【書籍化】死んだことにして逃げませんか? 私、ちょっとした魔法が使えるんです。
謁見とミリアムの魔法
ミリアムとダンリーを促して小鳥の前に移動して転移魔法の準備に入ったエルネストにウィレムが言った。
「私も同行します」
「何故だ?」
エルネストに問われたウィレムが答える。
「ミリィ嬢は新たに加わる魔法使いとして謁見するのでしょう? 指導係として同行するのは当然です」
呆れた顔で、まあ、物は言い様だなと呟いたエルネストは、ミリアムとダンリー、ウィレムを伴い、小鳥と共に執務室から姿を消した。
赤い光に包まれて、思わず目を瞑ったミリアムが再び目を開けると、壮麗な両開きの扉の前に立っていた。四人が姿を現した事を扉の前に立つ騎士が中に伝えると、ゆっくりと扉が開かれ、赤い小鳥がまっすぐに飛んでいった先には、磊落な笑みを浮かべ、足を組んでゆったりと玉座に座るジラード国王の姿があった。
隣に立つ王妃がその指に止まった赤い小鳥の頭を優しく撫でている。
最敬礼を執る四人を直らせ、笑みを崩さずに国王が声を掛けた。
「エルネスト、急に娘を連れて来るなどと言うから隠し子かと思って心配したぞ」
両脇に立っている王妃と王弟、王太子夫妻も苦笑いしている。
「何分急いでいたもので、初動の説明が足りずに申しわけございません。経緯はご報告した通り、この度娘として登録をした姪のミリアム改め、ミリィです。アルハイト王国に嫁いだ実妹アグネスの忘れ形見です」
そう紹介されたミリアムは、改めてカーテシーを執った。
「ミリィ・ポラーニです。お目に掛かれて光栄でございます」
その様子を感慨深げに優しく見つめていた王妃が、壇上から声を掛けた。
「アグネスに瓜二つだわ。大変な目に遭ったわね。でもこの国に来たからには安心して。貴方を歓迎するわ」
ありがとうございますと笑顔を向けたミリアムを、王太子妃は親しみを込めて鷹揚に頷き、王弟妃が頬に手を当てて愛し気に見つめて言った。
「本当にアグネスによく似ていること。 ウルリカ様が自慢して回るのが目に浮かぶようだわ。ミリイ様、これからきっと大忙しよ」
ミリアムの挨拶が終ると、早速ですがと前に進み出たエルネストとダンリーは報告を始めた。
「先ずは魔力封じの足輪解除の釈明を。ミリィの足輪は、アグネスが形見として渡したネックレスの力で既に無効化されていました。ダンリーの足輪はミリィ救出の褒章として独断で解除しましたが、今後はミリィの護衛として従うのが条件です。解除した足輪ですが、取締官が持つ足輪に間違いはありませんでした。アルハイト国から許可が下り次第、魅了持ちと疑わしい二人の聴取を行います」
ひじ掛けに肘をついて顎に手を当てて報告を聞いていた国王は、皆に問いかけた。
「思考を奪って貴族を破滅に追いやる程の強力な魅了であれば、今までも同じような報告があってもおかしくないはずだが、どうだ」
それにはダンリーが答えた。
「私とスヴェンがジラード王国で調査した限りでは、そうした不審な事案はありませんでしたが、アルハイト王国で、数年前に高齢の裕福な平民に後妻と養子が入り込んで、すぐに他界した事例があると聞いてアルハイト国に渡り、調べようとした矢先の事でした」
王弟と王太子が頷いて続けた。
「それで味を占めて更に上を目指したと考えられなくはないな」
「そうだとしても、元々の魅了はそう強くなかったと聞いている。別人でないなら、魅了魔法とは自らの意思で強くできる物なのか?」
ウィレムが思案顔で可能性を挙げた。
「魔力自体を増やす事は出来ないのですが、例えば近くに比較的強い魔力を持つ者や魔法使いが居た場合、その人物の影響で底上げされる可能性は考えられます」
