【書籍化】死んだことにして逃げませんか? 私、ちょっとした魔法が使えるんです。

みんなを守るために

あの三人とは顔を合わせない様に注意しながら過ごす日が続き、二か月ほど経った頃、朝食を運んでくれたメイドが頬を腫らしているのに気が付いた。理由を聞いても話してくれないので、ポーリーから何とか事情を聞きだし、あまりのことに驚いた。

ウルスラとヨアンナは、自分たちの言う通りに動かない使用人に、躾だと言って体罰を加えているというのだ。手を上げる事だけでも許せないのに、言う事を聞かない者や、気に入らない態度を取る使用人を父に泣きついて次々に解雇しているという。退職金も紹介状もなく追い出された使用人が何人もいると聞いて、居てもたってもいられなかった。

今朝顔を腫らしていたメイドは、ウルスラがミリアムの朝食用の水を、花瓶の水と入れ替えようとしたのを止めたのが原因だったそうだ。彼女もきっと危ない。
急いで救済の必要があると判断したミリアムは、三人が出かけた事を確認して執務室を訪れた。解雇した使用人に紹介状と退職金を届けたいと家令に相談すると、渋い顔で答えが返って来た。

「旦那様はあの女性とご結婚以来、執務を行っていらっしゃらないのです。領地からご帰還したあの日から執務室にお越しになった事がありません。毎日大量に届くドレスや宝石、家具や外食などの請求の資金繰りで手いっぱいで、すぐに大勢の退職金を一度に用意することが難しく…」

ヘンドリックスは領地経営に関してはとても堅実な運営をしていたはずだ。なのに、たった二か月でここまで経済状況が悪化することが信じられず、見せられた請求書の束を確認したミリアムは愕然とした。そしてさらに耳を疑う内容を聞かされた。

今日、あの三人は新しく開園した植物園のレセプションに出かけているそうだ。ミリアム宛に届いたお茶会やガーデンパーティー、レセプションなどの招待状を、あろう事か勝手にウルスラとヨアンナの名前に書き替えて三人で出席しているらしい。いくら行きたいとねだられたとしても、とてつもないマナー違反だ。
父がそんなことをしているなんて信じたくなかった。

「社交界に噂が広がるのはあっという間だもの。きっともうファンベルス伯爵家の評判は地に落ちているわね」

もうこうなっては仕方がない、三人が出かけている間に出来るだけのことを済ませておこう。
皆の退職金にはすぐに使える私の予算を当ててもらい、急いで紹介状と共に届けてもらった。それから、今後もこう言った事が続くだろうと予想されるため、残っている使用人たち全てに紹介状と退職金を用意しておくことにした。

「すぐに懇意の商会に来てもらって」

そう伝えて部屋に戻り、宝石やドレス家具に至るまで必要最低限の物を残して
全て買い取ってもらい、とにかく急いで三人が帰って来るまでに運び出してもらった。机と椅子だけになった、あまりにもがらんとした部屋を見渡して、ポーリーに聞いてみた。

「やり過ぎたかしら?」
「旦那様にお部屋を見られたら、また叱責を受けるかもしれません」

部屋を見渡して心配そうに言った後、こっちを向いて叱られた。

「それよりも、寝台まで売ってしまうなんて、お嬢様は一体どこでお休みになるおつもりですか?」

そう言ったポーリーに、ミリアムは胸を張って応えた。

「私、本物そっくりに見た目を変えるのは得意よ」

そうして、こっそり木箱や薪を集めて来てそれらしい形を作り、使用人用の控室から仮眠用の寝台を持ってきてもらって売ってしまった家具そっくりに形を変えた。
とりあえずこうしておけば覗かれても心配ないだろう。

お金は家令に全て預けたが、金庫に置いておくのを反対した家令が、急いで銀行に使用人用の口座を作り、紹介状と共に退職金として全員に小切手を配った。身の危険を感じたらすぐにこの家を離れるようにとの伝言も頼んでおいた。
これで長く仕えてくれている使用人たちは守る事が出来る。残ったお金は、領地に送ってもらったが、この調子では焼け石に水だがそれでも少しは助けになる。

心配は的中し、それから三か月ほどで用人たちは次々に追い出され、代わりに新しく雇い入れた使用人たちは、ウルスラとヨアンナに心酔している者ばかりになって行った。

そして二人がやって来てから半年足らずで、とうとう残っている昔からの使用人は、家令とポーリーと、ポーリーの恋人である庭師のヴァンだけになってしまった。
ヴァンは、ポーリーの為に残っているのだ。
少し前からまともな食事は用意されなくなっていて、ここ最近は忘れたふりで届かない事も多い。せめてパンや果物だけでもと、ポーリーがこっそり持ってきてくれている。
ポーリーは決して言わないが、これはきっとポーリーの食事だ。私はあまり動かないから気にしないでと言ってもポーリーは譲らない。しかし、使用人であってもこんな粗末な食事はあり得ないのだ。
ポーリーも使用人たちから仲間外れにされていると思うと心が痛い。ひどい目に遭う前に何とか逃がさなければ。

