【書籍化】死んだことにして逃げませんか? 私、ちょっとした魔法が使えるんです。
お母様の魔法書
伯爵領を預かる父のヘンドリックスは、領地での仕事と視察の為に王都を離れる時期がある。
ミリアムが幼い頃は、出来るだけ滞在日数を減らして赴く回数を増やしていたけれど、ここ数年は二、三カ月ほどの滞在を年二回、春と秋に行っている。秋の視察は収穫祭の期間を含むため、毎年ミリアムも同行して領民と交流を図っているのだ。
父ヘンドリックスが今年の春の視察に出発した後、ミリアムは図書室にある母アグネスの本棚の一番上の本を、精一杯背伸びをして取ろうとしてバランスを崩し、周辺の本が数冊一緒に落ちてしまった。初めからそうすればよかったと反省して、踏み台を使って本を戻そうと棚を覗き込んだ時、一番上の棚の本の奥に隠すように置かれている分厚い本を見つけた。取り出してみると固い表装には何も書かれておらず、表紙をめくるとそこにタイトルらしきものがジラード語で浮かび上がった。
『grimoire』
見覚えのない綴りに興味をそそられたミリアムは、近くにあったジラード語とアルハイト語の辞書を取り出して読み始めた。
タイトルを紐解いて、この本のタイトルは『グリモワール』、アルハイト語に訳すると(魔法書)であると分かった時、ミリアムの心臓が跳ね上がった。
ページをめくる度に文字がじわりと浮かび上がる。そして本の余白には母の字でびっしりと書き込まれた字も一緒に浮かび上がってくるのだ。そこに書かれた見覚えも聞き覚えもない言葉の数々に、両国語の辞書と格闘しながら、ミリアムは時間を忘れて読み進めて行った。
ポーリーや他の使用人たちの心配をよそに、一通り読み終えたミリアムにはっきりわかった事は、母のアグネスが素晴らしい魔法使いだったという事だった。
ミリアムが知る母は、ジラード王国のポラーニ侯爵家の令嬢だった事と、父と大恋愛の末に家族の反対を押し切ってこの国に嫁いできたという事だけだった。母の生家と交流がないのは、単に国が違うからという事だけではなく、魔法使いとして生きる道を絶ったことで、交流を持てなくなったのかもしれない。
魔法よりも愛を選んだ事に後悔はなかったのだろう。私が知るお母様は、いつも本当に幸せそうだったから。
しかし、魔法書の書き込みを見れば、母が魔法の習得にどれだけの時間と情熱を向けていたかが痛い程に伝わってくる。魔法を使わない人生を選んでもなお、この本を持っていたのは、きっと魔法使いであることに誇りを持っていたからだと思う。
そして、ミリアムが魔法使いだと分かると、基本魔法だけの手解きをして、何も告げずにこの本を処分せずにこうしていつか見つかるかもしれない場所に置いたのは、魔法使いとして生きるかどうか、人生の選択をミリアム自身に委ねてくれたのだ。
「私、お母様と同じ魔法使いであることが誇らしいわ」
そう呟きながら最期のページをめくると、他のページと同じ様に母の字が浮かび上がって来た。
(最愛の娘、ミリアムへ
この本を手に取って最後まで読み進めたという事は、魔法に興味があるという事でしょう。ただ、この国で生きていくためには、魔法は慎重に使う事を約束してください。それは貴方の身を護る事でもあるのです。
この本を見つけた頃の貴方はきっと素敵な女性に育っている事でしょうね。それが見られない事が心残りだけれど、私はいつも天国から貴方を見守っています。
愛をこめて、母より
追伸、ニルスに守護の魔法をかけました。二人の魔力が混ざっているから、私が亡くなった後も、ミリアムの生ある限り守ってくれるわ)
読み終えると同時に、浮かび上がった懐かしい母の字は吸い込まれるように消え、また元の何もない白いページに戻ってしまった。
そして、裏表紙の隙間から、手紙がひらりと落ちて来た。
そこには、昔、ミリアムが無意識に使った魔法と母が解除に使った魔法が複雑に混ざって薄毛になる魔法が父に掛かっていると書かれていた。魔法は掛けた本人しか解除が出来ず、掛けた魔法がどんなものか分からない状態では解除が難しい事と、時間が経って呪いになってしまっている事が掛かれていた。呪いを解く方法は、ここではミリアムが解呪の魔法を身に付けるしかないのだという。
父のうっすらハート形の髪形はそう言う事だったのかと、思わずくすりと笑ってしまった。それを聞いたポーリーが、あごに指を添えて
『旦那様が呪物…』
と小さく呟いたのは聞かなかった事にしておこう。