皆の視線がミリアムに向けられ、エルネストがミリアムにウィレムの仮説を踏まえて当時の状況を聞いた。
「ミリィはあの二人の為に何かをしてやりたいと、魔法は使わなくてもそう言った感情を向けたことはあるかい?」
そう聞かれたミリアムは、力なく首を横に振った。
「あの二人は家に来た当日から私に対する敵意を隠しませんでしたし、父は出迎えた私を邪険に遠ざけて、その日以来、私の姿を見ることさえも嫌悪する状態でしたから…」
ミリアムの語った辛い境遇に、皆からため息が漏れるのが聞こえた。
眉根を思い切り寄せて凝視していたウィレムがミリアムに問いかけた。
「ミリィ嬢には、その女たちの側に居て、同情などを寄せていた、若しくは魔力を持った人間に思い当たる人物はいないだろうか?」
魔力と聞いて、ミリアムはハッとした。
「それが父自身であれば、作用はより強力になりますよね?」
皆の視線が一気にミリアムに集まった。
「ヘンドリックス殿は魔力持ちなのか?」
国王の問いに、ミリアムは答えた。
「いいえ、父に魔力はございません。ただ、私が初めて魔法を顕現した日、私の魔法とは思わず母が解除をしたのですが解除は出来ずに払う形になった様で、母の魔力が絡んだ形で父に掛かってしまったそうです。私が掛けた魔法が何の魔法か分からず解除できないまま、数年を経過して呪いになってしまった為に、私が解呪の魔法を習得するまでその魔力を纏ったままだという事を、ちょうど父があの二人を連れ帰る直前に母の残した手紙で知りました。帰ってきたら解呪しようと習得していたのですが、顔を合わせる機会もほとんどなくなってしまいましたので…それが、まさかこんな事になるなんて…」
そう言って肩を落として俯いたミリアムを、王妃が覗き込んで言った。
「貴方のせいだなんて自分を責めてはだめよ? 貴方は色々な事を出来る限り努力したわ。責任は一人だけで背負うものではないのよ」
そう言って、顔を上げたミリアムにふわりと優しい笑顔を向けてくれた。
でも、やはり無理にでも解呪をしておけば、領民たちが苦しむことはなかったという思いは拭いきれない。
「で、どんな呪いなんだ? あのアグネスがそこまで真剣に解呪に取り組んでいない所を見ると、深刻なものではないんだろう?」
国王陛下が肩ひじを付いてミリアムを覗き込むように聞いた。
「それは…はい、命に係わる事ではありません…あの、少し髪の毛が少なくなるというか、薄くなるというか…」
言い難い、しかし、お母様が呪いを放置していたなど、名誉に関わる。そう思って言ってしまった。周りを見回すと、皆がぽかんとミリアムを見ている。
次第に皆の口元が緩み始め、王妃と王太子妃と王弟妃は扇子で顔を隠しているし、王太子は後ろを向いている。エルネストとウィレムとダンリーは、ミリアムの横に並んでいるから様子は見えないが、きっと正面の皆様と同じ様な顔なのだろう。
王弟と顔を見合わせてくつくつと笑ながら国王がまたミリアムに尋ねた。
「どうやったら薄毛の呪いが出来上がるんだ? 解呪に当たって色々調べたんだろう? 今後の参考に聞かせてくれ。意外と使えるかもしれん」
しかもハート形の薄毛だなんて言うと皆様を余計苦しませることになりそうなのでそれは伏せておくとして、問いに答えた。
「はい、正直な所、解呪は事象そのもの、つまり髪の毛を増やせば良いだけだと簡単に考えていましたが、今のお話を伺えば、、恐らくそれでは解呪出来ないと思います。先ず経緯をお話しますと、私が彫刻の頭に髪を生やしてしまったのが事の発端です。それを見た母が、自分の無意識の魔法だと思い、髪の毛が生えた彫刻の前で手を一振りした時に、払われた魔力が父に降りかかったのを見て慌てて解除を重ねた結果、魔法と魔力が絡み合って発動してしまっているようです」
