【書籍化】死んだことにして逃げませんか? 私、ちょっとした魔法が使えるんです。

魔法の国 ジラード王国

「ここがミリィの部屋よ」

案内された場所は、家族のプライベートエリアの一角にあり、日当たりの良い部屋のバルコニーからは中庭の下段と中央の噴水が見える素敵な部屋だった。シンプルだが上品な家具や、たっぷりドレープを取って縁飾りをあしらった明るい色のカーテンが設えられたその部屋は、マーシュがお腹にいる時に、男女どちらが生まれても良い様に、女の子用に揃えた部屋なのよとウルリカに聞かされた。

それでは申し訳ないと言ったミリアムに、ウルリカはまたぱちんとウィンクして言った。

「何を言っているの? ミリィは私の可愛い娘よ」

そう言って侍女たちに合図をすると、一斉にドレスや靴が運び込まれて来た。

「さっきの着替えの時に採寸をしたから、取り敢えず数日分のドレスを用意したの。既製品で申し訳ないけれど、大急ぎでドレスの仕立てを頼んでいるから、少しの間我慢してね」

ありがとうございますと言ったミリアムの言葉に、戸惑いの色を見て取ったウルリカは、お茶の用意を頼むと、少しお話しましょうかと言ってミリアムを向かいのソファーに座らせた。

「アグネスが病気になった時も亡くなった時にも、ミリィが辛かった時もね、身内として何もしてあげられなかった事をエルネストも私もとても悔やんでいるの。やっとこうして私たちが庇護出来る立場になったのだから、今までの分も思い切り世話をさせて頂戴。遠慮をされると悲しいわ」

流れるような優雅な所作でお茶を飲んだウルリカは、魔法使いの立場に付いて話してくれた。ジラード王国に接するリンドホルム公国の公女だった自分だからこそ、他国からの視点を含めて話せるので適任なのだと言った。

「魔法使いが他国に嫁ぐには、色々な制限が掛けられるの。例えば転移魔法で国を跨ぐことが出来ないとか、魔法の伝言なども国を超えてやり取りする事は出来ないわ。それに、国を跨いで魔法使いどうしが交流する事は禁止されているから、唯一の身内であるエルネストとの手紙も厳しく検閲されていたの。それから、お目付け役として魔法取り締まり官の資格を持つ者が一定期間付く事になっているわ。それが各国の王家同士の条約なのよ。魔法使いの居ない他国からすれば、秘密裏に魔法使いを送り込んで内側から侵略されるのは脅威だもの。アグネスの場合、付いていった取締官はポンヌフ夫人よ。彼女、片眼鏡を持っていたでしょう?」

ミリアムは傍らに置いていたトランクから、ハンカチに包んだ片眼鏡を取り出してテーブルに置いた。ヒビが入ってしまったその片眼鏡を懐かしそうに見て、ウルリカは続けた。

「ポンヌフ夫人は魔力持ちでね、その力を買われてフロード家の傍系に当たる騎士と結婚して侍女を辞していたのだけれど、アグネスが隣国に嫁ぐかもしれないと聞くと、猛特訓して魔法取り締まり官の資格を得たのよ。どうしても自分が付いて行くのだと言ってね。他国に嫁いで、ただでさえ心細いだろうに、気心の知れない取締官に常に見張られるなんて、そんな境遇にアグネス様を置くわけにはいかないと言って離婚までしてついて行ったのよ」

大好きだったばあやの優しい顔を思い出し、ミリアムの目頭が熱くなった。

「ポンヌフ夫人が戻って来ると聞いて、エルネストが国境へ迎えに行った時には病状はかなり深刻でね。そのままこの邸に引き取ったの。最期までアグネスとミリィの話ばかりしていたわ。今は領地の教会にあるポラーニ家の墓地で眠っているの。今度一緒に顔を見せに行きましょうね。きっととても喜ぶわ」

ウルリカに、話をしてくれたことを感謝して、これからはお義母様と呼んでいいですかと問いかけると、素敵な笑顔でもちろんよと言って抱きしめてくれた。

「では、私の事はお義父様と呼んでくれるんだろう?」

そう言ってにこやかに入り口に立っているエルネストにミリアムは微笑みかけた。

「はい、お義父様」

そう言ってハグをした時、エルネストの後ろに立ってじっとこっちを見ているウィレムに気が付いて顔が引きつった。銀の光を帯びた碧い瞳は、相変わらずまばたきしていない。

(…フロード先生、とっても怖いです)

ミリアムに向き直ったエルネストから、専属護衛を紹介すると言われて執務室に向かった。
そこには、ポラーニ騎士団の制服を纏って騎士の礼を執る四人の男性が居た。そのうちの二人はスヴェンとダンリーだ。

「改めて紹介する。我が領の騎士団長と副騎士団長、それから、スヴェン・ラーグとダンリー・ホフだ。二人は今日からミリィの専属護衛だ」

四人を立たせて挨拶をすると、ミリアムは二人に近づいて言った。

「スヴェン、ダンリー、貴方たちが私の護衛になってくれるの? ありがとう、とっても嬉しいわ!」
「この度、お嬢様の専属護衛を拝命しました、お嬢様にお仕えできることは、我らにとって光栄の極みです」