それなら、父が戻ったら一番にその解呪をしてあげなくちゃと、ミリアムは俄然やる気を出したのだった。
母が亡くなった後、ミリアムの専属侍女になったポーリーは、母とばあやが認めた信用のおける使用人だ。母が魔法使いだと知っている使用人は、ポーリーの他は家令だけで、ミリアムが魔法使いであることを知っているのは、唯一このポーリーだけだ。
ミリアムは、ポーリーに本のことを打ち明けて協力してもらい、魔法書の中身を実践して身に付けて行くことにした。そして守護の魔法をかけたという『ニルス』に何か思い当たる事はないかと尋ねると、難しい顔で考え込んでいる。
それよりも、とにかく魔法の特訓だ。母の遺言通り魔法は慎重に使わなくてはならないが、ここに書かれてれている事が実践できればとても役に立つし、父と、やがてミリアムが引き継ぐ事になる領民たちの為にもなるはずだ。
ミリアムは、父が戻って来た時に驚かせようと思い、手紙にもこの事は書かずに特訓することにした。帰って来て魔法を見た父の驚く顔を想像するとわくわくが止まらない。
こうしてミリアムが魔法書と辞書とにらめっこする日々が始まったのだった。
ヘンドリックスの今回の視察は二か月半の予定で、ファンベルス家ではタウンハウスに戻る日程を知らせる手紙を受け取っていた。しかし、その日に帰宅したのは従者一人だった。
従者によれば、父は途中の宿場町で滞在中なのだという。
体調が悪いのかと心配して尋ねると、そうではないと聞いて皆が安堵の声が広がった。
ミリアムは渡された手紙を皆の前で読み上げた。
その宿場では、野党に襲われて命からがら逃げていた母娘が保護されたという大きな騒ぎがあったそうだ。宿場町の自警団に保護された母子はジラード国の元貴族だと言い、アルハイト語があまり話せなかった。困った自警団の団長が、偶々その地に滞在していた貴族たちに問い合わせた結果、ジラード国に留学経験のある父に白羽の矢が立ったというのだ。ジラード国に問い合わせて迎えの手配や通訳をする為、もう数日滞在する事になる。皆が心配するだろうから、伝言の為に従者を一人先に帰らせるという内容だった。
事情が分かれば安心だ。皆がそう思い、ヘンドリックスの帰宅を待っていた。
所が、数日後に戻って来たヘンドリックスの様子に邸中が驚愕する事となった。
ミリアムが幼い頃は、出来るだけ滞在日数を減らして赴く回数を増やしていたけれど、ここ数年は二、三カ月ほどの滞在を年二回、春と秋に行っている。秋の視察は収穫祭の期間を含むため、毎年ミリアムも同行して領民と交流を図っているのだ。
父ヘンドリックスが今年の春の視察に出発した後、ミリアムは図書室にある母アグネスの本棚の一番上の本を、精一杯背伸びをして取ろうとしてバランスを崩し、周辺の本が数冊一緒に落ちてしまった。初めからそうすればよかったと反省して、踏み台を使って本を戻そうと棚を覗き込んだ時、一番上の棚の本の奥に隠すように置かれている分厚い本を見つけた。取り出してみると固い表装には何も書かれておらず、表紙をめくるとそこにタイトルらしきものがジラード語で浮かび上がった。
『grimoire』
見覚えのない綴りに興味をそそられたミリアムは、近くにあったジラード語とアルハイト語の辞書を取り出して読み始めた。
タイトルを紐解いて、この本のタイトルは『グリモワール』、アルハイト語に訳すると(魔法書)であると分かった時、ミリアムの心臓が跳ね上がった。
ページをめくる度に文字がじわりと浮かび上がる。そして本の余白には母の字でびっしりと書き込まれた字も一緒に浮かび上がってくるのだ。そこに書かれた見覚えも聞き覚えもない言葉の数々に、両国語の辞書と格闘しながら、ミリアムは時間を忘れて読み進めて行った。
ポーリーや他の使用人たちの心配をよそに、一通り読み終えたミリアムにはっきりわかった事は、母のアグネスが素晴らしい魔法使いだったという事だった。
ミリアムが知る母は、ジラード王国のポラーニ侯爵家の令嬢だった事と、父と大恋愛の末に家族の反対を押し切ってこの国に嫁いできたという事だけだった。母の生家と交流がないのは、単に国が違うからという事だけではなく、魔法使いとして生きる道を絶ったことで、交流を持てなくなったのかもしれない。
魔法よりも愛を選んだ事に後悔はなかったのだろう。私が知るお母様は、いつも本当に幸せそうだったから。
