【書籍化】死んだことにして逃げませんか? 私、ちょっとした魔法が使えるんです。
悲しい誕生日
ヘンドリックスがまもなく到着するとの先触れに、いつもの通りミリアムが先頭で出迎えたのだが、車寄せに馬車が到着して降り立ったヘンドリックスは、ミリアムに見向きもせず、ウエディングドレスを彷彿とさせる真っ白なドレスを纏った、見ず知らずの女性をエスコートして馬車から降ろすと、そのまま横抱きにして、蕩けるような甘い顔を向けて邸の中へ入って行ってしまった。
その後を、これも見ず知らずの令嬢が当然のような顔でミリアムや使用人たちに見向きもせずに邸に入って行った。ミリアムと使用人たちが慌てて後を追ってホールに到着すると、螺旋階段を上がった踊り場でヘンドリックスは白いドレスの女性の腰を抱き、隣にあの令嬢を隣に立たせて上機嫌で宣言した。
「私とこの美しいウルスラは、先ほど婚姻の届を出して晴れて夫婦になった。これからは、ファンベルス伯爵夫人として皆で支えて欲しい。今日からウルスラがこの屋敷の女主人と心得よ」
ミリアムはもちろん、あっけにとられる一同を意に介さず、ヘンドリックスは続けた。
「そして、この麗しい令嬢はヨアンナだ。今日からファンベルス伯爵令嬢となった。これからは二人がこの屋敷を明るく照らす宝だ」
そう言うと、ヘンドリックスはウルスラと呼ばれた女性とヨアンナと呼ばれた令嬢をエスコートし、邸の奥へ進んで行った。皆が驚きで声も出ない。
ミリアムは急いで父の後を追い、声を掛けた。
「お父様、お帰りなさいませ」
掛けられた言葉に振り返ったヘンドリックスは、振り返って視界に入ったミリアムに、まるで虫を払うように手を振り、あからさまに疎ましそうな声で答えた。
「なんだ、お前か。挨拶などいらないから下がって居ろ」
そう言うと、両側に付き従う二人に優しい顔を向けて歩き出した。
「全く、邪魔なやつだ。あれは相手にしなくて良い。さあ、これから邸を案内するよ」
去り際にこちらをちらりと見やったヨアンナの勝ち誇ったような顔が目に入った。
あまりの事に呆然とその場に足し尽くすミリアムに、侍女のポーリーがそっと手を伸ばし、優しく背中をさすりながら声を掛けて部屋に連れて行ってくれた。
「お嬢様、一度お部屋に戻りましょう。落ち着かれるようにはちみつ入りのミルクティーを入れましょうね。ばあやさんのミルクティーですよ」
その日はもう何も考えられず部屋に居ても落ち着く事は出来なかった。夕食の時間に暗い気持ちで食堂に入ると、父とあの二人は外食に出かけたとの事で、ミリアムは一人で食事をとり、早い時間に眠りに付いた。
次の日はミリアムの十五歳の誕生日だった。
朝食用の部屋は、テラスから続く庭が見渡せるように大きな窓に面していて、ここは母アグネスのお気に入りの場所だった。朝食の時間になってミリアムが部屋に入ると、母の特等席としていつも開けていた場所に座った父が、ウルスラを膝に乗せて食事をとっていた。その隣のミリアムの場所に、ヨアンナが座って食事をとっていて、ミリアムの朝食はなぜかワゴンに乗せられていた。
「家族水入らずの邪魔をするな。お前はこれから部屋で食事をとるように」
そう言って使用人たちに手を振って、ミリアムと朝食の乗ったワゴンを部屋から追い出すように指示をしたのだ。
クスリと嘲笑う声が聞こえ、蔑むような目を向けるウルスラとヨアンナをミリアムが毅然と見返すと、その様子を見咎めたヘンドリックスがミリアムを睨み付けて声を荒げた。
「なんだその顔は! 私の最愛の二人にそのような反抗的な態度を取る事は許さん。さっさと出て行け」
