【書籍化】死んだことにして逃げませんか? 私、ちょっとした魔法が使えるんです。
繋ぎ合わせていく家族の肖像
ウルスラとヨアンナが転移して移動した後、魅了が解けたヴィエニャフスキ侯爵は、エルネストの治癒魔法により、軽いめまいの後、無事に正気を取り戻したらしい。
付き添ったエルネストから魅了魔法により精神を操られていたと聞き、朧気ながら覚えていた自分の行動で、最愛の娘と孫を悲しませたと泣いて反省していたそうだ。魅了に晒されていた期間が比較的短かったとはいえ、少し様子を見るためにエルネストが定期的に通う事になったと聞いた。
一方、ヘンドリックスは、事前に少しずつ解呪をしていたのだが、やはり強い自己暗示が長く続いていたせいで、混乱が激しく取り乱したそうだ。
落ち着かせるためと記憶の整理の為、エルネストの指導の下、ミリアムは催眠魔法を施した。
混乱が収まるまで、何度か目覚めさせて様子を見ながら治療を勧める事になった。
ウルスラとヨアンナは、地下牢に収監されて以来、二人で常に罵り合い、看守に向かって媚を売ったかと思えば、思い通りにならないと分かると口汚く罵り続けているという。ウィレムに伴われて一度地下牢に足を運んだミリアムだったが、周りも見ずにお互い罵り合い、取っ組み合っている二人を呆然と見つめるしか出来なかった。何を言ってももうあの二人にはきっと人の言葉は通じない。
ミリアムは言葉を掛けるのを諦めて、地下牢を後にしたのだった。
夜会の後から治療を続けつつ、一週間ほどで取り乱す事がなくなった事を確認したエルネストは催眠魔法を解いた。
目覚めたヘンドリックスは、ぼやける視線を彷徨わせていた。
ここはどこだろう。
今まで自分が何をしていたのかはっきり思い出せない。ただ、
霞が掛かったように朧気に覚えているのは、最愛の妻と娘に囲まれて幸福感に包まれていた事だが、意識が徐々に浮上してくるにつれ、ふと疑問が湧いた。
(最愛の妻は八年前に他界していたのではなかったか? では、今まで側に居たのは誰だ? 妻亡きあと手塩にかけて育てて来た、愛してやまない娘はもうすぐデビュタントだ。織物工場で織工たちが見せてくれた、デビュタントの為に特別に織られたドレス用のシルクの生地は本当に素晴らしかった。…しかし、あの織物工場は…私が閉鎖した! 生地を売り払って金を送れと私が言った!)
「アグネス! ミリアム!」
一気に意識が引き戻り、目を見開いて体を起こし、最愛の二人の名を叫んだヘンドリックスが囲を見渡すと、ヘンドリックスが目覚めたと知らせを受けたエルネストの姿が目に入って驚愕した。何故ポラーニ侯爵がここにいる?ここは一体何処だ? 私は今まで何をしていた?
「気付いたか?ここはジラード王国のポラーニ邸だ。自分が今まで何をしていたか思い出せるか?」
アグネスとの結婚の承諾を貰った日以来、十七年ぶりの再会となる義兄の言葉に、今までの靄の中を進むような状態から、徐々にクリアになって行く記憶に意識を集中させていく。
ウルスラとヨアンナを邸に招き入れてからミリアムを地下牢に収監するまでの出来事、そして伯爵家の没落により労役場へ送られる途中で逃げ出してから今までの記憶が、まるで洪水のように目の前に押し寄せて来た。
「私は、私は何と言う事を…。ミリアムは!? ミリアムが地下牢に居るのです!」
ヘンドリックスが思うように動かない体を起こして伸ばした手に、エルネストが事件の詳細が掲載された新聞を手渡した。
【ファンベルス伯爵令嬢、無念の最期】
大きな見出しとミリアムの肖像画が掲げられ、事件の顛末が詳細に記されている。
[実の父と義母と義姉に苦しめられ、荒廃した領地の民を救うべく奔走した若きご令嬢は、志半ばで悪党どもの凶刃に倒れた。
悲劇の地となった領は、令嬢の幼馴染であるファン=ルーベン新侯爵が彼女の意思を継ぎ、立派に復興してみせると涙ながらに王の前で誓い、御前は貴族たちの温かい拍手に包まれた。
