【書籍化】死んだことにして逃げませんか? 私、ちょっとした魔法が使えるんです。

初めての魔法

私はミリアム・ファンベルス。

アルハイト王国に属するファンベルス伯爵家の一人娘だ。
隣国ジラード王国から嫁いだ母のアグネスから容姿を引き継ぎ、この国では珍しいラベンダーの髪色と同じ色の瞳を持っている。
談話室に掲げられたお母様の等身大の肖像画は、すらりと背が高く、背に流した艶のある豊かな長い髪には真珠の髪飾りが散りばめられており、柔らかな微笑みを湛えて微笑んでいる。生前の彼女の魅力を余すところなく表現しているその絵は、絵画に造詣の深い父ヘンドリックスが画家を厳選して描かせたものだ。

「ミリアムはアグネスにそっくりだから、大きくなったらこの絵の様に素敵な淑女になるんだよ。アグネスもそう思うだろう?」

私が幼い頃、お父様はそう言って私を抱き上げては、肖像画の中の母を愛おしそうに見つめながら話しかけていた。
そしてもう一つ、私がお母様から引き継いだものがある。光に透かすと現れる、
ラベンダー色の奥に秘められた金色に輝く瞳、その輝きは魔法使いの証だった。
しかし、魔法使いのいないこのアルハイト王国では、周囲に力を隠してひっそりと暮らしている。
お母様の故郷のジラード王国では、魔法使いが生まれる家は二家に限られており、魔法使いの力が顕現すればその存在は公にされるらしい。

私が初め て魔法に触れたのは、三歳になったばかりの頃だった。
その日の事は今でもはっきり覚えている。お部屋に飾ってくれた白とピンクと薄い紫のコロンとした花がとっても可愛くてにこにこ眺めていると、突然花たちに可愛い目と口が付いたのだ。

『わあ、かわいい!』

思わず微笑みかけると、花たちが話しかけて来のだ。

「あら、こんにちは」
「まあ、なんてかわいいお嬢ちゃん!」

お話も出来るなんて素敵! それに『かわいいお嬢ちゃん』って言われたのがとっても嬉しくて返事をしようとした時だった。そこへ、お母様の乳母で私のばあやでもあるポンヌフ夫人が、おやつを持って部屋にやって来た。
ばあやにもおしゃべりする花を見てもらいたくて『ほら見て!』と指差すと、おしゃべりを止めた花たちは、目を閉じて笑顔でゆらゆらと揺れている。

「あらあら、まあまあ」

あやはいつものようにゆったりした口調で頬に手を当てて、ポケットから片眼鏡を取り出して花たちをじっと見ている。
しし、ミリアムは知っている。今、ばあやは怒っている。
理由は分からないけれど、お母様に。
ばあやが片眼鏡を取り出して何かを見ている時は、いつもミリアムに向ける優しい笑顔ではなく、真剣な表情をしている。なんだか不安になったミリアムは、ばあやのスカートにぎゅっと抱き着いた。
 それを見たばあやは眉尻を下げに下げ、とっても優しい笑顔で私をふわりと抱きしめて言ってくれた。

「大丈夫ですよ。お嬢様は何も心配いりませんからね。」

そう言って、侍女のポーリーにお母様を呼んでくるように頼むと、テーブルにおやつの準備をしてお茶を淹れてくれた。
ばあやの淹れてくれるはちみつの入った優しい甘さのミルクティーは世界で一番おいしいのだ。
私がお気に入りのうさぎの形のクッキーをもぐもぐと頬張っている間、ばあやはとっても優しい笑顔で私を眺め、たまに片眼鏡を向けて花たちを観察している。

そこへノックの音がしてお母様と侍女のポーリーが入って来た。お母様の姿を見て嬉しくなった私が駆け寄ると、お母様はとびっきりの笑顔で私を抱き上げて、ほっぺにキスをしてくれた。お母様は私にすりすりと頬ずりをしながらばあやに聞いた。

「サマンサ、何かあったの?」

そう言ったお母様は、ばあやの視線を追って花たちに気が付いた。

「あら、ごめんあそばせ」

そう言って、私を抱っこしたまま花たちに近づき、手のひらで撫でるようにひらりと一振りすると、花たちは元のコロンとした普通の花に戻ってしまった。
するとばあやがハンカチを取り出して目に当て、震える声でお母様に言った。

「消し忘れた魔法の影響で、お嬢様にもしもの事があったらと思うと、このサマンサはお迎えが来るまで死んでも死に切れません」

お母様は私をそっと降ろすと、よよと訴えるばあやの手を取って慰めている。
じっとばあやを見つめていたポーリーがぽつりと呟いた。

「ばあやさん、お迎えが来たら寿命です」
「じゅみょう?」

こてんと首を傾げて呟き、ポーリーと手を繋いで見上げると、

「大人になればわかりますよ」

と、ぱちんとウィンクされた。
お母様が手を翳して花たちが元に戻った時、花から放たれた小さな濃淡の金の粒がほんの少し、きらきらと近くの壁の絵に降りかかったけれど、二人はその事に気付いていなかった。
きらきらの降りかかった絵は、お母様がニルスと名前を付けたガチョウの絵で、家庭教師の先生と一緒に私が初めて描いたものだ。『ニルスはミリィのお守りよ』そう言ってポーリーが額に入れてお部屋に飾ってくれていたのだ。

『わあ、ニルスが光ってる!』

と思って二人に言おうと思ったけれど、その時はお母様とばあやは魔法の解除忘れ防止について話し合っていた から言えなかった。
そして幼い私はその事をすっかり忘れてしまっていたのだ。
それ以降は不思議な事も起らず平穏な日々を過ごしていた。
この頃はお父様とお母様に大切にされ、使用人たちも皆優しくて毎日が幸せに溢れていた。

