中にあったドレスや靴も無造作に床に投げ捨てられており、自分で着替えのできそうなデイドレスを数着見繕って埃を払い、部屋にあった古いトランクを引っ張り出して荷造りをした。
机から魔法書と片眼鏡を取り出すと、片眼鏡はヒビが入ってしまっていたので、ポケットからハンカチを取り出して丁寧に包み、開いた魔法書は以前の様に文字が浮かび上がってくる事は無く、懐かしい母の手跡がもう見られないのが悲しかった。
その本の間にニルスをそっと挟み、隠し引出の底に張り付けていた封筒を取り出して中身を確認した。そこにはアグネスの持参金とミリアムの個人資産用の小切手と証書が入っている。
あの三人に勝手に使われてしまわない様に、家令がミリアムにこっそり渡してくれていたのだ。
それら全てをトランクに入れ、部屋を出ようとして、引出しが開けられたままの古い鏡台が目に入った。

中を物色して目ぼしいものは持ち去ったのだろう。残っていたのは割れた手鏡と飾り気のない木の櫛だけだった。ミリアムは急いでその櫛を手に取った。この櫛はシンプルだが髪に艶が出るのだと、ポーリーがカメリアオイルをたっぷり含ませて仕上げた特別制だ。
その櫛も大切にトランクに入れて物置部屋を出ると、扉の前でウルスラとヨアンナが扇子で顔を隠してひそひそと話しているのが目に入った。含み笑いの二人の姿を見て、ミリアムは、もうこの家に帰って来ることは無いのだと悟り、邸の中を目に焼き付けるようにゆっくりと一人エントランスへ向かった。

馬車寄せには既に家紋入りの領地の馬車が停まっていて、途中の宿場町で雇われたという護衛二人に挨拶を受けた。二人は丁寧に荷物を運び入れ、甲斐甲斐しくエスコートして馬車に乗りこませてくれた。ミリアムが馬車に乗り込んだ後、付き添いの侍女は居ないのですかと聞かれ、一人だと答えると、見送りも誰一人としていない事に怪訝そうな顔を邸に向けながらも馬車は領地に向けて出発した。

ミリアムは馬車の窓からヘンドリックスの部屋の窓を見上げたが、そこに父の姿を見つける事は出来なかった。
馬車の窓から見える、幸せな思い出が詰まっていたはずの邸は、目に張った涙の幕で歪み、遠ざかるにつれて霞むように消えていった。


領地までは馬車で二日の距離だ。
途中の町で一泊するための宿を探してもらって、路銀として小切手の換金も頼んだ。
領地に到着したら御者と護衛に報酬も渡さなければならない。
宿では久しぶりに栄養のある食事をとり、ゆっくり湯につかって柔らかい寝台でぐっすり眠ることが出来た。
朝は宿のメイドに手伝ってもらって、やっと見苦しくない程度に身支度を整える事が出来たのだ。

その日も朝から馬車に揺られ、そろそろ領地に入ると外から掛けられた声に馬車のカーテンを開けた。
領地に入り、馬車の窓から見える景色が目に入ると、その光景にミリアムの顔から一瞬で血の気が引いた。一面に広がる桑畑にも蚕小屋にも、村の家々にも全く人気が無い。恐らく放棄されて既に数か月経っている。

この時期なら皆が桑畑の手入れに勤しんでいる時期だ。領地に馬車が入ると手を振ってくれていた明るい笑顔の領民たちはどこにも居ない。
領民が土地を放棄して逃げてしまった。この事が公になればもう伯爵家はおしまいだ。
爵位は剥奪され全財産を没収された上、伯爵家の人間は賠償の為に国境の炭鉱の労役場へ送られる。恐らく領地からの陳情も、報告すら無視し続けていたのだろう。
領民に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

どれだけ苦しめてしまったのか。知らなかったなど言い訳にもならない。
家令や私に知らせが届かなかったのは、間違いなくウルスラの仕業だ。執務室に届く前に握りつぶしていたのだろう。贅沢が出来なくなることをとても嫌がっていたあの二人は、領地の事など何も考えずにお金だけを徴収し続けたのだ。きっとあの家令も、もう追放されているのだろう。ひどい目に遭っていなければ良いと、それだけを祈った。
ゆく先々の村々も同じ状況だった。もうこうなっては取り返しがつかない。ミリアムの胸に絶望が広がっていく。

日が落ちる頃、馬車は領主邸ではなく、領都にある織物工場へと入っていった。
ここに領民たちが集まっているのだろうか。とても顔向けなど出来ない。
顔向けどころか、断罪されて王宮騎士団に引き渡されるのかもしれない。

しかし、ウルスラとヨアンナがこの状況を知っていたとすれば、自分たちも労役場送りになるというのに何故あんなに嗤っていられたのか。もしかして、ここで領民たちに断罪させて、陳情と共に王都の騎士団に引き渡し、ミリアム一人に責任を擦り付けて自分たちは逃げるつもりなのかもしれない。

(あの人たちのためにそんな目に合うのはご免だわ!)

ふと頭に父の顔が浮かんだが、ミリアムは首を振って振り払った。
何とかここから逃げ出す方法を考えなければ。

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