ミリアムは、父から睨み付けられたことも、このような乱暴な言葉を掛けられたことも初めてで、止められずに浮かんでしまった涙を隠すように顔を背けて朝食の部屋を後にした。
「今日は結婚記念の買い物に出かけよう。ドレスでも宝石でも、何でも好きな物を買うと良い」
そう上機嫌で二人に話している父の声が背中越しに聞こえた。
父は今までミリアムの誕生日を忘れた事などなかった。
優しかった父がまるで別人のようになってしまった事が、ミリアムはただひたすら悲しかった。
その日は何もする気が起こらず、魔法書と、ばあやからもらった片眼鏡を膝に乗せ、時が経つのも忘れてポツンと部屋で座っていると、ポーリーが夕食を知らせにやって来た。彼女は今朝、私が父から部屋で食事をとるように言い渡されたのを知っているのに、そう思って顔を上げると、大丈夫ですよとぱちんとウィンクした。
「旦那様とあの二人は先ほど食事に出かけました。暫く戻る事はないでしょう。それに今日はお嬢様のお誕生日ではありませんか! 私たち使用人は皆、お嬢様の十五歳の門出を祝いたいのです」
その温かい声にまた涙が溢れそうになるのをぐっとこらえ、笑顔でポーリーと食堂へ向かった。テーブルには私の好きな物が沢山並べられ、皆が精いっぱいのお祝いをしてくれた。デザートに出された大好物のチョコレートケーキには、お誕生日おめでとうございますとメッセージが書かれてあり、涙を堪えて食べたそのケーキは、今まで食べたケーキの中で一番おいしくて、ちょっぴりしょっぱかった。
皆の心づくしの誕生日会を終え、部屋に戻ろうとした時に、ちょうど帰って来たらしいヨアンナと鉢合わせをしてしまった。無言で通り過ぎようとすると呼び止められた。
「義姉に挨拶も出来ないなんて、全く礼儀がなってないわね」
そう言って閉じた扇子で肩を叩かれた。流暢なアルハイト語だ、宿場町で言葉が分からないと言ったのは演技だったのだろう。
ミリアムは、肩に乗せられた扇子を払いながら毅然と言った。
『マナー違反は貴方だわ。 私は貴方の紹介を受けていない。養女の貴方からこの家の正当な令嬢の私に許可なく声を掛けるなんて、一体何処の国の作法なのかしら』
ジラード語でそう言い返すと、顔を歪めてミリアムを睨み付けて言った。
「何よそれ、嫌味のつもり? アルハイト語くらい話せるわよ。いいわ、思い知らせてやるから!」
そう言うと、大きな声で悲痛な声を上げた。
「ひどいわ! どうしてそんなことを言うの?」
突然の事に驚いたミリアムが、両手で顔を覆ったヨアンナをあっけにとられて見ていると、近くにいたらしい父がウルスラと共に慌てた様子でやって来た。
手で顔を覆い、すすり泣くヨアンナを見ると顔色を変えてミリアムを睨み付けた。
「私は何もしていません」
そう言ったミリアムに、ヨアンナがくすんくすんと鼻を鳴らしながらか細い声で父に訴えた。
「この人が、この家の令嬢は自分だけだ、お前なんかをこの家の令嬢とは認めないって言ったの」
ウルスラは涙を浮かべて「なんてひどい事を」とヨアンナを抱きかかえ、二人に寄り添った父は激しい口調でミリアムを責めた。
「ヨアンナは私が認めたこの家の正当な令嬢だ!この家に相応しくないのは、哀れな二人にこのような醜い敵意を向けるお前の方だ!」
そう言って睨み付ける父の顔を、ミリアムは悲し気にじっと見つめていた。
ふと、父の表情が緩んだと思った時、ウルスラが父の顔を覗き込むと、また元のきつい眼差しに戻ってしまった。
「もう二度と私たちに近づくな! 不愉快だ!」
そう言い残して三人はその場を去って行った。
もう父には私の言葉は届かない。これからどうしようと思いながら部屋に戻った。