必要な家具まで売り払い、使用人に全てに手厚い退職手当を出した女神のような令嬢を失ったことが悔やまれてならない。
私兵ながら最後までご令嬢に従い、身を挺してその尊厳を守り抜いた護衛たちには賞賛の声が後を絶たない。ご令嬢と護衛たちへ、本誌は心から冥福の為の祈りを捧げよう]
そう締めくくられた記事の横には、領民たちや、かつて王都の邸に仕えていた使用人たちが霊廟の前で泣き崩れている写真がいくつも掲載されている。どの写真にも霊廟の周辺はたくさんの献花で埋め尽くされている。
(ミリアムが…亡くなった…)
記事の内容を理解するにつれて流れる涙をぬぐう事もせず、暫く呆然と紙面に目を落としていたヘンドリックスは、やがて新聞を掻き抱くように蹲って慟哭した。
その部屋の中の様子を廊下に立って見ていたミリアムの手を、ウィレムがぎゅっと握ってくれた。包み込むように握った手から伝わってくるぬくもりに、縮こまっていたミリアムの心がほっとほぐれるのが分かった。
「生きている事を伝えるかどうかはミリィに任せるよ」
ヘンドリックスが目覚めたと聞かされて部屋に向かう途中、エルネストに言われた言葉が脳裏を過ぎる。
激情が落ち着き、涙を拭いたヘンドリックスは自分を見つめるミリアムの視線に気づいた。驚愕が徐々に喜びに変わっていくようすを見つめていたミリアムは、部屋に入るとウルリカ仕込みのジラード国式に優雅なカーテシーを執って言った。
「お初にお目にかかります、叔父様。わたくしはポラーニ侯爵家が長女、ミリィと申します。ミリアム様のご不幸には、心よりお悔やみ申し上げます」
ヘンドリックスの顔に浮かびかけた歓喜が一瞬で絶望に変わったその様子に、ミリアムの心はちくりと痛んだ。
しかし、魔法封じの足輪を付けられたあの日、ミリアムの心の中で砕け散った家族の肖像はまだ修復できていない。その欠片を拾い集め、これから一つ一つ繋げていくのだ。割れてしまった欠片は、全て繋ぎ終わってもきっと完全に元通りにはならない。それでもまた『お父様』と呼ぶことが出来るかどうか、ミリアムにはまだわからなかった。
エルネストは、没落したファンベルス家の霊廟に置いたままでは供養もままならないと、アグネスとミリアムの棺をポラーニ家の霊廟に移動する事をアルハイト国に申し入れた。
許可はすんなりと下り、二人の棺が国境に到着したと知らせを受けて迎えに出向いたミリアムは、エルネストとウィレムが見守る中、転移魔法を発動させて、見事ポラーニ家の霊廟に二人の棺とエルネストとウィレムと共に移動し、二人の棺を安置してみせた。
三つの課題の内、二つ目を見事クリアしたミリアムは、これからは最期の課題、治癒魔法の訓練に専念する事になった。
その頃、体が癒えるまでポラーニ邸で療養することになったヘンドリックスは、ミリアムが治癒魔法の勉強を始めた事を知ると、練習台になる事を申し出た。人体実験の様で気が引けるというミリアムに、ヘンドリックスは言った。
「この年ですから、きっと他にもいろいろな所が悪くなっていると思うのです。お嬢様のお役に立つ事が出来て私は健康になる。私にはメリットしかありません」
そう言って笑っている。
それを聞いたエルネストは、体が癒えた後に行く当てのないヘンドリックスに、ミリアムの練習台の継続を提案した。大喜びで快諾したヘンドリックスには、その見返りにポラーニ家の離れの一室が提供される事になったのだ。
「私の最愛のアグネスとミリアムが眠る近くで、僭越ながら、娘に瓜二つのお嬢様のお役に立てるとは、私にはこれ以上の慈悲はありません」
折に触れ、ヘンドリックスはそう幸せそうに言う。
マーシュとニルスと仲良くなったヘンドリックスは、マーシュのお花畑と周辺の花壇の管理も手伝っているそうだ。二人とニルスは、毎日仲良くしゃべるお花の世間話を聞いている。
ポラーニ家の霊廟は、本邸の敷地の中にある大きな湖の畔に建っている。
ヘンドリックスの住む離れからは往復一時間余り、彼は毎朝手ずから育てた色とりどりの花束を抱え、祈りを捧げるために通う事を日課にしている。