私が六歳のお誕生日を過ぎて少しした頃、ばあやが体調を崩す事が多くなり、お仕えするのが難しくなったと申し出て故郷に帰る事になった。
ばあやは元々お母様の乳母で、お母様の専属侍女として一緒にこの国にやって来たのだ。そして私が生まれてからは私のばあやとして今まで留まってくれていた。
お見送りの時、悲しすぎて何も言えずいつものようにぎゅっとスカートに抱き着くと、ばあやは眉をめいっぱい下げて腰を落として目線を合わせ、ミリアムを優しく見つめた。そしていつもポケットに忍ばせていた片眼鏡を私の手にそっと握らせてくれた。

「これは私の形見です。お守りと思って持っていて下さいね。いつかお嬢様の助けになる時が来るかもしれません」

そして、あのとっても優しい笑顔で言ってくれた。

「大丈夫ですよ。お嬢様は何にも心配いりませんからね」

お母様と私は、手を繋いでばあやを乗せた馬車が見えなくなるまでずっと見送っていた。

それ以来、時折ふと寂しそうなお顔を見せるお母様を心配したお父様がある事を思い出した。

「そう言えば、ミリアムが生まれた頃に、ポンヌフ夫人が抱っこしたミリアムをあやす君の姿があまりに美しくて、三人が一緒に居る所をデッサンした事があるんだ。確か資料室にあるはずだ」

そう言ったお父様に案内され、肖像画や彫刻が沢山置いてあるお部屋に皆で入った時、一体だけ髪の毛の無い彫刻がミリアムの目に留まった。
一人だけつるつるの頭が可哀想だと思ったミリアムが、この彫刻にも髪の毛が生えればもっと素敵になるのにと思ってじっと見つめていると 、あっという間に髪の毛がフサフサになってしまったのだ。

『わぁ、やっぱり髪の毛がある方が素敵!』

と思って振り向くと、お父様は壁の肖像画を見ながら何かお話していて、こちらに気付いていなかったので、側に居たお母様のドレスのスカートを引っ張った。
振り向いたお母様はフサフサの彫刻を見て目を見開き、お父様がこちらを見ていない事を確認すると、囁くような声で「ハゲなさい」と言ったのが微かに聞こえた。
せっかく素敵になったのにと、残念に思っていると、フサフサの髪の毛は細かい濃淡の金色の粒 になって、お父様の上にキラキラと降り注いでいった。

『わあ綺麗!』

と思ってお母様を振り返ると、お母様はとっても慌てて、淡い金色のキラキラをお父様にふりかけていた。

『わあ、こっちも綺麗!』

そしてその後から、お父様の綺麗な金色の髪が少しずつ少なくなっていく気がした。
気が付けば、お父様の頭のてっぺんの髪の毛はずいぶん薄くなって、遠くから見るとうっすらハート形になっている。お父様はお外に出る時は必ずシルクハットを被るようになり、髪の毛をとても気にしているが、お母様も私も、どんなお父様だって大好きだ。
それからしばらくたったある日、あの日の出来事をきっかけに私に魔法が使える事が分かったのよと、お母様に優しく伝えられた。これから一緒に確かめましょうねと、テラスの窓際に一緒に立ち、日の光に瞳を透かして手に持っていた鏡を二人で顔をくっつけて覗き込むと、そこに映っていた私とお母様の瞳は金色に輝いていた。よく見れば私の方が少し濃い金色だ。驚いてお母様を見上げると、いつもと同じラベンダーの瞳で微笑んでくれた 。

「ミリアム、貴方は私と同じ魔法使いよ。六歳を過ぎた頃に日の光に透かして現れる金の瞳がその証なの。これから一緒に魔法の練習をしましょうね」

そう言ったお母様は人差し指を口に当て、内緒話をするように続けた。

「でもね、この国には魔法使いが居ないから、こっそりね」

そう言って、私はお母様と楽しく魔法のお勉強を始めたのだ。まずは魔力を認識して思い通りに動かす事からだった。お母様は体の中にある魔力を手のひらの上に集めるお手本を見せてくれた。集めた魔力は光の粒になって表れ、人によってその光の粒の色は違うのだそうだ。お母様の手のひらの球は少し薄めの金色のキラキラだった。あの日、お父様に振りかけていたキラキラはこれだったのね!
それを思いついたのが嬉しくて、ミリアムも真似してやってみた。お母様の半分もない大きさの球だったけれど、金色のキラキラの綺麗な球だった。そのキラキラを使って、イメージ通りに魔法を発動するのだと聞かされ、先ずは物の色を変えたり形を変えたり、主に物に魔力を纏わせる事と、その結果出来る簡単な ことから始めると説明された。目の前の物を変える事はイメージしやすいし、変えたことがすぐに分かるから魔法の成果も分かりやすい。
 
 お母様の話では、ジラード王国を出た魔法使いは、国に居た時と同じように魔法は使えないそうだ。だから、お父様には、お母様が魔法使いである事は明かしているが、植物と話せたりする、ほんの可愛いらしいものだと伝えているそうだ。
 お父様はミリアムも同じ魔法使いだと知ってとても喜んでくれたのだ。それからは、ぬいぐるみの色を変えたり、葉っぱや枝を本物そっくりの動物や物に変えてみたり、まだまだ思い通りには行かないけれど、幼いミリアムは、魔法は楽しいと思いながら育っていった。そして、魔法を使った後は必ず解除しておくこと。そうしなければ呪いになってしまう事があると聞いてとても怖かった。だからこれは必ず守らなければいけないお母様との大切なお約束だ。
そうしてお母様と一緒に過ごす時間と、そんな二人を愛おしそうに見つめるお父様の姿は、ミリアムの心の奥の一番大切な思い出だ。

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