『愛してるの一言がほしくて ―幼なじみ新婚はすれ違いだらけ―』

第24章「二人の距離を測る午後」


 昼下がりの光が、
 真理の家のリビングに静かに広がっていた。

 志穂は、テーブルに置いた自分のスマホを
 ぼんやりと見つめていた。

(……来ないな)

 通知は鳴らない。
 画面も光らない。

 わかっていたはずなのに、
 それでも何度も確認してしまう。

 隣で紅茶を淹れていた真理が、
 ちらりと視線を向けた。

「……連絡、来てないの?」

「……うん。
 わたしからもまだ送れてない」

 自分で距離を置くと言っておきながら、
 気持ちはまったく切れていない。

(どうして……
 こんなに会いたいんだろう)



 一方その頃——

 悠真は、自分のデスクで
 ノートPCを開いたままフリーズしていた。

 社内は会議続きだ。
 部下たちが次々と報告に来る。

 だが、悠真の頭の中は
 まったく別のことでいっぱいだった。

(……返ってきていない)

 志穂へ送ろうとして
 途中で止めたメッセージが
 画面下書きに残っている。

『大丈夫か?』
『ちゃんと食べたか?』
『無事に着いた?』
『……話がしたい』

 どの文言も弱くて、
 どの文言も足りなくて、
 どの文言も“本心からズレている”気がして
 送れなかった。

(こんな簡単な言葉すら……
 どうして俺は言えないんだ)

 胸がつかえる。

 部下が「次の会議ですが——」と声をかけても、
 悠真は少し遅れて返事をする。

「……行く」

 その“少しの遅れ”を、
 周りはただ疲労と受けとる。

 だが理由は、
 ただひとつだった。

(志穂……)



 一方、真理の家。

 志穂は、真理に背中を軽く押されて
 庭の見えるソファに移った。

「気分転換しなさい。
 スマホばっかり見てても苦しくなるだけよ」

「……うん」

 志穂はクッションを抱きしめたまま、
 少し外を眺めた。

 そのとき——
 玄関のチャイムが鳴った。
 宅配便らしい。

 真理が玄関へ向かい、
 少しして戻ってきた。


「志穂」
真理がキッチンから戻ってきて、
少し曖昧な顔をした。

「さっき……
 同じマンションに住んでる知り合いから連絡があったんだけど」

「え……?」

「昨日、あなたたちのマンションのラウンジで——
 “また若い女の人と悠真くんが話してた”
 って噂になっていたらしいの」

志穂の心臓が跳ねた。


(また……?
 また……誰?)

 喉が乾き、
 指先が冷たくなる。

「わたし、あんまり噂を信じるタイプじゃないけど……
 気になるなら言うべきかと思って」

「……ありがとう、お姉ちゃん」

 志穂は震える指先でスマホを掴んだ。

 でも——
 彼に直接聞く勇気は出なかった。

(聞いたら……
 もっと傷つく気がする)

 画面は静かだ。

 少し前まで同じ部屋で暮らしていたのに、
 今はこんなにも距離がある。



 悠真は、そのころ——
 会議中にも関わらず
 無意識にスマホへ視線を落としていた。

(……返信がない)

 胸がざわつく。

(志穂……
 誤解したままじゃないよな……)

 思い返すほど焦燥感が募る。

 あの女性——
 あの夜の件。

(ちゃんと説明しないと……
 本当に……終わってしまう気がする)

 初めて、
 明確な“恐怖”が胸を締めつけた。

 本当に失うのではないかという恐怖。



 午後の日差しがゆっくり傾いていく。

 志穂のスマホは鳴らない。

 悠真の下書きメッセージは送れない。

(会いたい)
(声が聞きたい)

 二人の胸には同じ言葉があるのに、
 その距離は少しずつ、確実に遠ざかっていった。
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