【書籍化】死んだことにして逃げませんか? 私、ちょっとした魔法が使えるんです。

ファンベルス伯爵家の終焉

王都のファンベルス伯爵邸に騎士団が踏み込んで来た時、ヘンドリックスとウルスラとヨアンナは朝食の最中だった。
朝食を邪魔した無礼を問うヘンドリックスの前に、先頭に立った騎士団長が広げた新聞を放り投げて言った。

「自分の娘が殺害されたというのに優雅に朝食とは、貴族とは我々の想像の範疇を超えている」

訝し気な表情でヘンドリックスが新聞を手に取ると、そこには大きな見出しと共にミリアムの肖像画が掲載されていた。その記事を読んだヘンドリックスは混乱した様子で呟いた。

「私の最愛の妻はウルスラで、二人の愛する娘はヨアンナだ。ミリアムとは誰だ? この記事は一体どういうことだ。アグネス夫人? ミリアム嬢…」

騎士団の面々に口々に抗議をしていたウルスラとヨアンナだったが、新聞に釘付けになって考え込んでいるヘンドリックスを見て、慌てて新聞を取り上げようとするウルスラを騎士団の一人が拘束した。
まだ呆然と紙面を見つめたまま混乱状態で呟くヘンドリックスに、騎士団長が王宮からの通達を掲げて告げた。

「ファンベルスの領民たちが土地を放棄し、隣領のファン=ルーベン伯爵領に保護されている状態であると告発があり、王宮はその事実を確認した。それにより領地経営を放棄した貴殿の爵位は剥奪され財産は没収される。また、財産を上回る賠償が必要な場合は炭鉱での労役を課す事とする」

通告を終えた騎士団長の合図で、ヘンドリックスとウルスラとヨアンナは騎士団員たちに捕縛されて邸を連れ出された。
その様子を見ていた使用人たちは、我先にと邸の中の金目の物を持って逃げようとしたが、元使用人たちの告発を受けた管財人の指示で、既に邸の周囲に詰めていた警らに捕らえられ、横領の罪で罰を受ける事となったのだった。

捕らえられたウルスラとヨアンナは、何とかこの状況を切り抜けようと得意の泣き顔で拘束している騎士たちに縋った。
この方法で騎士たちは思い通りに動くと思い込んでいた二人だったが、罪人の女の泣き落としを嫌という程見て来た騎士たちが二人に取り合う素振りを見せず、そればかりか呆れた目を向けられる事に困惑さえした。
収監された牢では、ヘンドリックスにしていたように目に涙を溜め、じっと目を見つめて『助けて』と言った言葉にも、牢番からは蔑み切った目を向けられ、格子の隙間から新聞が投げ込まれた。

新聞にはミリアムの肖像画と共に、王都の邸で働いていた元の使用人たちの写真とインタビュー記事が掲載されているが、ウルスラは字が殆ど読めない。ヨアンナがたどたどしく読めるところを拾った結果、自分たちが突然やってきてから元伯爵が言いなりになり、共に散財を繰り返して破産を招いた事と、三人でミリアムを虐げた挙句に領地に追いやった結果、伯爵令嬢が行商人を装った男たちに殺害されるという悲劇が起ったと書かれていている事が分かった。

ミリアムが亡くなった事には、ざまあみろとしか思わなかったが、ロイドたちが犯人として捕まった事は不味い状況かもしれない。
しかし、思い返してみれば、今回の件に関して自分たちは全く関与していないのだ。四人と一緒に国境を越えてからはウルスラとヨアンナに接触するのはロイドだけだった。指示や金の受け渡しも決められた場所に行くだけだったし、それだって通りすがりの他人を装ってロイドの言葉を聞くだけだった。言われた通り手紙やメモの類いは読んだ後全て燃やしている。そもそも、『ウルスラとヨアンナ』同様、『ロイド』が本名かどうかさえも知らないのだ。

こうなった以上、一刻も早くここから出た方が安心だ。その為に魅了魔法を使って見ても、今まで面白い様に思い通りになっていた事が嘘のように、言いなりになる者が居ない。焦るウルスラとヨアンナは次第にイライラを募らせていった。

