『愛してるの一言がほしくて ―幼なじみ新婚はすれ違いだらけ―』

第11章 「すれ違いのデート」

 週末の朝。
 バルコニーのガラス越しに差し込む光は明るいのに、
 志穂の心は晴れなかった。

(……デートって、どういう意味なんだろう)

 昨夜、あんなにぶつかったばかりなのに、
 悠真から「明日、少し出かけないか」と誘われた。

 謝りたいのかもしれない。
 距離を縮めたいのかもしれない。
 あるいは――

(……“ご機嫌取り”なら、つらい)

 そんな不安を胸にしまいながら、
 志穂はお気に入りのワンピースに袖を通した。



 待ち合わせ場所はリビング。

 悠真はジャケットに腕を通しながら、ふっと目を上げた。

「……似合ってる」

「ありがとう」

 短い会話。
 でも、志穂の胸は軽くならない。

 沈黙が落ちたあと、ふたりはエレベーターへ向かった。



 ショッピングモールは休日の賑わいであふれていた。
 子どもの笑い声、フードコートから漂う甘い香り、
 店頭のポスターが風に揺れ、やさしい音を立てている。

「歩きにくくないか?」

「ううん、大丈夫」

 志穂が笑うと――
 悠真は少し安心したように目を細めた。

 その仕草にまた胸が痛む。

(そんな優しさ……期待しちゃうでしょ)



「昼は何か食べたいものは?」

「なんでも。……悠真さんは?」

「君の好きなものでいい」

「私……今はよくわからないかも」

 たぶん答えづらかったのだろう。
 悠真は少し間を置き、
 メニュー表を見つつ小さく笑った。

「じゃあ、俺が決めてもいいか?」

「うん……」

 何もない会話が、ただ淡々と続く。

 でも志穂の胸の奥には、
 “昨夜の言葉”が何度も浮かんでしまう。

(“今はまだ言えない”……
 あれは、やっぱり拒絶だったのかな)

 隣を歩く悠真の横顔を盗み見る。

 髪が風に触れて揺れ、
 睫毛の影が頬に落ちる。

 その横顔は、いつだって静かで頼もしいのに――
 今の志穂には、遠く見えた。



 ランチのあと、雑貨店の前を通りかかった。

 店頭には、カップル向けのペアマグが並んでいる。

“Love you forever”
“Only you”

 そんな文字が描かれていた。

 胸の奥がぎゅっと締め付けられる。

 見ないように視線をそらしたつもりだったが――

「これ、君が好きそうだと思った」

 悠真が手に取ったのは、
 シンプルな白磁のマグカップ。

 縁に金の細いラインが描かれ、
 派手ではないけれど上品だった。

「……綺麗」

「家に置くか?」

「……どうかな」

 素直に喜べない気持ちが、また胸を刺した。

(こんなふうに選んでくれるのに……
 どうして)

「気に入らなかったか?」

「ううん……そうじゃなくて」

「……志穂」

 悠真が言葉を探すように、
 何度か唇を動かした。

「昨日のこと……すまなかった」

「……謝らなくていいよ」

「いや。俺が悪かった。
 君の話をちゃんと聞かなかった」

 静かな声。
 その真剣さに、志穂の胸は少し揺れた。

(こんなふうに思ってくれるのに……
 どうして言葉だけはくれないの)

 涙がこみ上げかけた瞬間――

「お姉さんに似てますね」

 店員がふっと笑顔で声をかけてきた。

「以前、真理さまがこちらで同じカップを……」

 志穂の心臓が、一瞬止まった。

(……お姉ちゃん?)

「真理さんも、これを見て“可愛い”と言ってましたよ」

「……そう、ですか」

 笑顔を作るのが、痛いほどつらかった。

 横で悠真が微かに息を呑んだのが、分かった。

(また……お姉ちゃん。
 どこへ行っても、お姉ちゃんの影)

 店を出ると、志穂は小さく深呼吸をした。

「……ごめん、少しだけ休憩したい」

「わかった。ベンチに行くか」

 ショッピングモールの広場のベンチに並んで座る。
 天井から吊るされた飾りが、ひらひらと揺れていた。

 隣にいてくれるのに、
 なぜか世界が寂しく感じる。

「……志穂」

「なに?」

「今日は、君と出かけたかった」

「……ありがとう」

「本当だ。
 君の様子が気になって……
 少しでも笑ってほしくて」

 志穂は、ぎゅっと唇をかんだ。

(そんなふうに言ってくれるのに…… )

 目を閉じたまま、小さな声でつぶやく。

「……ねえ、悠真さん」

「なんだ」

「私、ちゃんと笑えてる?」

「……今日は、少し無理してるな」

(気づいてるんだ……)

 胸が、またひび割れたように痛くなる。

 悠真が、そっと手を伸ばそうとしたが――
 志穂は無意識に、その手から逃れてしまった。

 触れたら泣いてしまいそうで、怖かった。

(もう……これ以上好きになったら、壊れちゃう)

 ふと横を見ると、
 悠真は悲しそうに、自分の拳を握りしめていた。

 その姿を見て、
 志穂の心はさらに痛む。

(好きなのに、近づけない。
 こんなデート……もう苦しいだけだよ)

 ベンチの上、並んだふたりの手は、
 最後まで触れ合うことはなかった。
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