そんなヘンドリックスを目にする度、ミリアムの心の肖像の欠片が一つずつ繋がって行く。
付き添ったエルネストから魅了魔法により精神を操られていたと聞き、朧気ながら覚えていた自分の行動で、最愛の娘と孫を悲しませたと泣いて反省していたそうだ。魅了に晒されていた期間が比較的短かったとはいえ、少し様子を見るためにエルネストが定期的に通う事になったと聞いた。
一方、ヘンドリックスは、事前に少しずつ解呪をしていたのだが、やはり強い自己暗示が長く続いていたせいで、混乱が激しく取り乱したそうだ。
落ち着かせるためと記憶の整理の為、エルネストの指導の下、ミリアムは催眠魔法を施した。
混乱が収まるまで、何度か目覚めさせて様子を見ながら治療を勧める事になった。
ウルスラとヨアンナは、地下牢に収監されて以来、二人で常に罵り合い、看守に向かって媚を売ったかと思えば、思い通りにならないと分かると口汚く罵り続けているという。ウィレムに伴われて一度地下牢に足を運んだミリアムだったが、周りも見ずにお互い罵り合い、取っ組み合っている二人を呆然と見つめるしか出来なかった。何を言ってももうあの二人にはきっと人の言葉は通じない。
ミリアムは言葉を掛けるのを諦めて、地下牢を後にしたのだった。
夜会の後から治療を続けつつ、一週間ほどで取り乱す事がなくなった事を確認したエルネストは催眠魔法を解いた。
目覚めたヘンドリックスは、ぼやける視線を彷徨わせていた。
ここはどこだろう。
今まで自分が何をしていたのかはっきり思い出せない。ただ、
霞が掛かったように朧気に覚えているのは、最愛の妻と娘に囲まれて幸福感に包まれていた事だが、意識が徐々に浮上してくるにつれ、ふと疑問が湧いた。
(最愛の妻は八年前に他界していたのではなかったか? では、今まで側に居たのは誰だ? 妻亡きあと手塩にかけて育てて来た、愛してやまない娘はもうすぐデビュタントだ。織物工場で織工たちが見せてくれた、デビュタントの為に特別に織られたドレス用のシルクの生地は本当に素晴らしかった。…しかし、あの織物工場は…私が閉鎖した! 生地を売り払って金を送れと私が言った!)
「アグネス! ミリアム!」
一気に意識が引き戻り、目を見開いて体を起こし、最愛の二人の名を叫んだヘンドリックスが囲を見渡すと、ヘンドリックスが目覚めたと知らせを受けたエルネストの姿が目に入って驚愕した。何故ポラーニ侯爵がここにいる?ここは一体何処だ? 私は今まで何をしていた?
「気付いたか?ここはジラード王国のポラーニ邸だ。自分が今まで何をしていたか思い出せるか?」
アグネスとの結婚の承諾を貰った日以来、十七年ぶりの再会となる義兄の言葉に、今までの靄の中を進むような状態から、徐々にクリアになって行く記憶に意識を集中させていく。
ウルスラとヨアンナを邸に招き入れてからミリアムを地下牢に収監するまでの出来事、そして伯爵家の没落により労役場へ送られる途中で逃げ出してから今までの記憶が、まるで洪水のように目の前に押し寄せて来た。
「私は、私は何と言う事を…。ミリアムは!? ミリアムが地下牢に居るのです!」
ヘンドリックスが思うように動かない体を起こして伸ばした手に、エルネストが事件の詳細が掲載された新聞を手渡した。
【ファンベルス伯爵令嬢、無念の最期】
大きな見出しとミリアムの肖像画が掲げられ、事件の顛末が詳細に記されている。
[実の父と義母と義姉に苦しめられ、荒廃した領地の民を救うべく奔走した若きご令嬢は、志半ばで悪党どもの凶刃に倒れた。
悲劇の地となった領は、令嬢の幼馴染であるファン=ルーベン新侯爵が彼女の意思を継ぎ、立派に復興してみせると涙ながらに王の前で誓い、御前は貴族たちの温かい拍手に包まれた。
必要な家具まで売り払い、使用人に全てに手厚い退職手当を出した女神のような令嬢を失ったことが悔やまれてならない。