しかし、魔法書の書き込みを見れば、母が魔法の習得にどれだけの時間と情熱を向けていたかが痛い程に伝わってくる。魔法を使わない人生を選んでもなお、この本を持っていたのは、きっと魔法使いであることに誇りを持っていたからだと思う。
そして、ミリアムが魔法使いだと分かると、基本魔法だけの手解きをして、何も告げずにこの本を処分せずにこうしていつか見つかるかもしれない場所に置いたのは、魔法使いとして生きるかどうか、人生の選択をミリアム自身に委ねてくれたのだ。
「私、お母様と同じ魔法使いであることが誇らしいわ」
そう呟きながら最期のページをめくると、他のページと同じ様に母の字が浮かび上がって来た。
(最愛の娘、ミリアムへ
この本を手に取って最後まで読み進めたという事は、魔法に興味があるという事でしょう。ただ、この国で生きていくためには、魔法は慎重に使う事を約束してください。それは貴方の身を護る事でもあるのです。
この本を見つけた頃の貴方はきっと素敵な女性に育っている事でしょうね。それが見られない事が心残りだけれど、私はいつも天国から貴方を見守っています。
愛をこめて、母より
追伸、ニルスに守護の魔法をかけました。二人の魔力が混ざっているから、私が亡くなった後も、ミリアムの生ある限り守ってくれるわ)
読み終えると同時に、浮かび上がった懐かしい母の字は吸い込まれるように消え、また元の何もない白いページに戻ってしまった。
そして、裏表紙の隙間から、手紙がひらりと落ちて来た。
そこには、昔、ミリアムが無意識に使った魔法と母が解除に使った魔法が複雑に混ざって薄毛になる魔法が父に掛かっていると書かれていた。魔法は掛けた本人しか解除が出来ず、掛けた魔法がどんなものか分からない状態では解除が難しい事と、時間が経って呪いになってしまっている事が掛かれていた。呪いを解く方法は、ここではミリアムが解呪の魔法を身に付けるしかないのだという。
父のうっすらハート形の髪形はそう言う事だったのかと、思わずくすりと笑ってしまった。それを聞いたポーリーが、あごに指を添えて
『旦那様が呪物…』
と小さく呟いたのは聞かなかった事にしておこう。
それなら、父が戻ったら一番にその解呪をしてあげなくちゃと、ミリアムは俄然やる気を出したのだった。
母が亡くなった後、ミリアムの専属侍女になったポーリーは、母とばあやが認めた信用のおける使用人だ。母が魔法使いだと知っている使用人は、ポーリーの他は家令だけで、ミリアムが魔法使いであることを知っているのは、唯一このポーリーだけだ。
ミリアムは、ポーリーに本のことを打ち明けて協力してもらい、魔法書の中身を実践して身に付けて行くことにした。そして守護の魔法をかけたという『ニルス』に何か思い当たる事はないかと尋ねると、難しい顔で考え込んでいる。
それよりも、とにかく魔法の特訓だ。母の遺言通り魔法は慎重に使わなくてはならないが、ここに書かれてれている事が実践できればとても役に立つし、父と、やがてミリアムが引き継ぐ事になる領民たちの為にもなるはずだ。
ミリアムは、父が戻って来た時に驚かせようと思い、手紙にもこの事は書かずに特訓することにした。帰って来て魔法を見た父の驚く顔を想像するとわくわくが止まらない。
こうしてミリアムが魔法書と辞書とにらめっこする日々が始まったのだった。
ヘンドリックスの今回の視察は二か月半の予定で、ファンベルス家ではタウンハウスに戻る日程を知らせる手紙を受け取っていた。しかし、その日に帰宅したのは従者一人だった。
従者によれば、父は途中の宿場町で滞在中なのだという。
体調が悪いのかと心配して尋ねると、そうではないと聞いて皆が安堵の声が広がった。
ミリアムは渡された手紙を皆の前で読み上げた。
その宿場では、野党に襲われて命からがら逃げていた母娘が保護されたという大きな騒ぎがあったそうだ。宿場町の自警団に保護された母子はジラード国の元貴族だと言い、アルハイト語があまり話せなかった。困った自警団の団長が、偶々その地に滞在していた貴族たちに問い合わせた結果、ジラード国に留学経験のある父に白羽の矢が立ったというのだ。ジラード国に問い合わせて迎えの手配や通訳をする為、もう数日滞在する事になる。皆が心配するだろうから、伝言の為に従者を一人先に帰らせるという内容だった。
事情が分かれば安心だ。皆がそう思い、ヘンドリックスの帰宅を待っていた。
所が、数日後に戻って来たヘンドリックスの様子に邸中が驚愕する事となった。