【書籍化】死んだことにして逃げませんか? 私、ちょっとした魔法が使えるんです。

濡れ衣

ノックもなく扉が勢いよく開けられ、護衛騎士を先頭にヘンドリックスとウルスラとヨアンナが、侍女やメイドを引き連れてずかずかと部屋の中に入って来た。

「ヨアンナのルビーの指輪が無くなったのよ。お前が部屋から出て来た所をヨアンナが目撃しているわ。大人しく指輪を返して謝罪しなさい」

鞭を持つウルスラの後ろで勝ち誇ったような笑みを浮かべるヨアンナを目の端に捉え、ミリアムは答えた。

「私はその様な事をしていません」

その答えを聞いて、ヨアンナは指をさして声を上げた。

「嘘よ! 私はこの娘が私の部屋から何か持って出てくるのを見たんだから。急いで部屋に入ってみたら指輪が無くなってたの。きっとどこかに隠してるのよ」

ヨアンナに見上げられたヘンドリックスは、護衛と侍女やメイドたちに部屋の中を隈なく探すように指示した。
部屋の中に大勢が踏み込んだが、何処をどう探しても指輪は見つからなかった。
ウルスラに命じられた侍女たちが、ミリアムとポーリーの服の中や、結んだ髪を解いてまで探したが指輪は見つからない。ヨアンナが、見つかるのを恐れて窓から投げ捨てたのかもと言い出して、窓の外の茂みや花壇の中まで探したが、指輪は見つからなかった。

泣き縋るヨアンナとウルスラを受け止めているヘンドリックスを見つめていたミリアムは、以前ほど悲しくない自分に気が付いた。父との美しい思い出と、慕う思いや、信じたい気持ちが少しずつこの辛い現実に塗りつぶされていく。全て塗りつぶされてしまえば、もう苦しくはなくなるのかしら。

そう物思いに耽って居た時、ヘンドリックスの目がミリアムの指輪に向けられている事に気が付いた。それは、ミリアムがヘンドリックスの誕生日に贈ったカフスボタンとお揃いで作ったのだと、去年の誕生日にプレゼントされた指輪にそ(・)っ(・)く(・)り(・)だ。

その指輪に吸い込まれるように見入っているヘンドリックスに気が付いたウルスラが、ミリアムを憎々し気に睨み付け、ヘンドリックスの顔を覗き込んで言った。

「もういいわ、旦那様、行きましょう」

そう言って部屋を後にしようとした時、ミリアムが毅然と言い放った。

「謝罪して下さい」

鬼のような形相でこちらを振り返ったウルスラとヨアンナに、ミリアムは重ねて言った。

「貴方たちの勘違いでこんなに部屋を荒らしておいて、謝罪もせず、使用人に荒らした後片付けの指示もせずに立ち去るつもりですか」

ミリアムの正論に、荒れ果てた部屋を振り返った護衛や使用人たちもバツが悪そうに目を泳がせている。
気色ばんで睨むヨアンナを、黙って見つめ返すミリアムを見たウルスラが、ヘンドリックスに顔を近づけて眉を下げ、懇願するように言った。

「旦那様、私たちはこの娘にこんなにも酷い扱いを受けているのです。どうか罰を与えて下さい」

ウルスラの言葉に、こちらを向いて何かを言おうとしたヘンドリックスをじっと見つめてミリアムは言った。

「濡れ衣を着せられてこのように部屋を荒らされたのは私の方です。お父様、どちらが酷い扱いなのか良く見てください」

ミリアムに見つめられ、部屋を眺めて一瞬言葉を詰まらせたヘンドリックスを見たウルスラは、涙をいっぱい貯めた目でヘンドリックスを見上げた。

「旦那様、助けて」

その顔を見たヘンドリックスは、ウルスラを抱き寄せてミリアムに背を向けて護衛に指示をした。

「その娘を物置部屋に閉じ込めておけ」

こうして父への思慕がだんだん塗り潰されていく。早く全てが塗りつぶされてしまえば良い。そうすればきっと楽になれる。

「ヨアンナ様を悲しませるなど、我らが許さない」

三人が部屋を出た後、二人の護衛はそう言ってミリアムの腕を掴み、物置部屋まで連れて行くと乱暴に放り込んで、外から錠をかけて立ち去っていった。
突然掴み出されて何も持ち出す事が出来なかったミリアムは、魔法書とばあやの片眼鏡とガチョウのニルスの事が気がかりだった。机の隠し引出しにしまってある魔法書と片眼鏡には、念のために認識阻害の魔法をかけているけれど、もし誰かが触れれば存在に気付かれてしまう。そしてニルスは無防備だ。もしあの調子でしゃべり始めてしまったらと思うと気が気ではなかった。
それに何よりあの場に残されたポーリーの事が心配だ。どうか酷い目に遭っていませんように、そう祈りながら部屋の隅に置かれていた埃っぽい寝台に腰かけていると、皆が寝静まった頃、扉が密かにノックされて、外からポーリーの潜めた声が聞こえた。