ウィレムが真剣な顔で空中に文字を浮かび上がらせ、魔法の顕現と順番、考えられる魔法のタイプを書き出している。
「魔法が顕現した時の私は、(一人だけ髪が無くて可哀想だから、髪が生えればいいのに)と思って見つめていました。それから、母があの…髪の毛をなくすと言う言葉を口にしていて、これが絡み合って『髪の毛が無くなるという事象に対して、可哀想だからそうならないようにする事象』が拮抗しているのだと思います。つまり、『同情を向けた相手の状況に合わせて、可哀想な状態にならないように行動する』状態を解呪しなければいけないのではと考えています」
書き出した内容を眺めながら、ウィレムが口を開いた。
「そうであれば、お父上は魅了魔法をきっかけに自己暗示にかかっている状態とも言える。お父上の同情心が周囲にも魔法として影響を及ぼしていると考えれば、女二人の魅了が弱いままでも作用が強まった状況は頷ける」
国王は手を組んで真剣な顔に戻っており、顎に手を当てて聞いていた王弟が、顔を見合わせて議論に集中していたウィレムとミリアムに問いかけた。
「周りが見えなくなるほどの自己暗示という事は、かなり精神作用が進んでいるという事ではないのか?」
ウィレムは王弟に顔を向け、頷いた。
「はい、出来るだけ早くその状態から離した方が良いでしょう。女二人から引き離した時や解呪をした後は一時期強い混乱があると思いますので、回復までは慎重に経過観察が必要だと思います」
解呪に付いての疑問点をミリアムがウィレムに提示した。
「二つの魔法が絡み合っている場合、解呪する順番はどうでしょうか?母の残してくれた魔法書には、魔法の強さに大きな差がある場合、掛けた順番ではなく大きな魔法から解呪するとありました。当時幼い子供だった私の魔法より母の魔法の方が大きいと考えるのが自然ではないでしょうか」
腕を組んでミリアムを凝視していたウィレムは、顎に手を当てて答えた。
「いいや、その時のお母上の魔法は練り上げた物ではなく咄嗟に掛けられた物だから、恐らく大小の差はないだろう。先ずミリィ嬢の魔法の解呪を行った後、お母上の魔法を解く方法で良いのではないかな」
それまで真剣に二人の話を聞いていた壇上で、王妃の側に立っている王太子妃と王弟妃がひそひそと囁き合っている。
「ウィレム卿があんなにしゃべっているのを初めて見ましたわ」
「それよりも、ミリィ嬢がウィレム卿と魔法の議論が出来ているのが驚きだわ」
「そうですね、あの洞察力と独学でここまで学んでいる努力家ならこれからが楽しみです」
目を細めて二人を眺めていた王妃もそれに応じた。
「この様子なら魔法士の認定もすぐに出来そうね、王家を支える魔法士に女性が居るのは国にとってもとても頼もしい事だわ」
愛を選んで国を出た旧友の面影を濃く受け継いだミリアムを、王妃と王弟妃は感慨深く眺めていた。
「王妃様、これはずいぶん楽しい展開になりそうだと思われませんか?」
王弟妃に問われた王妃は、扇子で隠した口元を上品に綻ばせて側の二人に言った。
「うふふ、ずいぶん気も合ってるようだし、みんなでお膳立てしちゃう?」
目配せし合った三人は、生暖かい目をウィレムとミリアムに向けていた。
国王の側に居た王太子は、ウィレムとミリアムの議論を聞いて国王に囁いた。
「父上、アルハイト国王からの魅了魔法についての報告はいかがでしょうか」
「先ほど届いた報告では、現在強力な魅了は見られないとの事だったが、今の話から三人が顔を合わせないように緊急報告が必要だ」
その言葉を聞いていた王妃の肩から、あの赤い小鳥が光の粒になって姿を消した。
赤い小鳥が消えたのを確認した国王が、好奇心を抑えきれない顔でエルネストに聞いた。
