【書籍化】死んだことにして逃げませんか? 私、ちょっとした魔法が使えるんです。

どうせ逃げるなら、いっそ死んだことにして新しい人生をやり直してみない?

ベッドに横たわるお母様が、ラベンダー色の石を嵌め込んだペンダントを首に掛けてくれた。
光にかざすと金色に輝く不思議な石だ。

お母様の瞳と同じだと嬉しくて、くるくる回ってお母様に微笑みかけた。
その様子を見ていたお母様は微笑んで、私の頭を撫でながら静かな声で言った。

「このペンダントはね、お母様のお母様から頂いた物なの。これからは貴方のお守りだから、首から外さず服の下に隠して大切にしてね。もしも困った事があったら、このペンダントを両手でぎゅっと握ってね。ペンダントが必ず守ってくれるわ。そしてジラード王国へ行きなさい。このペンダントを見せれば必ず助けが来るわ。私の可愛いミリィ、お父様と仲良く幸せにね。愛しているわ」

馬車の振動でハッと目を開き、眠ってしまっていたことに気が付いた。
周りを見回して状況を思い出した。
さっき見たお母様の夢を思い出し、令嬢らしくは無いがクッションに顔を押し付けて泣いてしまった。縛られているので仕方ない。

馬車の音で泣き声は聞こえないだろうと思っていたのだが、馬車が止まっても泣き止むことが出来ず、入って来た護衛の二人があたふたと縛っている縄を解き、どこが苦しいですかと優しく聞かれ、水を飲ませてくれたり、顔を拭く柔らかい布を渡してくれたり甲斐甲斐しく気遣ってくれた。
苦しくて泣いているわけではないのだけれど、こうやっていつも心配して優しくしてくれていた頼りになる人を思い出して涙が止まらない。

そう言えば、こんなに気遣って優しくして貰えたのはどれくらいぶりだろう。
そう思うと、今度はその優しさが嬉しくて涙が溢れて来て、余計に二人を慌てさせてしまった。

夢の中で見たお母様の言葉を思い出し、服の上からペンダントをぎゅっと握りしめた。すると、足元でぴしりと小さな音がしたかと思うと、ミリアムの体の周りを小さな金の粒がきらきらと取り囲んだ。体の中に魔力が巡り始めたのがはっきりと分かる。

ミリアムも驚いたが、目の前の護衛たちも何かを感じ取った様に目を瞠って驚いている。その様子を見て、ミリアムはほっとしたように微笑んだ

「助けてくれてありがとう。信じてもらえないかもしれないけれど、私、魔法使いなの。義母に魔力封じの足輪を付けられていたのだけれど、さっきこのペンダントを握りしめた時に壊れたみたい。魔力が戻って来たわ」

そう言ってミリアムは服の中からペンダントを取り出して、同じ魔法使いだった母の形見だと言って二人に見せたのだ。中央に嵌め込まれたラベンダー色の石は、月明りに照らされ、金色の淡い光を纏って輝いて見えた。
二人はペンダントの石と金の枠に施された紋章を見て思わず跪いて礼を執った。驚いて二人を見つめるミリアムに、一人の護衛が言った。

「もちろん信じます。我らの祖国、ジラード王国のポラーニ侯爵家は、公にはなっていませんが代々魔法使いを輩出する御一族です。そのペンダントは紛れもなくポラーニ侯爵家の魔法使いの証です。私たちはお嬢様を必ず侯爵閣下の下へ送り届けます」

二人からは、スヴェン・ラーグとダンリー・ホフと自己紹介を受けた。二年前までジラード王国の王都の騎士団に所属していたという。ダンリーは足首の形に合わせてぴたりと嵌った魔力封じの足輪を見せながら、今は騎士団を辞して自分たちが取り逃がした魅了持ちの二人を探しているのだと説明した。
ミリアムは、その足輪を見て思わず声を上げた。

「私が付けられてる足輪と同じだわ! 貴方も魔法使いなの?」

その問いに、ダンリーは首を振って答えた。

「いいえ、残念ながら私は僅かに魔力を持っているだけで魔法を使う事は出来ません。その魔力を使って有害な魔法や呪いを取り締まる役目を担っていました」

スヴェンとダンリーは、ミリアムにいくつか質問をしたいと切り出した。

「お嬢様はアドラー国でお過ごしでしたので本格的な魔法の訓練などは難しかったと思います。僭越ながら、今使える魔法はどの様な物でしょうか」

その問いに、ミリアムはトランクから魔法書を取り出して広げて見た。
やはりこの本は魔力に反応するのだ。ページをめくるたびに文字が浮かび上がってくる。そのページを見ながら、順番に説明した。

「確実に使えるのは、結界魔法と転移魔法、それから傷を塞ぐ程度の治癒魔法と認識阻害魔法よ」

その答えにダンリーは目を瞠った。

「それらは基礎魔法より上位の中級魔法も含まれています。お母様から手ほどきを受けられていたのですか?」

「いいえ、母が亡くなったのは八歳の時だったから、基礎的な魔力の使い方と魔法の基礎だけしか学ぶことが出来なかったの。その後は母が沢山書き込みを残してくれたこの魔法書を実践しながら習得したから、本来の使い方ではないかもしれないわ」