それ以来、不意に出くわしてしまって言い掛かりを付けられない様に、部屋を出る時には、魔法書の中で見つけた、自分の姿を見えにくくする認識阻害魔法を使っている。
二人の言い掛かりなら対応できるが、二人を庇ってミリアムに敵意を向ける父の姿をこれ以上見たくはなかったのだ。
その後を、これも見ず知らずの令嬢が当然のような顔でミリアムや使用人たちに見向きもせずに邸に入って行った。ミリアムと使用人たちが慌てて後を追ってホールに到着すると、螺旋階段を上がった踊り場でヘンドリックスは白いドレスの女性の腰を抱き、隣にあの令嬢を隣に立たせて上機嫌で宣言した。
「私とこの美しいウルスラは、先ほど婚姻の届を出して晴れて夫婦になった。これからは、ファンベルス伯爵夫人として皆で支えて欲しい。今日からウルスラがこの屋敷の女主人と心得よ」
ミリアムはもちろん、あっけにとられる一同を意に介さず、ヘンドリックスは続けた。
「そして、この麗しい令嬢はヨアンナだ。今日からファンベルス伯爵令嬢となった。これからは二人がこの屋敷を明るく照らす宝だ」
そう言うと、ヘンドリックスはウルスラと呼ばれた女性とヨアンナと呼ばれた令嬢をエスコートし、邸の奥へ進んで行った。皆が驚きで声も出ない。
ミリアムは急いで父の後を追い、声を掛けた。
「お父様、お帰りなさいませ」
掛けられた言葉に振り返ったヘンドリックスは、振り返って視界に入ったミリアムに、まるで虫を払うように手を振り、あからさまに疎ましそうな声で答えた。
「なんだ、お前か。挨拶などいらないから下がって居ろ」
そう言うと、両側に付き従う二人に優しい顔を向けて歩き出した。
「全く、邪魔なやつだ。あれは相手にしなくて良い。さあ、これから邸を案内するよ」
去り際にこちらをちらりと見やったヨアンナの勝ち誇ったような顔が目に入った。
あまりの事に呆然とその場に足し尽くすミリアムに、侍女のポーリーがそっと手を伸ばし、優しく背中をさすりながら声を掛けて部屋に連れて行ってくれた。
「お嬢様、一度お部屋に戻りましょう。落ち着かれるようにはちみつ入りのミルクティーを入れましょうね。ばあやさんのミルクティーですよ」
その日はもう何も考えられず部屋に居ても落ち着く事は出来なかった。夕食の時間に暗い気持ちで食堂に入ると、父とあの二人は外食に出かけたとの事で、ミリアムは一人で食事をとり、早い時間に眠りに付いた。
次の日はミリアムの十五歳の誕生日だった。
朝食用の部屋は、テラスから続く庭が見渡せるように大きな窓に面していて、ここは母アグネスのお気に入りの場所だった。朝食の時間になってミリアムが部屋に入ると、母の特等席としていつも開けていた場所に座った父が、ウルスラを膝に乗せて食事をとっていた。その隣のミリアムの場所に、ヨアンナが座って食事をとっていて、ミリアムの朝食はなぜかワゴンに乗せられていた。
「家族水入らずの邪魔をするな。お前はこれから部屋で食事をとるように」
そう言って使用人たちに手を振って、ミリアムと朝食の乗ったワゴンを部屋から追い出すように指示をしたのだ。
クスリと嘲笑う声が聞こえ、蔑むような目を向けるウルスラとヨアンナをミリアムが毅然と見返すと、その様子を見咎めたヘンドリックスがミリアムを睨み付けて声を荒げた。
「なんだその顔は! 私の最愛の二人にそのような反抗的な態度を取る事は許さん。さっさと出て行け」
ミリアムは、父から睨み付けられたことも、このような乱暴な言葉を掛けられたことも初めてで、止められずに浮かんでしまった涙を隠すように顔を背けて朝食の部屋を後にした。
「今日は結婚記念の買い物に出かけよう。ドレスでも宝石でも、何でも好きな物を買うと良い」