ポーリーは国内外に手広く洋品店を展開する男爵家の三女なのだ。将来は、生花店を営む商会の次男であるヴァンと二人で、両家の家業と侍女の経歴を生かして、ブーケや装花に合わせた花嫁衣装などを展開する事業を立ち上げるのだと嬉しそうに話していた。

ポーリーにその事を話して、ヴァンと結婚してこの家を離れなさいと言っても、ポーリーは頑として首を盾に振らなかった。ミリアムはこっそり抜け出して、ポーリーの恋人である庭師のヴァンの小屋に行き、もしもポーリーがヴァンの所に逃げて来ることがあったら、すぐにポーリーを連れてこの家を離れるように頼んだ。
ヴァンは邸の中で起こっている事を知っているので、しっかりと頷いて約束してくれたのだ。そして、ポーリーに宛てに書いた手紙を渡して、すぐにここを出られるように肌身離さず持っておくようにお願いした。念のため封筒には認識阻害の魔法を掛け、二人の結婚祝いと開店資金の小切手もこっそり入れておいた。

それからのミリアムは、魔法書の難解な言葉と格闘しながら、身を護る為の魔法の特訓を始めた。特に急いで身に付けようと選んだ魔法は三つ。

一つ目は結界魔法。自分や守りたい人の周りに頑丈な盾や箱をイメージして攻撃から身を護る魔法だ。既に使えるようになっている認識阻害魔法と組み合わせる事も出来る。認識阻害魔法は完全に消える訳でははないのだが、こちらから声を掛けなければ気付かれない。
結界を張って認識阻害魔法を組み合わせれば、攻撃してきた相手からは消えたように見えるらしい。
魔法書によれば、結界魔法を周囲に張って空中に高く浮かせることも出来るらしいが、高度過ぎてこれは後回しだ。

二つ目は転移魔法。物や人をその場から移動させる魔法だ。ただしこれは移動させるものを包み込む大量の魔力を集める時間ととてつもない集中力が必要だ。しかも、自分が直接行って魔力を残している場所や物に限定される。部屋の隣にあるクローゼットへ移転場所を設定し、先ずはインク瓶を転移させてみる事にした。物を包み込むイメージが難しく、底の地面などに接している部分も忘れずすっぽり包み込まなければ成功しないらしい。試行錯誤を重ね、結界魔法を全方位に張ってそれごと包み込むイメージで転移することで移動は出来た。が、ものすごく疲れる。

訓練を重ねていくにつれ、結界も、四角ではなく球体に、更に物にぴったりと沿わせて包むイメージにすれば使う魔力が少ない事も分かって来た。ただ、大きなものを動かすととても疲れる。椅子を転移させた後は暫く動けなかった。
ポーリーを逃がした後、どうしてもここにはいられなくなった時、この魔法を使えばどこかに逃れる事が出来るかもしれない。

尤も、行く当てなどどこにもないのだけれど…


三つめは治癒魔法。ウルスラとヨアンナは、自分に心酔する使用人たちでさえ気に入らなかったり、虫の居所が悪いと鞭を使って打ち据えるのだ。もしもポーリーがそんな目に遭ったら黙っては居られない。しかしミリアムが庇ったり抗議をすれば他の使用人よりもずっと酷い目に遭うだろう。その時の為に結界と合わせて習得しておこうと考えた。

しかし、これはかなり高度な魔法だった。小さな怪我であれば元に戻ったイメージで治るようだが、大きなけがになると体の構造を理解して正しく修復しないと傷は塞がっても元通りに動かせるようには戻らないと書いてあった。病気に至っては、何が原因か、正常な状態がどうなのかが判断できなければならないという、高度な医療知識が必要だった。治癒魔法の言葉を目にした時、これが使えれば母の病気は治せたのかもと思って読み進めて行くうち、外からの治癒だけでは無理な事も多く、医療と並行しても難しい病気もあり、魔法が万能ではない事も知ったのだった。

そうしてミリアムは部屋に籠ってひたすら魔法に没頭する日々を送っていた。
ウルスラとヨアンナとは、直接対峙する事は徹底的に避けているため、代わりに使用人たちを使っての嫌がらせはエスカレートしていった。
メイドが部屋を掃除することもなく、たまに届く食事は痛んだものや残飯を盛った物になり、ポーリーはミリアムから遠ざけるために、本来下働きの仕事である洗濯を押し付けられている。
この仕事は長時間持ち場を離れる事が出来ないからだ。
ポーリーと連絡が取れるのは、皆が寝静まった夜だけになってしまった。
こんな事をしていてはポーリーの体がもたない。早く逃がさなければ…
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