私兵ながら最後までご令嬢に従い、身を挺してその尊厳を守り抜いた護衛たちには賞賛の声が後を絶たない。ご令嬢と護衛たちへ、本誌は心から冥福の為の祈りを捧げよう]
そう締めくくられた記事の横には、領民たちや、かつて王都の邸に仕えていた使用人たちが霊廟の前で泣き崩れている写真がいくつも掲載されている。どの写真にも霊廟の周辺はたくさんの献花で埋め尽くされている。
(ミリアムが…亡くなった…)
記事の内容を理解するにつれて流れる涙をぬぐう事もせず、暫く呆然と紙面に目を落としていたヘンドリックスは、やがて新聞を掻き抱くように蹲って慟哭した。
その部屋の中の様子を廊下に立って見ていたミリアムの手を、ウィレムがぎゅっと握ってくれた。包み込むように握った手から伝わってくるぬくもりに、縮こまっていたミリアムの心がほっとほぐれるのが分かった。
「生きている事を伝えるかどうかはミリィに任せるよ」
ヘンドリックスが目覚めたと聞かされて部屋に向かう途中、エルネストに言われた言葉が脳裏を過ぎる。
激情が落ち着き、涙を拭いたヘンドリックスは自分を見つめるミリアムの視線に気づいた。驚愕が徐々に喜びに変わっていくようすを見つめていたミリアムは、部屋に入るとウルリカ仕込みのジラード国式に優雅なカーテシーを執って言った。
「お初にお目にかかります、叔父様。わたくしはポラーニ侯爵家が長女、ミリィと申します。ミリアム様のご不幸には、心よりお悔やみ申し上げます」
ヘンドリックスの顔に浮かびかけた歓喜が一瞬で絶望に変わったその様子に、ミリアムの心はちくりと痛んだ。
しかし、魔法封じの足輪を付けられたあの日、ミリアムの心の中で砕け散った家族の肖像はまだ修復できていない。その欠片を拾い集め、これから一つ一つ繋げていくのだ。割れてしまった欠片は、全て繋ぎ終わってもきっと完全に元通りにはならない。それでもまた『お父様』と呼ぶことが出来るかどうか、ミリアムにはまだわからなかった。
エルネストは、没落したファンベルス家の霊廟に置いたままでは供養もままならないと、アグネスとミリアムの棺をポラーニ家の霊廟に移動する事をアルハイト国に申し入れた。
許可はすんなりと下り、二人の棺が国境に到着したと知らせを受けて迎えに出向いたミリアムは、エルネストとウィレムが見守る中、転移魔法を発動させて、見事ポラーニ家の霊廟に二人の棺とエルネストとウィレムと共に移動し、二人の棺を安置してみせた。
三つの課題の内、二つ目を見事クリアしたミリアムは、これからは最期の課題、治癒魔法の訓練に専念する事になった。
その頃、体が癒えるまでポラーニ邸で療養することになったヘンドリックスは、ミリアムが治癒魔法の勉強を始めた事を知ると、練習台になる事を申し出た。人体実験の様で気が引けるというミリアムに、ヘンドリックスは言った。
「この年ですから、きっと他にもいろいろな所が悪くなっていると思うのです。お嬢様のお役に立つ事が出来て私は健康になる。私にはメリットしかありません」
そう言って笑っている。
それを聞いたエルネストは、体が癒えた後に行く当てのないヘンドリックスに、ミリアムの練習台の継続を提案した。大喜びで快諾したヘンドリックスには、その見返りにポラーニ家の離れの一室が提供される事になったのだ。
「私の最愛のアグネスとミリアムが眠る近くで、僭越ながら、娘に瓜二つのお嬢様のお役に立てるとは、私にはこれ以上の慈悲はありません」
折に触れ、ヘンドリックスはそう幸せそうに言う。
マーシュとニルスと仲良くなったヘンドリックスは、マーシュのお花畑と周辺の花壇の管理も手伝っているそうだ。二人とニルスは、毎日仲良くしゃべるお花の世間話を聞いている。
ポラーニ家の霊廟は、本邸の敷地の中にある大きな湖の畔に建っている。
ヘンドリックスの住む離れからは往復一時間余り、彼は毎朝手ずから育てた色とりどりの花束を抱え、祈りを捧げるために通う事を日課にしている。
そんなヘンドリックスを目にする度、ミリアムの心の肖像の欠片が一つずつ繋がって行く。