一方、ウルスラとヨアンナと離されて一人牢に繋がれていたヘンドリックスの脳裏には、心から愛した妻と二人の最愛の娘の存在だけが強く残っていた。周囲から、昨日まで邸で共に暮らしていたウルスラとヨアンナは後妻と養女だと聞かされ、妻のアグネスは既に亡くなっており、娘のミリアムも先日領地で悲劇に見舞われたと聞かされても、混乱するばかりのヘンドリックスに皆が頭を抱えた。

再婚した時から既に評判は地に落ちていたのだ。更に新聞記事で自身と後妻と養女による実の娘への仕打ちを知り、既に貴族ではなくなったヘンドリックスに手を差し伸べる者は誰も居らず、厄介払いをするように労役場へ送られる事になったのだった。

労役場へ送られる事が決まって、ウルスラとヨアンナは相変わらず見張りの騎士や衛士たちに涙目で縋ったが思ったような効果は無い。二人は募るイライラをお互いにぶつけるように、罵り合うようになっている。その日も、交代した見張りの騎士にウルスラが涙を浮かべた渾身のお願いをすげなくあしらわれた直後の事だった。

「そんな草臥れた年寄りなんか、誰も相手にしやしないわよ」

フンと嘲笑うように言うヨアンナに、ウルスラも馬鹿にしたように言い返す。

「お前だってそんなに太った体で言い寄ったって、圧し潰されそうで男はみんな逃げちまう」

「うるさい! 自分こそ枯れ枝みたいな皺だらけのババアじゃないか」

およそ貴族とは思えない汚い言葉遣いと態度に、見張り達は皆うんざりしていた。

労役場へ護送する馬車に乗せられる時、ウルスラとヨアンナと合流したヘンドリックスは、最初二人が誰だか分らなかった。
走り寄って来た自分よりも年配の女と太った娘を怪訝な顔で見ていたヘンドリックスだったが、ウルスラの目を見て話しているうちに幸福な夢心地に包まれた。辛い境遇に置かれた妻と娘を守るのは自分の役目だ。そしてが家族一緒にいられる幸せを手放してはいけない。

それから労役場へ到着するまでの数日で、ウルスラは見違えるほどに若返り、ヨアンナもみるみる痩せて行った。何より驚いたのは、涙ぐんで訴えれば護送の衛士たちがウルスラとヨアンナの言いなりになった事だった。痛いと言えば足枷を外してくれたし、疲れたと一言えば水や食事に、こっそり甘いものまで差し入れられたのだ。

そこで二人は気が付いた。ヘンドリックスを傍に置けば自分たちの力は強まるのだ。これでまた思い通りの生活が出来る。

そして、逃げる機会は今しかない。

炭鉱町へ入る直前、ウルスラとヨアンナは急な腹痛を訴えて藻掻き苦しんで見せた。演技と知らないヘンドリックスは、衛士に涙ながらに医師を求めたのだ。
涙ぐんで藻掻くヨアンナの水が欲しいと言う言葉に、残っていた衛士がその場を離れると、ウルスラとヨアンナは急いで立ち上がり、ヘンドリックスのカフスボタンをはずして護送馬車に残し、急いでその場から逃げた。

着の身着のまま連行されて宝石や指輪は没収されたが、着ているものまで剥がされる事は無かった。一見飾り気のないシンプルなボタンだが、平民の身分である衛士たちにとっては、金で出来た貴族のカフスボタンは十分な賄賂になるのだ。

状況に驚くヘンドリックスの目を見てウルスラはゆっくりと言い聞かせた。

「私たちの言う通りにしていれば大丈夫よ、ヘンドリックス」

ウルスラとヨアンナに取ってみれば両国に跨るこの炭鉱は庭のようなもの、関所を通らずに国境を超える事など朝飯前だ。こうしてまんまとジラード国へ逃れた三人は、身に付けていた貴族の衣装を売った金で裕福な平民に見える衣服を揃え、人々で賑わう炭鉱町に溶け込むように消えて行った。

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