「ヘンドリックスの解呪についてだが、ミリィの魔法の解呪は急務だが、アグネスの魔法の解呪は必要か?」
その問いに、エルネストが淡々とした表情で返事をした。
「不要でしょう。今でもどうせ薄毛なら、いっそなくなった方が潔い」
王太子がウィレムと顔を見合わせて神妙な顔を王弟に向けた。視線を受けて苦笑いしながら王弟が言った。
「まあ、その議論はおいおいという事で」
その言葉を引き取って、王妃が口を開いた。
「ミリィ嬢はデビュタントがまだなのでしょう? 今年の合同デビュタントボールは終わってしまったから、三か月後の王宮の夜会をポラーニ侯爵令嬢のデビュタントとして正式にお披露目するのはどうかしら?」
皆がにこやかに頷き、エルネストは王妃に礼を述べた。
「王妃様のお心遣い、心より感謝致します」
「今年デビューする事が決まっている令嬢の中ではミリイ嬢が最高位よ。魔法使いの存在を知らされている貴族家には、ミリィ嬢が魔法使いだというお披露目にもなる良い機会だわ。ウルリカ様とも相談しなくてはいけないから、改めて後日ミリィ嬢と一緒にお茶会の招待状を送るわね」
そう言う王妃に優雅に微笑みかけられ、ミリアムは冷や汗が背中を伝うのが分かった。王宮主催の夜会でデビューする事になるなど、アルハイト国で一介の伯爵令嬢だった身には恐れ多すぎて眩暈すらする。必死の笑顔でお礼を言ったミリアムに、王弟妃が優しく付け加えた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫。今ここでの所作やマナーで問題ないわ。それに、隣接するリンドホルム公国の公女であるウルリカ様のご息女となれば、王家として特別扱いは当然の流れなの。お茶会で詳しく相談しましょうね」
王太子妃にも優しく微笑みかけられ、ミリアムは重ねてお礼を述べて一行は謁見室を後にした。
扉が閉まった後、謁見室には国王の呆れたような声が響いた。
「ところで、ウィレムは目が乾かないのか?」
「私も同行します」
「何故だ?」
エルネストに問われたウィレムが答える。
「ミリィ嬢は新たに加わる魔法使いとして謁見するのでしょう? 指導係として同行するのは当然です」
呆れた顔で、まあ、物は言い様だなと呟いたエルネストは、ミリアムとダンリー、ウィレムを伴い、小鳥と共に執務室から姿を消した。
赤い光に包まれて、思わず目を瞑ったミリアムが再び目を開けると、壮麗な両開きの扉の前に立っていた。四人が姿を現した事を扉の前に立つ騎士が中に伝えると、ゆっくりと扉が開かれ、赤い小鳥がまっすぐに飛んでいった先には、磊落な笑みを浮かべ、足を組んでゆったりと玉座に座るジラード国王の姿があった。
隣に立つ王妃がその指に止まった赤い小鳥の頭を優しく撫でている。
最敬礼を執る四人を直らせ、笑みを崩さずに国王が声を掛けた。
「エルネスト、急に娘を連れて来るなどと言うから隠し子かと思って心配したぞ」
両脇に立っている王妃と王弟、王太子夫妻も苦笑いしている。
「何分急いでいたもので、初動の説明が足りずに申しわけございません。経緯はご報告した通り、この度娘として登録をした姪のミリアム改め、ミリィです。アルハイト王国に嫁いだ実妹アグネスの忘れ形見です」
そう紹介されたミリアムは、改めてカーテシーを執った。
「ミリィ・ポラーニです。お目に掛かれて光栄でございます」
その様子を感慨深げに優しく見つめていた王妃が、壇上から声を掛けた。
「アグネスに瓜二つだわ。大変な目に遭ったわね。でもこの国に来たからには安心して。貴方を歓迎するわ」
ありがとうございますと笑顔を向けたミリアムを、王太子妃は親しみを込めて鷹揚に頷き、王弟妃が頬に手を当てて愛し気に見つめて言った。
