【書籍化】死んだことにして逃げませんか? 私、ちょっとした魔法が使えるんです。

逃走

馬車は完全に止まった状態だが一向に扉が開く気配がない。すると、外から数人が話している声が聞こえて来た。状況を判断するために、ミリアムは耳をそばだてて外の声を注意深く聞いた。

「御者殿、ご苦労様でした。お嬢様は私たちがこれからこっそり工場長の元へお連れします。馬車は明日の朝に引き取りに来てもらえませんか?」

そう言う男の声が聞こえ、御者は、「それでは、くれぐれもお嬢様をよろしく」と言い置いて帰っていった。

「お前たちもご苦労だったな。ほら、報酬だ。お前たちは急いでこの国を出た方が良いぞ」
「どういう事だ。お前たちとご令嬢をこんなところに置いて行くことは出来ん。工場長の元へは我々も同行する」
「ごちゃごちゃ言わずにさっさとこの金を持って隣国へ行った方が身のためだ。大人しく言う事を聞かないというなら、令嬢に狼藉を働いたと騎士団に引き渡すぞ」
「お前たちこそ信用ならん。ご令嬢を助けるのではなかったのか」
「ああ、助けるのさ。もうこの領はおしまいだ。爵位を剥奪されて労役場送りになれば、年頃の令嬢は炭鉱町の娼館送りって事くらいお前たちにも分かるだろう? だったらその前に俺たちがもっと待遇の良い高級娼館へご案内しようっていう親切心だ」

男の一人が言った言葉に、慌てて走り寄ったもう一人が舌打ちして、「余計な事を言うな!」と言って殴ったような音がした。そして溜息を吐きながらその男が続けた。

「令嬢はお前たちに攫われて娼館へ売られるという筋書きだ。お前たちはもう令嬢の誘拐犯としてお尋ね者になる事は決まってるんだよ。身分も顔も何ら隠し立てすることはなく街道沿いを伯爵家の馬車と共に行動していたことは多くの人間が目にしてるんだ、証言には事欠かない。俺たちや領民たちが口をそろえてお前たちに馬車ごと令嬢が奪われたと訴えればお前たちを守ってくれるものは何もないんだ。平民の護衛が貴族令嬢を売っぱらったとなっちゃ、待っているのは極刑だ。命が惜しかったらさっさと行きな」
そう言ってお金の入った袋を投げつける音がしたかと思うと、馬車の扉に手がかかり、ミリアムは身構えた。するとその手を払い除ける音と共に護衛の一人の声が聞こえた。

「そう言う事なら分かった、ただし、ご令嬢をその高級娼館へ送り届けるまでは見届けさせてもらう」
「このまま俺たちを追い払うというなら騎士団に駆け込むぞ」

護衛たちの言葉に、「クソっ」と吐き捨てる声と、もう一度誰かを殴る音が聞こえ、同じ男の声が言った。
「中の令嬢も聞いていただろうから、逃げない様に縛って置け、それからお前たちもおかしなことが出来ない様に縛らせてもらう」

その声に答えた護衛たちの声が聞こえた。

「ご令嬢は俺たちが拘束する。傷が付いたら売値が下がるんだろう? お前たちに傷を付けずに縛るなんてことは無理だ。縄だけでなく布やクッションをかき集めろ」

そう言った護衛に、舌打ちをしながら男たちが動き出すと、馬車の扉の隙間から護衛の一人の密やかな声が聞こえた。

「必ずお助けします。私たちを信じて下さい」

暫くして、縄と布と大量のクッションを持って申し訳なさそうに馬車に入ってきた二人は、縛っている間もずっと『痛くないですか?』とか『どこか苦しい所はありませんか?』と小声で聞いてくれた。先ほどの会話や、私を丁寧に縛った気遣いと言い、立ち居振る舞いはただの護衛ではなくまるで騎士の様だ。改めて接して見るに、雇われて人攫いをするような人間たちとは思えない。ミリアムはこの護衛二人の言葉を信じる事に決めた。

男たちは護衛二人を縛ると、見張りを一人置いて交代で休むことにしたらしい。明日の夜明けと共にここを出ると言い置くと、奥の部屋へ入って行った。
見張りの男が交代してしばらくたった頃、馬車の外で人が動く気配がした。するとくぐもったうめき声が小さく聞こえたかと思うと、馬車がゆっくりと動き出し、窓から星が見えた事で織物工場の外に出たのが分かった。入り口の扉が音もなく閉められると同時に、大急ぎで馬車に馬を繋ぎ、外から護衛の声が聞こえた。

「しばらく揺れます!舌を噛まないように!」

そう言うと馬車は全速力で疾走し、領都の端にある森の中に分け入った。そこから馬車は速度を落とし、また外から護衛の声が聞こえた。

「もう少し我慢してください。この先の少し開けた場所まで行きます」

その言葉に、それまで張り詰めていた気が少し緩み、ミリアムの意識は次第に遠のいていった。
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