そう上機嫌で二人に話している父の声が背中越しに聞こえた。
父は今までミリアムの誕生日を忘れた事などなかった。
優しかった父がまるで別人のようになってしまった事が、ミリアムはただひたすら悲しかった。
その日は何もする気が起こらず、魔法書と、ばあやからもらった片眼鏡を膝に乗せ、時が経つのも忘れてポツンと部屋で座っていると、ポーリーが夕食を知らせにやって来た。彼女は今朝、私が父から部屋で食事をとるように言い渡されたのを知っているのに、そう思って顔を上げると、大丈夫ですよとぱちんとウィンクした。
「旦那様とあの二人は先ほど食事に出かけました。暫く戻る事はないでしょう。それに今日はお嬢様のお誕生日ではありませんか! 私たち使用人は皆、お嬢様の十五歳の門出を祝いたいのです」
その温かい声にまた涙が溢れそうになるのをぐっとこらえ、笑顔でポーリーと食堂へ向かった。テーブルには私の好きな物が沢山並べられ、皆が精いっぱいのお祝いをしてくれた。デザートに出された大好物のチョコレートケーキには、お誕生日おめでとうございますとメッセージが書かれてあり、涙を堪えて食べたそのケーキは、今まで食べたケーキの中で一番おいしくて、ちょっぴりしょっぱかった。
皆の心づくしの誕生日会を終え、部屋に戻ろうとした時に、ちょうど帰って来たらしいヨアンナと鉢合わせをしてしまった。無言で通り過ぎようとすると呼び止められた。
「義姉に挨拶も出来ないなんて、全く礼儀がなってないわね」
そう言って閉じた扇子で肩を叩かれた。流暢なアルハイト語だ、宿場町で言葉が分からないと言ったのは演技だったのだろう。
ミリアムは、肩に乗せられた扇子を払いながら毅然と言った。
『マナー違反は貴方だわ。 私は貴方の紹介を受けていない。養女の貴方からこの家の正当な令嬢の私に許可なく声を掛けるなんて、一体何処の国の作法なのかしら』
ジラード語でそう言い返すと、顔を歪めてミリアムを睨み付けて言った。
「何よそれ、嫌味のつもり? アルハイト語くらい話せるわよ。いいわ、思い知らせてやるから!」
そう言うと、大きな声で悲痛な声を上げた。
「ひどいわ! どうしてそんなことを言うの?」
突然の事に驚いたミリアムが、両手で顔を覆ったヨアンナをあっけにとられて見ていると、近くにいたらしい父がウルスラと共に慌てた様子でやって来た。
手で顔を覆い、すすり泣くヨアンナを見ると顔色を変えてミリアムを睨み付けた。
「私は何もしていません」
そう言ったミリアムに、ヨアンナがくすんくすんと鼻を鳴らしながらか細い声で父に訴えた。
「この人が、この家の令嬢は自分だけだ、お前なんかをこの家の令嬢とは認めないって言ったの」
ウルスラは涙を浮かべて「なんてひどい事を」とヨアンナを抱きかかえ、二人に寄り添った父は激しい口調でミリアムを責めた。
「ヨアンナは私が認めたこの家の正当な令嬢だ!この家に相応しくないのは、哀れな二人にこのような醜い敵意を向けるお前の方だ!」
そう言って睨み付ける父の顔を、ミリアムは悲し気にじっと見つめていた。
ふと、父の表情が緩んだと思った時、ウルスラが父の顔を覗き込むと、また元のきつい眼差しに戻ってしまった。
「もう二度と私たちに近づくな! 不愉快だ!」
そう言い残して三人はその場を去って行った。
もう父には私の言葉は届かない。これからどうしようと思いながら部屋に戻った。
それ以来、不意に出くわしてしまって言い掛かりを付けられない様に、部屋を出る時には、魔法書の中で見つけた、自分の姿を見えにくくする認識阻害魔法を使っている。
二人の言い掛かりなら対応できるが、二人を庇ってミリアムに敵意を向ける父の姿をこれ以上見たくはなかったのだ。