「お嬢様、お怪我はありませんか? どこか痛い所は?」

「ポーリ―! 良かった。私は大丈夫よ。 あなたこそ大丈夫なの?酷い事されてない?」

ミリアムも声を潜めて返事をしてポーリーに問いかけた。ポーリーは大丈夫ですと答えけたけれど、顔を見るまで安心できない。
ポーリーによれば、あの後三人はサロンに移動して指輪がなくなったと泣くヨアンナを慰めていたそうだ。ヘンドリックスに新しい指輪を買えば良いと言われて機嫌を直し、今度はどんな指輪にしようかと上機嫌で話していたという。その流れで、次のレセプションに着て行く二人のドレスを新調する話になったそうだ。

「明日、三人はドレスとアクセサリーを仕立てに出かけると話していました」
「織物工場を閉鎖して領地の予算を削っても、この調子ではすぐに底を付くわ」

お金が無ければ領地から徴収すれば良いなど、今までのヘンドリックスからは考えられない措置を聞いた時、ミリアムは自分の耳を疑った。
領地の織物工場は、養蚕が盛んなファン=ベルス領で展開している絹織物の工場だ。ミリアムが生まれて大喜びしたヘンドリックスが、我が娘のデビュタントの為に最高のドレスを仕立てるのだと、張り切って始めた事業だった。

生糸の生産と取引だけでも十分な収益があるため、織物工場の経営は大規模には行っていないが、領地で取れた生糸の中から選り選りの糸を使った特別な生地は、希少性も相俟って知る人ぞ知る逸品と評価が高いのだ。その生地を評価してくれる貴族家からの事業提携の打診を受け、これから発展させていこうとしていた矢先に知らされる突然の工場閉鎖は、誰にとっても寝耳に水の出来事だ。

領地を預かる管理人や領民から見ても、数か月前に領地を視察して、順調な運営に満足して帰ったはずの領主様から通達される、領地の予算の削減や追加の税金徴収に加えて、織物工場の突然の閉鎖は正に青天の霹靂と言える。理由も知らされずにこんなことが立て続けに起これば混乱は免れないし、何よりも領民からの信用が地に堕ちてしまう。

ミリアムは十六歳で成人を迎えると共にファン=ベルス伯爵位の後継指名を受ける事が貴族院にも届けられて正式に決まっている。将来伯爵領を担う立場として、幼い頃から秋には必ず父と一緒に領地を訪れて領民たちとも交流を図って来たのだ。領地の皆の顔が脳裏を過ぎり、何とか領地と領民を救いたいと強く思った。何か方法はないか。
魔法書を持って出られなかった事が本当に悔やまれる。どうすれば取りに行けるか考えて思いついた。

「私の部屋はもうヨアンナが使ってる?」

一番日当たりが良く、バルコニーから庭を見渡せる素敵な部屋なのだ。この冤罪は、ミリアムを追い出してヨアンナがあの部屋を乗っ取ろうと画策したのだろう。

「まだです。でもあの娘が新しく買った家具が数日後に届く予定だと使用人たちが話しているのを聞きました。届いた家具はお嬢様の部屋に運ぶことになっていると言っていましたから、乗っ取りまで時間はありません」

それなら、それまでに練習用にミリアムの部屋のクローゼットに設定している転移魔法のポイントに移動すればこっそり回収できるかもしれない。
しかしミリアムは転移魔法で今まで物しか移動させたことが無いのだ。椅子を移動させただけで暫く動けなかった事を思い出した。人を移動させればどれ程の負担なのか想像もつかなかい。もし移動出来たとしても戻って来られなければ、見つかって騒ぎになってしまう。
そう思案していて、ふと指に嵌っている指輪に目が留まってぞわっと鳥肌が立った。いくらそ(・)っ(・)く(・)り(・)でも気持ち悪くて、急いで指から外した。

「その前に、この指輪をどうにかしなきゃね」

ミリアムはドアの下の隙間から魔力を纏わせたハンカチをポーリーに渡し、ヨアンナの洗濯物に紛れ込ませて欲しいとお願いした。そこへこの指輪を元の姿に戻して移転させようと思うと話すと、いけませんと返事が帰って来た。

「ハンカチがお嬢様の物だと分かればあの娘は大騒ぎをします。扉の下の隙間から渡せる小さな指輪に変えられませんか? それを渡してもらって洗濯物に挟んでおく方が確実です」


そう言われ、何とか大きさを調整して認識阻害の魔法を施して扉の下の隙間から渡した。もしもポーリーが持っているところを誰かに見られても気づかれませんように。

ポーリーが静かに立ち去った後、ミリアムは、物置部屋の隅に設定したポイントに移動する転移魔法を何度か実験し、何とかコツを掴んだところで空が白み始めたことに気が付いた。

明日はあの三人が出かけたことを確認したら計画を実行するのだ。それまで少しだけでも寝ておこう。

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