「本当にアグネスによく似ていること。 ウルリカ様が自慢して回るのが目に浮かぶようだわ。ミリイ様、これからきっと大忙しよ」
ミリアムの挨拶が終ると、早速ですがと前に進み出たエルネストとダンリーは報告を始めた。
「先ずは魔力封じの足輪解除の釈明を。ミリィの足輪は、アグネスが形見として渡したネックレスの力で既に無効化されていました。ダンリーの足輪はミリィ救出の褒章として独断で解除しましたが、今後はミリィの護衛として従うのが条件です。解除した足輪ですが、取締官が持つ足輪に間違いはありませんでした。アルハイト国から許可が下り次第、魅了持ちと疑わしい二人の聴取を行います」
ひじ掛けに肘をついて顎に手を当てて報告を聞いていた国王は、皆に問いかけた。
「思考を奪って貴族を破滅に追いやる程の強力な魅了であれば、今までも同じような報告があってもおかしくないはずだが、どうだ」
それにはダンリーが答えた。
「私とスヴェンがジラード王国で調査した限りでは、そうした不審な事案はありませんでしたが、アルハイト王国で、数年前に高齢の裕福な平民に後妻と養子が入り込んで、すぐに他界した事例があると聞いてアルハイト国に渡り、調べようとした矢先の事でした」
王弟と王太子が頷いて続けた。
「それで味を占めて更に上を目指したと考えられなくはないな」
「そうだとしても、元々の魅了はそう強くなかったと聞いている。別人でないなら、魅了魔法とは自らの意思で強くできる物なのか?」
ウィレムが思案顔で可能性を挙げた。
「魔力自体を増やす事は出来ないのですが、例えば近くに比較的強い魔力を持つ者や魔法使いが居た場合、その人物の影響で底上げされる可能性は考えられます」
皆の視線がミリアムに向けられ、エルネストがミリアムにウィレムの仮説を踏まえて当時の状況を聞いた。
「ミリィはあの二人の為に何かをしてやりたいと、魔法は使わなくてもそう言った感情を向けたことはあるかい?」
そう聞かれたミリアムは、力なく首を横に振った。
「あの二人は家に来た当日から私に対する敵意を隠しませんでしたし、父は出迎えた私を邪険に遠ざけて、その日以来、私の姿を見ることさえも嫌悪する状態でしたから…」
ミリアムの語った辛い境遇に、皆からため息が漏れるのが聞こえた。
眉根を思い切り寄せて凝視していたウィレムがミリアムに問いかけた。
「ミリィ嬢には、その女たちの側に居て、同情などを寄せていた、若しくは魔力を持った人間に思い当たる人物はいないだろうか?」
魔力と聞いて、ミリアムはハッとした。
「それが父自身であれば、作用はより強力になりますよね?」
皆の視線が一気にミリアムに集まった。
「ヘンドリックス殿は魔力持ちなのか?」
国王の問いに、ミリアムは答えた。
「いいえ、父に魔力はございません。ただ、私が初めて魔法を顕現した日、私の魔法とは思わず母が解除をしたのですが解除は出来ずに払う形になった様で、母の魔力が絡んだ形で父に掛かってしまったそうです。私が掛けた魔法が何の魔法か分からず解除できないまま、数年を経過して呪いになってしまった為に、私が解呪の魔法を習得するまでその魔力を纏ったままだという事を、ちょうど父があの二人を連れ帰る直前に母の残した手紙で知りました。帰ってきたら解呪しようと習得していたのですが、顔を合わせる機会もほとんどなくなってしまいましたので…それが、まさかこんな事になるなんて…」
そう言って肩を落として俯いたミリアムを、王妃が覗き込んで言った。
「貴方のせいだなんて自分を責めてはだめよ? 貴方は色々な事を出来る限り努力したわ。責任は一人だけで背負うものではないのよ」
そう言って、顔を上げたミリアムにふわりと優しい笑顔を向けてくれた。