それを聞いた二人は感嘆した。尊敬に似た眼差しを向けられたミリアムは、急に恥ずかしくなって慌てて話題を変えた。

「とにかく、これからの事を考えましょう」

スヴェンによれば、二人は道すがらミリアムの辛い状況は領地の御者から聞いており、工場長も領主館の人間も皆があの四人の言葉を信用して、密かに支援してくれている隣領の領主様に掛け合ってお嬢様をお助けするのだと意気込んでいると聞かされた。ミリアムは隣領が領民たちを保護してくれていると聞いて一先ず安心した。路頭に迷っている領民を放って逃げるわけにはいかないと思っていたのだ。

スヴェンの話は続く。
しかしそれが詐欺だと知った二人は、一旦は領主館へ駆け込むことも考えたらしいが、そうなるとお嬢様も破産の連帯責任は免れない。ならば皆の思いを汲んでどこかへ逃がそうと考えたそうだ。ファン=ベルス伯爵家の家紋付きの馬車であれば国境を超えるのは難しくない。騒ぎになる前に国境を越えてから馬車を事故に見せかけて横転させ、ミリアムはジラード国の信用できる家に預けようと思っていたのだと告げられた。

「貴族のお嬢様が平民になれば、その後生きていく事が難しいかもしれないと分かってはいたのですが、でもこんなに良いお嬢さんが何故こんな理不尽な目にと思うと居たたまれず…」

そう言ったスヴェンとダンリーを見たミリアムはじんわり胸が温かくなった。たった二日一緒に旅をしただけの彼らがこんなにも自分の事を考えてくれている。
それに、あんなに苦しめたというのに、領民たちもミリアムを助けるために尽力してくれていた。

「本当にありがとう。あなたたち二人が居てくれなければ、私はどうなっていたか分からないわ」

そう言ったミリアムにダンリーが告げた。

「お嬢様のあのペンダントがあれば、国境を超える事はいつでも問題ありません。その前に、私はあの四人の男たちを許せません。散って逃げてしまう前に一網打尽にしたいのです。お嬢様はどこか安全な所に隠れて頂いてその間に我らでけりを付けようと思います」

それを聞いたミリアムが思案顔で言った。

「でも、それだとあの男たちは間違いなく貴方たちが私を攫って隠したと言うわ。言葉巧みに領民たちを騙していたのでしょう? なら今の時点で皆はあの男たちの方を信用していると思うの。私が一緒に行かなければ貴方たちの方が犯人にされてしまうわ」

腕を組んで考え込んでいたスヴェンが口を開いた。

「そうですね。御者もあの男たちに感謝していましたから、私たちの方が圧倒的に分が悪い。しかし、お嬢様が領民の前に姿を現して騒ぎになってしまえば、恐らく隣領の領主様でも庇い切れません。お嬢様の連帯責任は避けられなくなってしまいます」

三人でうーんと唸って考え込んでいた時、ふとミリアムの脳裏に自分を理由なく虐げた家族と、今回の誘拐犯の男たちが浮かび、その者たちに対してむくむくと怒りが沸き起こると同時に、心の声が木霊した。

(何故何もしていない私たちが、悪い奴らの犠牲にならなければいけないの)

その心の声に従おうと決めたミリアムは、スヴェンとダンリーに告げた。

「私も彼らを許す事は出来ないわ。彼らはやった事の報いは受けるべきよ」

そう言った言葉に顔を上げたスヴェンとダンリーに、ミリアムは説明した。

「このまま逃げて行方不明になれば、助けてくれたスヴェンとダンリーが確実に犯人扱いされてしまうし、三人ともずっと逃げ隠れして生きて行かなければいけなくなるわ。『忽然と消えた令嬢と護衛たち』だなんて、ゴシップとしてはこれ以上ない格好の話題だもの。いくら隣国へ逃れたとしても、消えた令嬢にそっくりの私と護衛の貴方たちが世間の目に留まれば、憶測でとんでもない物語を作り上げられてしまうかもしれないわ。そんな事になれば匿ってくれた人にもきっと迷惑が掛かってしまう」

スヴェンとダンリーは真剣な表情で聞いている。

「それに、破産を招いたのは、父が連れて来たあの二人が原因だとしても、二人を招き入れて好き勝手を許したのも、領地の管理を放棄したのも父なのよ。
誘拐と人身売買を計画した男たちは、未遂に終わったとは言え、領民の善意を利用して騙した挙句、無関係の人間を犯人に仕立て上げて、このままだとまんまと逃げおおせてしまう。そんな人たちの為に、何もしていない私たちがおとなしく犠牲者となったまま逃げ隠れしながら生きて行かなければならない理由なんて、どこを探しても無いわ」

目を見開いて聞いているスヴェンとダンリーに、ミリアムは提案してみた。

「どうせ逃げるなら、いっそ死んだことにして新しい人生をやり直してみない?」

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