そう言って二人と話していると、スヴェンがエルネストの後ろに立つウィレムに気が付いた。

「ウィレム様、お久しゅうございます」

二人に射るような視線を向けていたウィレムが言った。

「ああ、スヴェン、ダンリー、久しいな。どうして二人がミリィ嬢と知り合いなんだ?」

眉間に深い皺を寄せて詰問の様に問うウィレムに、エルネストが答えた。

「ウィレム、二人はファンベルス領で窮地に立たされたミリィを救って私の元に送り届けてくれた功労者だ」

ポラーニ侯爵の言葉を引き継ぎ、ミリアムが皆に笑顔を向けて続けた。

「そうなのです。スヴェンとダンリーが居てくれなければ、私は今頃どうなっていたか分かりません。本当にありがとう。二人は私の命の恩人よ」

そう言われて胸に手を当てているスヴェンとダンリーに、ウィレムは相変わらず鋭い視線を向けている。
三人を見比べるミリアムに、エルネストが説明した。

「ミリィ、ラーグ家とホフ家はフロード伯爵家の傍系の家柄で依子なんだ。三人は年も近いし、子供のころから旧知の仲だ。さて、本題に入ろう。これから話す事はミリィにも関係があるので聞いて欲しい」

皆でソファーセットに着席し、お茶を用意した使用人を下がらせるとエルネストが口火を切った。

「スヴェンとダンリーが二年前に魅了持ちを取り逃がして以来その行方を捜していたことは皆も知っての通りだ。二人からの報告を聞くに、ファンベルス家に入り込んだ女二人がその魅了持ちだという可能性が極めて高い。大きな理由は、取り逃がした時に持ち去られた魔法封じの足輪の一つをその二人が持っていた事だ。そしてその足輪を、今ミリィが付けられている」

「何だと?」

ウィレムが地の底から聞こえるような低い声で呟き、眼光鋭くミリアムの足元を見ている。

「アグネスが形見としてミリィに渡したペンダントの力でひび割れて機能しなくなっているようだが、まだ足には嵌ったままだ」

その言葉に、部屋中の皆の視線がミリアムの胸に輝くペンダントに集中した。

「そんなことがあり得るのですか?」

驚きを隠せないウィレムの問いに、エルネストが腕を組んで答えた。

「ミリィの付けているペンダントの石はポラーニ家に代々伝わる魔石だ。アグネスは守護の魔法が突出して強かった。死期を悟ったアグネスが、娘を護る為に命と引き換えにありったけの力を注いで魔法道具にしたのだろうと考えれば、不思議な話ではない」

それを聞いたミリアムは、思わずペンダントをそっと両手で包んだ。ずっと守ってくれていたのだ。(ありがとう、お母様)心の中でそう呟くと、ペンダントはそれに応えるように、ふわりと仄かな金色の光を放った。
それを見てふと表情を緩めたエルネストは、間違いないようだなと呟いて、話を続けた。

「その魅了持ちと思われる二人とバカ婿は炭鉱の労役場に送られる事が決まった。アルハイト国から聴取の許可が下り次第、奴らが労役場に到着する日程に合わせて尋問しに行く。スヴェンとダンリーは同行するように」

「その間のミリィ嬢の護衛は私が引き受ける」

突然のウィレムの発言に皆が注目した。相変わらず凝視されているミリアムは、張り付けた笑顔をウィレムに向けて言った。

「ありがとうございます、フロード先生」

まばたきせずにじっと見つめられているので、目を逸らすタイミングがつかめないミリアムは、期せずしてウィレムと見つめ合う形になっている。

無表情でミリアムを凝視するウィレムと、引きつった笑顔でウィレムを見つめるミリアムを皆が呆然と眺める中、エルネストがパンと手を打って告げた。
ウィレムの注意を逸らさなければミリアムが動けない。

「兎に角そう言う事だ。皆、よろしく頼む」

その言葉を合図に皆が立ち上がると、エルネストは徐にミリアムの足首に向かって手を翳した。その瞬間、ひび割れてなお足首に嵌っていた足輪が淡い光を放ったかと思うと砂粒が零れて行くようにさらさらと空中に舞いながら消えていった。

「足輪が、消えた…?」

ウィレムのその言葉に、部屋中の皆が息を呑んだ。魔法封じの道具は、一度着けられたら外す事は出来ない物として知られている。

「魔法封じの解除方法と特権は国王陛下から魔法士長に任命されたと同時に与えられる。尤も、即座に陛下に伝わって説明の為に召喚されるがな」

そう言ったエルネストの執務机の上に、深紅の長い尾羽を優雅に揺らした美しい小鳥が現れ、ぱかと口を開けて言葉を発した。

『即刻登城せよ』

「面倒ついでだ」

それを見たポラーニ侯爵がそう言ってダンリーの足輪に手をかざすと、ぴしりと音を立てた後、砂粒に変わってさらさらと空中に舞いながら消えていった。

「せっかくの魔力持ちだ。その力を今後は魔法士の一員となり得るミリィの為に役立ててくれ」

驚きに目を瞠るダンリーに、手紙に同封されていた片眼鏡を渡してそう言った後、ミリアムに手を差し伸べたエルネストは、苦笑いして言った。

「急で申し訳ないが、謁見だ」

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