でも、やはり無理にでも解呪をしておけば、領民たちが苦しむことはなかったという思いは拭いきれない。
「で、どんな呪いなんだ? あのアグネスがそこまで真剣に解呪に取り組んでいない所を見ると、深刻なものではないんだろう?」
国王陛下が肩ひじを付いてミリアムを覗き込むように聞いた。
「それは…はい、命に係わる事ではありません…あの、少し髪の毛が少なくなるというか、薄くなるというか…」
言い難い、しかし、お母様が呪いを放置していたなど、名誉に関わる。そう思って言ってしまった。周りを見回すと、皆がぽかんとミリアムを見ている。
次第に皆の口元が緩み始め、王妃と王太子妃と王弟妃は扇子で顔を隠しているし、王太子は後ろを向いている。エルネストとウィレムとダンリーは、ミリアムの横に並んでいるから様子は見えないが、きっと正面の皆様と同じ様な顔なのだろう。
王弟と顔を見合わせてくつくつと笑ながら国王がまたミリアムに尋ねた。
「どうやったら薄毛の呪いが出来上がるんだ? 解呪に当たって色々調べたんだろう? 今後の参考に聞かせてくれ。意外と使えるかもしれん」
しかもハート形の薄毛だなんて言うと皆様を余計苦しませることになりそうなのでそれは伏せておくとして、問いに答えた。
「はい、正直な所、解呪は事象そのもの、つまり髪の毛を増やせば良いだけだと簡単に考えていましたが、今のお話を伺えば、、恐らくそれでは解呪出来ないと思います。先ず経緯をお話しますと、私が彫刻の頭に髪を生やしてしまったのが事の発端です。それを見た母が、自分の無意識の魔法だと思い、髪の毛が生えた彫刻の前で手を一振りした時に、払われた魔力が父に降りかかったのを見て慌てて解除を重ねた結果、魔法と魔力が絡み合って発動してしまっているようです」
ウィレムが真剣な顔で空中に文字を浮かび上がらせ、魔法の顕現と順番、考えられる魔法のタイプを書き出している。
「魔法が顕現した時の私は、(一人だけ髪が無くて可哀想だから、髪が生えればいいのに)と思って見つめていました。それから、母があの…髪の毛をなくすと言う言葉を口にしていて、これが絡み合って『髪の毛が無くなるという事象に対して、可哀想だからそうならないようにする事象』が拮抗しているのだと思います。つまり、『同情を向けた相手の状況に合わせて、可哀想な状態にならないように行動する』状態を解呪しなければいけないのではと考えています」
書き出した内容を眺めながら、ウィレムが口を開いた。
「そうであれば、お父上は魅了魔法をきっかけに自己暗示にかかっている状態とも言える。お父上の同情心が周囲にも魔法として影響を及ぼしていると考えれば、女二人の魅了が弱いままでも作用が強まった状況は頷ける」
国王は手を組んで真剣な顔に戻っており、顎に手を当てて聞いていた王弟が、顔を見合わせて議論に集中していたウィレムとミリアムに問いかけた。
「周りが見えなくなるほどの自己暗示という事は、かなり精神作用が進んでいるという事ではないのか?」
ウィレムは王弟に顔を向け、頷いた。
「はい、出来るだけ早くその状態から離した方が良いでしょう。女二人から引き離した時や解呪をした後は一時期強い混乱があると思いますので、回復までは慎重に経過観察が必要だと思います」
解呪に付いての疑問点をミリアムがウィレムに提示した。
「二つの魔法が絡み合っている場合、解呪する順番はどうでしょうか?母の残してくれた魔法書には、魔法の強さに大きな差がある場合、掛けた順番ではなく大きな魔法から解呪するとありました。当時幼い子供だった私の魔法より母の魔法の方が大きいと考えるのが自然ではないでしょうか」
腕を組んでミリアムを凝視していたウィレムは、顎に手を当てて答えた。
「いいや、その時のお母上の魔法は練り上げた物ではなく咄嗟に掛けられた物だから、恐らく大小の差はないだろう。先ずミリィ嬢の魔法の解呪を行った後、お母上の魔法を解く方法で良いのではないかな」
それまで真剣に二人の話を聞いていた壇上で、王妃の側に立っている王太子妃と王弟妃がひそひそと囁き合っている。
「ウィレム卿があんなにしゃべっているのを初めて見ましたわ」
「それよりも、ミリィ嬢がウィレム卿と魔法の議論が出来ているのが驚きだわ」
「そうですね、あの洞察力と独学でここまで学んでいる努力家ならこれからが楽しみです」
目を細めて二人を眺めていた王妃もそれに応じた。
「この様子なら魔法士の認定もすぐに出来そうね、王家を支える魔法士に女性が居るのは国にとってもとても頼もしい事だわ」
愛を選んで国を出た旧友の面影を濃く受け継いだミリアムを、王妃と王弟妃は感慨深く眺めていた。
「王妃様、これはずいぶん楽しい展開になりそうだと思われませんか?」
王弟妃に問われた王妃は、扇子で隠した口元を上品に綻ばせて側の二人に言った。
「うふふ、ずいぶん気も合ってるようだし、みんなでお膳立てしちゃう?」
目配せし合った三人は、生暖かい目をウィレムとミリアムに向けていた。
国王の側に居た王太子は、ウィレムとミリアムの議論を聞いて国王に囁いた。
「父上、アルハイト国王からの魅了魔法についての報告はいかがでしょうか」
「先ほど届いた報告では、現在強力な魅了は見られないとの事だったが、今の話から三人が顔を合わせないように緊急報告が必要だ」
その言葉を聞いていた王妃の肩から、あの赤い小鳥が光の粒になって姿を消した。
赤い小鳥が消えたのを確認した国王が、好奇心を抑えきれない顔でエルネストに聞いた。
「ヘンドリックスの解呪についてだが、ミリィの魔法の解呪は急務だが、アグネスの魔法の解呪は必要か?」
その問いに、エルネストが淡々とした表情で返事をした。
「不要でしょう。今でもどうせ薄毛なら、いっそなくなった方が潔い」
王太子がウィレムと顔を見合わせて神妙な顔を王弟に向けた。視線を受けて苦笑いしながら王弟が言った。
「まあ、その議論はおいおいという事で」
その言葉を引き取って、王妃が口を開いた。
「ミリィ嬢はデビュタントがまだなのでしょう? 今年の合同デビュタントボールは終わってしまったから、三か月後の王宮の夜会をポラーニ侯爵令嬢のデビュタントとして正式にお披露目するのはどうかしら?」
皆がにこやかに頷き、エルネストは王妃に礼を述べた。
「王妃様のお心遣い、心より感謝致します」
「今年デビューする事が決まっている令嬢の中ではミリイ嬢が最高位よ。魔法使いの存在を知らされている貴族家には、ミリィ嬢が魔法使いだというお披露目にもなる良い機会だわ。ウルリカ様とも相談しなくてはいけないから、改めて後日ミリィ嬢と一緒にお茶会の招待状を送るわね」
そう言う王妃に優雅に微笑みかけられ、ミリアムは冷や汗が背中を伝うのが分かった。王宮主催の夜会でデビューする事になるなど、アルハイト国で一介の伯爵令嬢だった身には恐れ多すぎて眩暈すらする。必死の笑顔でお礼を言ったミリアムに、王弟妃が優しく付け加えた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫。今ここでの所作やマナーで問題ないわ。それに、隣接するリンドホルム公国の公女であるウルリカ様のご息女となれば、王家として特別扱いは当然の流れなの。お茶会で詳しく相談しましょうね」
王太子妃にも優しく微笑みかけられ、ミリアムは重ねてお礼を述べて一行は謁見室を後にした。
扉が閉まった後、謁見室には国王の呆れたような声が響いた。
「ところで、ウィレムは目が乾かないのか?」